第10話 海原は絶つ世界の境

その1

 キッチンで朝食の準備をしていたイツキがドアの開く音に振り返ると、ちょうどリビングに入ってきたルカと目があった。

「はよ~」

「お、おはよう。……あの、昨日は、ごめん」

「ん?」

 出し抜けに頭を下げられて、挨拶がてら挙げかけたルカの手が中途半端な高さで止まる。

「昨日、片づけやらなくて……。あの、僕……」

「あー! いいっていいって。そんなの」

「え? でも、僕、ホントに……」

 さらに何か言いかけるイツキを、ルカの手がさえげる。

「いいって。イツキは何も悪くない。昨日のは、俺がなんかヘンな空気にしたせいだから。イキナリ重い話した俺が悪い。ゴメンな」

「……! それは違うよ。重いとか、思ってない。僕は話を聞けてよかった。僕と同じ経験してるんだって。分かってくれる人がいるんだって、そう思えたから」

「それなら俺もそうだよ。っていうか俺なんてゼンゼンだ。俺のほうこそ、よく話してくれたって思ってる。ホントなら思い出すだけでもツライんじゃないか? そういの、誰にでも話せるコトじゃないと思うんだ」

 ルカ自身の苦悩を思えば、イツキの抱えてる痛みや苦しみは察するに余りある。

「それでも、イツキは俺に話してくれた。それって、俺たちがそのくらい仲良くなれたからだって思ってるんだけど、違うかな?」

「……それは、そう、かも」

「よかった。じゃ、この話はこれでオシマイだ。おたがいさまってことでさ」

「おたがいさま?」

「そ、おたがいさま」

 文法上は不適切かもしれないが、いまのルカの心情を表すうえでこの言い回しが一番しっくりくる。その思いはイツキにも伝わったのか、2人は顔を見合わせて笑いあった。

 その後、朝食を済ませたルカは、いつも通りの時間に家を出て、いつも通りのルートで高校へ向かった。歩き慣れた道なので考え事をしながらでも迷うことはない。

 いつもならその日の時間割や放課後の計画、バイトの日程確認などをしているのだが、今日はより重要な案件があった。

「問題はどうやってヤツらの居場所を探すかだな」

 ルカの言う「ヤツら」とは、イツキを迫害した者やそれに加担した者たちのことである。

「顔も名前も分からないってのがヤッカイだな」

 当事者であるイツキに聞けば確実だが、その選択肢は最初からルカの頭にはない。

 イツキにたずねたら当然理由を聞かれるだろう。そのときに上手く誤魔化せる自信はないし、そもそもルカはイツキにウソをつきたくない。

 ルカが正直に目的を伝えたら、心根の優しいイツキのことだから絶対にヤツらの情報を教えてくれないだろう。それどころかルカを止めるために、リンたちに伝えてしまうかもしれない。

「それは困るんだよな。やったあとに捕まるのはゼンゼンいいんだけど」

 思考に集中しているせいで、考えの一部がブツブツと口元からこぼれ出る。ときおり通行人がすれ違いざまにいぶかしげな視線を送るが、考えに没頭しているルカは気づかない。

「せめてガッコウが分かればなぁ……」

 ルカが最優先のターゲットとして考えているのは、イジメ主犯格のAと、その取り巻き連中、そしてイジメを放置した担任の教師だ。

(コイツらはマストだ。ただ死んでもらうだけじゃ軽すぎる。その前にたっぷり苦しんでもらわないとな)

 そのための手段には事欠かないのだが、現状では彼らの名前も顔も分からない。

 さらに、仮にそれらが判明したところで、個別に襲うのは非効率だ。時間をかければ騒ぎが大きくなり、残ったターゲットを取り逃す可能性がある。

(いっぺんに始末できるのが理想なんだよな。だから平日のガッコウがベストなんだけど)

 ターゲット全員が、同じ時間、同じ場所にそろうのだから、これ以上のロケーションはない。

 だが肝心の場所が分からないのではどうしようもない。

 これまでにイツキと交わした会話の中で、何か場所のヒントになるものはなかっただろうか。

(そういや毒エサの話はニュースになったって言ってたよな……。それっていつの話だ? たしかイツキも帰還のタイムラグがないパターンだったよな? ってことはニュースになったのは今年? 新学期始まって少しあとってことは4月ごろか? けどそんなニュースあったっか……?)

 しばらく記憶をたぐってみたが、そういったニュースにふれた記憶はない。考えてみれば、そのころはまだグルカンを受けていた時期であり、本土どころか区内の事件にすらたいして興味がなかった。

(そんな前のニュース、いまさら調べようがないよなあ……。誰かに聞くにしたって知ってそうなヤツ……、あ、シュンスケなら何か覚えてるか?)

 情報通の親友の顔を思い浮かべたルカは、はやる気持ちでその場から駆け出した。

 慣れない全力疾走のおかげで高校に着いたときには息も絶え絶えだったが、廊下を歩いているうちに何とか心拍数も収まってくれた。

 教室に入りすでに登校していたシュンスケの姿を確認すると、ルカは挨拶もそこそこに話を切り出す。

 イツキのプライバシーに関わるだけに詳しい事情を語るわけにもいかないため、ルカの問いかけは断片的にならざるを得ず、シュンスケもやや戸惑いながら話を聞いていた。

「愛犬殺し? 小学生の? 知らんなあ」

 話の内容からシュンスケは裏面の事情をある程度察したようだが、深く問いただそうとはしなかった。シュンスケのこういう距離感は本当にありがたい。

本土あっちならネットで調べれば一発なんだろうけどな」

「そういうもんか?」

「そんだけデカいニュースなら一瞬だろ」

「へー……」

 300年間も魔法文明に浸かっていたルカにとって、インターネットは忘れ去られた過去の技術であり、利便性について語られてもピンとこない。

「そうだ、図書館はどうだ?」

「図書館? ネットつながってたっけ?」

「違う違う。たしか図書館って本土あっちの新聞とってたハズだぞ」

「え、マジで?」

 24区内で流通している新聞は地元新聞社発行の一紙のみで、区内で暮らすぶんにはそれで事足りるので、わざわざ図書館で全国紙を読む者などめったにいない。

 バイトを始めて以来、新聞のチェックを日課にしているルカも、今の今まで意識すらしたことがなかった。

「全部じゃないだろうけどな。言うほど騒ぎになったんなら、どこの新聞でも取り上げてるだろ。古いヤツもとってあるハズだぞ」

「サンキュー! まずそこからだな」

 今は1分でも時間が惜しい。ルカは机の脇にかけていたカバンをつかむと勢いよく立ち上がった。のんびり放課後まで待っていられない。

「ハラ痛くなった! 早退するんで伝言頼む!」

「急病だな。おダイジに」

 シュンスケの陽気な声に送り出されて、ルカは教室を飛び出した。

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