その9

 夜明けと同時に始まった戦闘は、太陽が真上に来るよりも早くに終結した。

 川沿いに広がっていた麦畑は魔族の軍勢によって無惨に焼き払われ、踏み荒らされた地面には収穫目前だった麦の穂が散らばっている。

 城塞都市を囲んでいた城壁は跡形もなく崩れ落ち、川を利用した巨大な堀を満たしているのは守備兵たちの死体であった。

 城壁の内側も破壊しつくされ、残っているのは瓦礫と死体の山ばかりであったが、わずかに生き残った人間たちが都市の一角に集められている。

 数はおよそ千人。その中にはさきほどまでの激戦で傷ついた兵士たちもいたが、多くは非戦闘員である女子供、老人たちであった。

 恐怖で顔を蒼白にし、救いを求めて哀願する彼らの首には、背丈より大きな風船がくくりつけられている。

 身を寄せ合い震える敗残者たちを、勝者である魔族の将軍や兵士たちが包囲している。

 異形の怪物たちは、いちように邪悪な笑みを浮かべ、期待と興奮に満ちた表情で何かを待っていたが、不意に人間たちを囲む輪の中央あたりから歓声が上がった。

 見物人たちが見つめるなか、ひとり、またひとりと、人間たちが空に向かって浮き上がっていく。

 風船に吊り下げられた人間たちは、絞首の苦しみから逃れようと身をよじらせるが、もはやその両足が大地を踏むことはない。

 いっそ殺してくれと泣き叫ぼうにも、喉を圧迫され声を出すこともできない。

 この虐殺ショーは、魔族の王女が侵略の締めくくりに行う定番の催しものであった。

 宙を漂う人間たちが踊るようにもがき苦しむさまをみて、地上で見物する魔族の陣営から残忍な喝采が巻き起こる。

 そして、哀れな死刑囚の群れが一定の高度に達したところで、ショーの盛り上がりは最高潮に達した。

 上空の風に乗って流された人の匂いが、周囲を縄張りにする多羽巨蟲メキドの群れを引き寄せ、獲物を見つけた蟲たちは逃げることもできない人間たちに遠慮なく襲いかかった。

 窒息で死に瀕していた人々は巨大な蟲に生きながら喰い殺されていき、細切れにされた肉片と血飛沫が小雨のように地上へと降り注ぐ。

 観客たちは小癪な抵抗をしてくれた人間たちの無惨な末路に歓喜の声を挙げ、人骨の御輿に座してショーを見物していた魔族の王女も満足気な笑みを浮かべる。

 王女は戦勝を祝う兵士たちに手を振って応えたあと、背後に控えているショーの立役者を振り返り、その労をねぎらった。

捕虜射的カプタウェナの代わりに、野生のメキドを使うとはたいした趣向じゃない! ヘンなコト考えてたらいっしょに殺してやるつもりだったけど、こんな仕掛けを用意しておくなんてね。やるじゃない! 次も期待してるわよルカ!」


「は、はい王女様! 次も必ずご期待に……」

 天井に反射した感激の叫びが、ルカを夢から叩き出した。

 寝ぼけた頭で室内を見回し、壁にかかった時計や古びた勉強机を目にするうち、夢の中に沈んでいた意識が現実の岸辺まで浮き上がってくる。

 時差ボケのような感覚が収まると、次に襲ってきたのは甘く切ないほどの郷愁感であった。

「なんか、ひさしぶりだな……」

 ベッドの上で身体を起こしたルカは、夢の余韻に浸りながら半ば無意識につぶやいた。

 王女の優雅なほどに雄々しい声が、いまだに耳の中でこだましていて、激しく鼓動する心臓がなかなか鎮まってくれなかった。

 向こうのできごとを夢に見たのはこれが初めてではない。ふだんからよく思い出していたし、何気ない会話の中でも何度となく話題にしている。

 こんなことは誰にでもあることだ。とっくに過ぎ去った大昔のできごとの再確認にすぎない。

 夢なんてものは脳が行う記憶処理に過ぎず、眠りながらアルバムを眺めているようなものだった。

 ──これまでは。

 今朝見た夢は違った。

(……なんだろうなぁ、このリアル感。映像にキモチがハマったみたいな)

 大地を揺るがし波濤の如く押し寄せ、すべてを噛み砕いていく怪物たちの轟き。 

 無益な抵抗を重ねた末に死んでいく、哀れな敗者たちの叫び。

 焼け落ちた街並みを駆け抜ける、腐臭と異臭に満ちた風の臭い。

 美貌の王女からお褒めの言葉を賜り、全身を熱くさせた高揚感。

 これほど真に迫る臨場感は、これまでになかったことだ。

(肌感ハンパないんだよな)

 これまでバラバラに回っていた「記憶」と「感情」の歯車が、ようやくガチッと噛みあった、そんな感覚である。

 ベッドの上で体を起こしながら、ルカは昨晩のことを思い返す。


 告白を終えてうなだれたままのイツキに、ルカは言葉をかけることができなかった。

 冷静に受け止めるには、あまりに衝撃的すぎる内容であった。Aの所業を聞いた端からルカの心はささくれ立ち、沸き起こる感情が濁流となって理性を押し流していく。

 イツキが無言のまま自室に引きこむのを見送ったあと、ひとり残されたルカはしばらくの間身じろぎもしなかったが、やがてのろのろと立ち上がるとテーブルの上の片づけを始めた。

 重ねた食器類を台所に運び、蛇口から出る水が皿の上で弾けるのを眺めているうち、荒れ狂っていた感情も少しずつ鎮まってきた。

 頭の中の霞が晴れていくにつれて、「イジメ」「自殺」「愛犬」「毒殺」といったワードが整然と列を成し、意味を持った言葉として形作られていく。

(イツキはイジメにあってた。誰も助けてくれなかった。まわりのオトナは何もしなかった。大切な友達まで殺されたのに)

 ルカにはとても信じられなかった。どこか別の異世界の出来事ならともかく、ルカの生まれ育った世界で、そんなコトが起きているなんて。

 いくら被害者の告白だったとしても、それがイツキ以外の人間だったら話半分に聞いていたかもしれない。それくらい理不尽で、受け入れ難い話であった。

(なんでだ? どうしてそんなヒドイことできるんだ? イツキが何をした? 何もしてないじゃないか! イツキみたいなイイやつが、なんでそんなヒドイめにあわないといけないんだ?)

 どうしても納得がいかない。こみあげてくる負の感情に胸が圧迫され、息苦しさに目眩すら感じる。

(イジメた側が罰を受けないはなんでだ? 子どもだからか? 子どもなら何をしてもいいのか? それとも親がエライからか? それじゃ前の世界と変わらないじゃないか。ココはホントに俺がいた世界なのか? ワルいヤツが裁かれないで、なんのための法律だ?)

 ベッドに入ってからもなかなか寝つかれず何度も寝返りを打った。

 たまたま目にした時計の針が3時を回っていたことまでは覚えているが、気がついたら眠っていたようだ。

 睡魔に負けた事実を突き詰めていくと、イツキへの同情もただの偽善のように思えて自己嫌悪に陥るが、この際そんなことはどうでもいい。

「ま、結果オーライだよな」

 理由はどうであれ、目を覚ましたときの気分は最高だった。

 寝入るまであれほど悶々としていたのがウソのように、心が完全にリセットされている。おそらく夢見がよかったおかげだろう。

「姫様が気合い入れてくれたのかな。情けない従者だって」

 まったく根拠のない思いつきにすぎないが、もしそうだとしたら効果は抜群だ。頭がスッキリしていて、胸のつかえもおりている。

「そうさカンタンな話なんだ。行動には責任が伴う。ワルいコトしたら罰を受ける。そうじゃないからモヤモヤしてたんだ。それだけのコトなんだ」

 ベッドから立ち上がり、ルカは大きく伸びをする。

「しつけのワルい子どもに分からせるには、同じ目に合わせるのがイチバンだ。それでチャラだ。親がやらないっていうなら俺がやってやるさ」

 カーテンを勢いよく開けると、窓の向こうには雲ひとつない青空が広がっていた。まるでルカの決断を称賛するかのような、透き通るように晴れ晴れとした空であった。

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