その8

 イツキの濃褐色の肌と彫りの深い顔立ちは、大陸出身の母親譲りである。

 自分が周りと違うということは、子どもなりに薄々自覚していた。

 しかし、そのことで疎外感を味わうようなことはなかった。地元の保育園でも友達はいたし、小学校に入学してからもそれは変わらなかった。

 変化が起きたのは小学4年のとき。クラス替えで、ある男子児童Aと初めて同じクラスになってからだった。

「オマエ、ホントに男?」

 第一声がそれだった。

 Aの家は、地元経済を支える巨大企業であった。

 Aの祖父が戦後に貿易業で財を成して以降、中小無数の町工場と提携して地場産業を発展させ、現在では主力事業のほかに病院や学校なども経営している。

 さらに社会貢献の一環として多額の資金を投じて市内に多くの公園や競技場などを建設し、上下水道や自然エネルギーの敷設にも携わり、じつに市民の8割が何らかの形でA一族の企業に関わっていると言われている。

 市長や役場の人間も創業家には頭が上がらず、さながら中世の地方領主のような権勢を誇っていた。

 何不自由無い家庭で甘やかされて育ち、幼い頃から大人たちにかしずかれることに慣れきったAは、自制心に乏しく、家族以外の人間をまるで家臣や従僕のように扱った。

 そんなAにとって、同世代の子どもは「生きたオモチャ」に過ぎず、気に入ってる間はそばに置いておくが、飽きればすぐに放り出した。

 自然、Aの周りに集まるのは、Aの気性や好みを心得た取り巻き連中であり、そうでない者は可能な限りAから距離をおいた。

 もっとも悲惨なのは、暇を持て余したAのターゲットにされた者で、Aや取巻連中から暴言、暴力、盗難といった、ありとあらゆる虐待を受けた。

 被害者本人やその親が学校や警察に被害を訴えてもまともに取り合ってもらえない。地域の経済や福祉に多額の寄付をしている一族に対して、強く出られる者はいなかった。

 そのような環境下で増長を重ねたAは、小学校に上がる頃には周りの大人の視線すら気にしなくなった。退屈な授業のストレスを発散するため、目についた生徒をいじめ続けた。

 そして小学4年に進級したその日、新たにターゲットにされたのがイツキであった。のちにAが自慢気に語ったところによれば、以前からイツキには目をつけていたらしい。

 いろいろな意味で目立つイツキの風貌が気に入らなかったが、クラスが離れていたため手を出すチャンスが無かったのだという。

 理性や倫理観というブレーキを失っているAからすれば、学校側の不当なクラス分けでおあずけを食らっていた気分だったのだろう。

 数年分のアイドリングから解き放たれたAの虐待は執拗であった。

 机や椅子に落書きされる。

 教科書や上履きを隠される。

 授業中に物を投げつけられる。

 登下校の最中に突き飛ばされる。

 そういったことが日常的に繰り返され、ときには女子生徒もいる教室の中で全裸にされたこともあった。

 地獄のような毎日が繰り返された結果、三学期からイツキは学校へ通えなくなってしまう。

 5年生になっても部屋に引きこもる息子を心配したイツキの両親は、他県で暮らす父方の祖父母に預けることにした。

 Aの影に怯える必要のない、のどかで平和な田舎での暮らしは、傷つき病んでいたイツキの心を癒やしてくれた。

 そしてある日、祖父は孫に新しい友達を紹介してくれた。

 近所の知人宅で飼われていた雑種の子犬である。イツキは子犬をすぐに気に入り、「アレクス」と名づけ可愛がった。

 子犬の世話については元の飼い主からしっかり教えてもらい、それをきっかけに近所づき合いや地元の愛犬家との交流も増えていった。

 こうして1年が過ぎる頃には、イツキの精神状態もだいぶ安定し、親しい者の前では明るい表情を見せるようになった。

「そろそろ家に戻って来てくれないか? Aとは別のクラスになったし、もう前のようなことはないだろう」

 息子の回復ぶりに安堵した両親からそう告げられたとき、イツキは即答できなかった。田舎の生活に慣れてきたこともあるが、Aへの恐怖心が消えたわけではないからだ。

 しかし長く離れ離れだった両親が恋しいのも事実である。

 再三に渡って両親から懇願されたイツキは、ついに両親のもとで暮らすことを決心し、心配する祖父母に別れを告げると、アレクスを連れて実家へ戻った。

 そして、地元に帰ってからわずか数日後、最大の悲劇がイツキを襲った。

 ある朝、自宅の庭で泡を吹いて死んだアレクスの死体が発見される。

 死体のそばには、農業用殺虫剤を混ぜた団子状のペットフードが散乱しており、人為的な事件であることは明白だった。

 実行犯はその日の内に明らかになった。蓮華家の庭に毒餌を投げこんだのはAであった。

 当日Aが蓮華家の前にいるところを近所の住民が目撃しており、さらに前日には大人に付き添われたAが地元のホームセンターで殺虫剤を買うようすも確認されている。

 何よりA本人が大勢の同級生がいる教室で、犯行の一部始終を自慢気に語っていたという。

噂はあっという間に広まり、すぐにイツキの耳にも入った。

 息子の醜聞に苛立ったAの両親は、地元の警察や報道機関に圧力をかけ隠蔽を図ったが、さすがに「小学生によるペットの毒殺」というショッキングな事件は大手メディアが見逃さず、首都圏でも大々的に報道された。

 隠蔽を諦めたAの父親は方針を転換し、弁護士団を引き連れ、事前の連絡も無しに蓮華宅へ押しかけると、大人数に囲まれ萎縮するイツキの両親に向かって傲然と言い放った。

「今回の一件は、子供のイタズラによる不慮の事故だ。子供同士のことにいちいち親が出張るのもなんだが、やたら騒ぎたててコトを大きくしたがるヤツがいるようなんでな。俺の息子が迷惑をかけたのも事実だし、相応の償いはさせてもらう。この中から好きなのを選ぶといい。すぐに用意させる。それで手打ちにしようや」

 Aの父親の手招きで弁護士のひとりが差し出したのは犬のカタログであった。掲載されているのは世界的に人気の犬種ばかりで、当然のごとくすべて血統証明書つきである。

 Aの父親のあまりに理不尽な言葉にイツキは絶句した。だが彼の両親は、そんな息子にカタログを押しつけ「有り難く頂戴しなさい」と告げたという。

 イツキが真に絶望を感じたのはこの瞬間だった。

 イツキの両親にしてみれば、息子にとって最善の道を選んだつもりだった。

「この街でAの一族に逆らっても無駄だ。むしろここで相手の顔を立てれば恩を売る形になる。そうなればさすがにAも遠慮してイジメをやめるだろう」

 そう考えてのことだった。

 だがイツキ少年にしてみれば、Aの父親に平身低頭する両親の姿は、死んだ愛犬への裏切りであり、その死を冒涜する行為にしか思えなかった。

 カタログを押し付けられた日の翌朝、ランドセルを背負って家を出たイツキは、家からほど近いマンションに入ると、エレベーターで最上階まで上がりそこから地上めがけて飛び降りた……。

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