その7

「最初は無視してたんだけど、授業が終わったあともからんできやがって。2、3日したらそいつとつるんでる奴らまで言い出してさぁ。……ホント、うざかったなぁ。テキトーにブッ飛ばしてもよかったんだけど、それで説教食らうのもワリに合わないだろ?」

 ルカにからんできた連中は、いわゆる「落ちこぼれ」であった。

 勉強も運動も得意とはいえず、授業中は集中力に欠け、定期テストは毎回全教科平均点未満。

 性格は陽気というより軽薄で、ルックスも体格も凡庸とあって、スクールカースト上位の陽キャ集団や不良グループの仲間には入れてもらえない。

 同じような者同士でツルみ、教室の隅で馬鹿話をして過ごすことが、彼らにとっての学校生活であった。

 進学先は地元の底辺高校と割り切っていて、受験戦争からも早々に脱落している。そんな中学生にとって、教師のお説教など痛くも痒くもない。

 学校は無法地帯も同然で、同級生へのちょっかいなどやりたい放題である。教師の目の届かない休み時間はもとより、授業中でもお構いなしであった。

 理科の授業で薬品を扱ったとき。

 社会科の授業で公害についてふれたとき。

 教師の口から「匂い」や「香り」、「臭い」といったワードが出るたび、ルカを指さしてはしゃいでいた。

「さっきも言ったけど、俺、中学じゃ成績よくてさ、そいつらド底辺だったから、ひがんでたんだろうな。うっとうしいから休み時間は教室にいないようにしてたけど、結局、中3の終わりまでずっと言ってたなあ。バカは飽きるってコト、知らないんだろうな。トーゼンだけどバカたちとは高校は違うから、中学卒業して縁が切れてそれっきり。せーせーしたよ」

 からんできたヤツらは、どいつもこいつも中学に入るまで名前も知らなかった連中だ。

 同じ通学区域内だから道端ですれ違うくらいはするかもしれないが、もはや住む世界が違うのだからどうでもいい。今後、ヤツらがルカの人生に関わることはないのだ。

「……たださ、それをホントに実感できたのは、高校行ってからなんだよな。入学して、初めて教室に入って、自分の席について周り見たらさ、知らないヤツらばっかなんだよ。同じ中学から行ったのは10人くらいだから当たり前なんだけどさ。んで、そのトキ、ようやく『この学校にあのバカたちはいないんだ』って実感したんだよな。そしたらさ……」

 ルカの声がわずかにかすれ、目元がかすかに潤んでいたが、イツキはあえて気づかぬふりをした。

「……そしたら俺、何か、すげーホッとしてんの。『もう、あのバカたちと二度と会わないんだ』って。自分でもビックリしたよ。なんで急にそんなコト考えたんだろうって。たぶん、そんくらいキツかったんだよな、アイツらの存在が。気づかなかっただけで」

 いったん口を閉ざしたルカは、思い直したようにかぶりをふった。

「……違うな、ホントはずっと分かってたんだ。認めたくなかっただけで。俺は……、イジメにあってて、それがすごく辛かったってコトが」

 黙って聞いていたイツキが線の細い肩を震わせたが、古傷の痛みに耐えながら述懐するルカは気づかない。

「『いつでも殴り飛ばせる』とか『バカの相手はしてられない』って思ってたけど、ホントはそう言い聞かせてたんだよな自分に。イジメられてるコトがダサくて、情けなくて、必死に目をそらしてたんだ。高校入って、強がる必要ないって分かって、それで、ようやく現実を認められたんだ」

 憎らしい同級生の顔や声が頭の中で反響し、湧き上がる黒い感情が胸を圧迫する。

 記憶の墓場から、かつてのみじめな自分の姿を掘り起こしたことで、腐臭の如くこびりついていた屈辱感まで吹き出してしまった。

(あー、ダメだダメだ!)

 ルカは額に手を当てながら頭をひと振りし、脳裏にわだかまる忌々しい日々の残照を払い落とす。

(バカが! なに、ひたってんだ! いまはイツキの話だろ!)

 そうして自分語りを打ち切ったルカの視界に、無言でうなだれるイツキの姿が飛びこんできた。

「ごめん、ダッセンした! どうでもいいよな、こんなの。オマエの昔話とか知るかってな。いつまでグチグチいってんだって、ほんとダサいよな。今ダイジなのは、そうじゃなくて」

 小学生相手に愚痴をこぼしていたことが急に恥ずかしくなり、ルカの顔が耳の先まで真っ赤になる。

「なに話してたんだっけ……、あ、そうそう! そんなワケでさ、俺には何も言えないなってコト! 生きてりゃいいコトあるって言う人いるし、それはホントかもだけど、だからってヤなコトが無いワケないもんな。ヤなことをムリしてやる必要なんてないし、まして俺がそれを頼むなんてありえないんだよな! 家族でもないヤツがさ、ちょっといっしょに暮らして、料理教えてもらっただけでさ。むしろ迷惑かけてるブンザイで、そんなケンリないっていうか」

 本音を言えば思い直してほしい。もっとたくさんの料理を教えてほしい。だがそれは言ってはいけないことだった。

 さっきはつい口にしてしまったが、あまりに無神経だったと今さらながらに後悔している。

 イツキの抱えている事情は知らないが、少年が生きることに絶望するほどの心の傷を抱えていて、ルカにはその傷を癒やすことなどできないことくらい分かっている。

「……だから、しょうがないよな……。終わらしたって。イツキがそれがいいっていうならさ」

 食器を片づけようとルカが立ち上がりかけたとき、うなだれたイツキの口元からささやきがこぼれ出た。

「……僕も」

 か細く震える声は、まるで泣いているかのようだ。

「僕も……そうだったよ」

 顔を伏せたままイツキは語り始めた。

 異世界へ飛ばされる前に過ごした地獄のような日々について。

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