その6

「……どうしたの?」

「え?」

 ルカが我に返ると、心配そうにこちらをうかがうイツキと目があった。

 いつもなら、ひとりでしゃべり倒しているルカが、帰宅してからまともに口を開こうとしないことに違和感を覚えたからだ。

「なんかずっとぼーっとしてる。サカナ、嫌いなんだっけ?」

「サカナ?」

 その日の夕食は、アジの刺し身にショウガと青じそを加えたちらし寿司だ。刺し身の端がガタガタなのは、魚屋で買ってきたアジをルカが三枚おろしにしたからである。

「ん? あ、いや、違う違う。そんなコトないぞ。こっちでも異世界むこうでも食べてたからな。カタチはゼンゼン違うけど。いちおう自分でさばいたこともあるぞ? 言ったっけか?」

「それは聞いたけど……」

 急に饒舌になったルカを、イツキはきょとんとして見つめている。

 勢いよくまくし立てれば立てるほど、相手の不審感をかきたてるだけなのだが、ルカはそんなことにも気づかない。

 イツキの指摘は、ある意味では図星だったのだ。

 昼間、リンに安楽死の執行日を告げられてから、ずっとルカはそのことで悩んでいた。

(どう伝えるべきなんだろうなあ。命に関わる話だからな。子ども相手になぁ……)

 普通に考えれば、リンの言葉を事務的に伝えるだけでよいはずなのだが、なぜかそれではいけないような気がして、なかなか言い出せずにいたのだ。

「そ、そうだっけ。まぁ、ちゃんと習ったわけじゃないからこのザマなんだけどな。おまけに2こ目の世界じゃゼンゼンやらなかったし。そりゃ忘れるって。けど、だからって嫌いになったわけじゃないぞ? ホント。コレだって、200年ぶりにしてはウマくできたほうじゃね?」

 いつもの調子でとりとめない話をしながらも、上手い切り出し方を探っている。

 先延ばししたところで意味がないことは分かっているのだ。

(事前に手続きがあるかもだし、伝えるのが遅くなればそれだけイツキが困るんだよな)

 頭では理解しているのに、なかなか踏ん切りがつかない。

 つまるところ無意識のうちにルカ自身にためらいがあり、伝達を遅らせる口実を探しているだけなのだが、本人はそのことに気づいていない。

 無駄に悩んだところでいい案が浮かぶわけもなく、結局、会話が途絶えたタイミングでストレートに言うことにした。

「あのさ、決まったよ。例の、あー、執行日。君の」

「……!」

 ルカはさりげなくイツキの反応をうかがったが、その表情からは何も読み取ることはできなかった。驚き、喜び、不安、いずれとも違う気がするし、そのすべてを含んでいるようにも見える。

 やや間を置いてから、イツキは話の続きをうながした。

「……そう。それで、いつ?」

「4日後。来週月曜の夕方5時だって。異民局で」

「……分かった」

 そう言ってうなづくとイツキは無言で食事を再開した。

 その後は、出会った頃のようにイツキは押し黙ってしまい、ルカも何やら思いふけり、どちらも言葉を発しないまま目の前の料理を食べ続けた。

 やがて、ルカはすべての料理を食べ終えたが、空いた食器を片づけるでもなく、麦茶の入ったコップを手にしたままその場を動かない。

「……ごちそうさま……」

 食事を済ませたイツキが席をたとうとしたとき、ようやくルカはためらいがちに口を開いた。

「あ、あのさ……」

 だが思い切ったはいいものの、そこから先が続かない。用件を告げずに黙りこむルカを、イツキが不思議そうに見返す。

「……?」

「あ、いや……」

「……なに?」

「……あのさ、俺……」

 ルカはイツキの目を正面から見返した。上手く伝えられる自信はなかったが、それでも今自分が感じていることを伝えたかった。

「……俺さ、今のこの生活が、なんか楽しくなっててさ。もうちょっと、続けられたらなって、思ったんだけど」

「! ……でも、それは……だって……」

「いや、ダイジョブ! 分かってるっ。ムリな話だってのは」

 イツキが困惑するのを見て、ルカは慌てて釈明する。

「ホントっ。ただ俺のワガママで。なんかこう、ちょっとくらい延長してもらえたらなって。そんな都合のいいコト考えたってだけだから」

 自分の意見をイツキに押しつけるつもりはなかったし、なにより幼い同居人を困らせるのは本意ではなかった。

「たださ、それで、説得、じゃあないんだけど、なんかいい感じの話できないかなって思ってさ。考えたんだ。俺がキミくらいの頃、結構楽しかったよなって。中学の頃は成績良かったんだぜ? これでもさ。部活もやってて、友達も結構いたなって」

「……」

「……けど、そうやっていろいろ思い出してたらさ、案外そうでもなかったなって」

「……?」

「すっかり忘れてたんだけどさ。ヤなコトまで思い出して。そしたら……、何も言えなくなったんだ」

 何かを察したのか、ルカに向けられるイツキの瞳が微妙に揺らぐ。

 ルカはあらぬ方を見つめながら、ふだん思い返すことのない記憶の墓場を掘り起こしていく。そこに埋もれているのは、数百年分の記憶の中でも、もっとも歪な形をした、傷みの激しい棺であった。

 棺についた土を恐る恐る払い除け、重い蓋をゆっくりと開いていく。

「中2の夏だったかなぁ。体育の授業で着替えてたときに、体操着がニオってたことあったんだよ。洗ってなかったわけじゃないぞ? その逆で、ナマがわきってかさ、洗剤の匂いみたいなのが残ってたんだよ。ただそれだけなんだけどさ、それをやたらイジるやつがいたんだよ。いるだろ? くらだねーことで騒ぐヤツ。そいつが『くせーくせー』って言い出したんだよ」

 言葉にすることで古ぼけていた記憶がより鮮明になっていき、憎らしい連中の顔や声が浮かび上がってくる。

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