その4

 同居3日目。

 この日、ルカとイツキの2人は、その関係性において大きな転換点を迎える。

 結果から言うと、その日の夕食作りは大失敗であった。

「……お肉、それじゃ、小さすぎ」

「え? あれ、でも、小さいほうが火が通りやすいんじゃ?」

「……小さすぎるのもダメ。それじゃ、お肉が、カタくなっちゃう……」

 ルカ発案のからあげは、下準備の段階からつまづいていた。

「違う、衣は肉に下味をつけてから。……さっき、言ったでしょ?」

「わ、悪い! 忘れてた」

「ダメっ。調味料は、順番守って。最初に塩とコショウをもみこんで、にんにくとしょうがは、そのあと」

「そうだった、ごめん!」

 作業が進むにつれイツキの語気も強くなっていく。ふだんは会話中でも不安げに視線をそらす少年が、今日はつねにルカを視界にとどめ、その一挙手一投足に目を光らせている。

 肉を揚げる段階になると、もはや別人のようにきびきびと指示を出し、わずかなミスも見逃さない。

「あげすぎっ。もう出して! 急いで」

「え、でもじっくり揚げないと火が通らないんじゃ……」

「だから、そのために二度揚げするっていったじゃん! 最後に余熱も利用するって。ちゃんと聞いてて!」

「す、すまん!」

 高温の油を使うため、わずかなミスが事故や大怪我につがなる。これまで以上に指導に熱が入るのも無理はない。

「ぜんぶいっぺんにもどさないで。油の温度が下がるから、少しずつっていったでしょ!」

「す、すまん……、うわ!」

 慌ててフライパンから肉を取り出そうとしたルカは、手にしていた皿を取り落とし、キッチンに置かれていた食器類が派手な音を立てて散乱する。

「やばっ! あ、でも火が……!」

 火の上で激しく音を立てるフライパンと、床に散乱する皿や小麦粉。どちらを先に処理すべきか、一瞬ルカの頭は真っ白になったが、イツキの声で我に返った。

「大丈夫っ。こっちはいいから床をお願い」

「! わかった」

 手にしていた菜箸をイツキに手渡すと、部屋の隅に置かれた掃除用具のもとに走り寄る。

「掃除機は使わないで。ホウキではいて、そのあと雑巾がけ。終わったらテーブルを片づけて」

 皿と菜箸を手にフライパンの前に立ったイツキは、ルカに指示を出しながら、てきぱきと鶏肉を揚げていく。

 そして、ルカが散らかったテーブルを片づけ終えたときには、すべての行程が終わっていた。

「いただきます」

 大皿に盛られた唐揚げの山から、ルカは手近なひとつを取り口元へ運んだ。

 片栗粉と小麦粉を混ぜ合わせた衣はサクサクとした軽い歯ごたえで、噛み締めたとたんニンニクと生姜の香りをまとった肉汁があふれ出てくる。

 イツキが母親から教わったという唐揚げは会心の出来栄えであった。

(……うまい。フツーに店に出せるな、これ……)

 しかし、それほどの逸品を前にしながら、ルカの箸の進みは遅い。

(結局、ほとんど、イツキにやってもらっちゃったなぁ)

 その役を担うはずだった自分は、イツキに教えを乞うどころか、みっともない失敗を重ね邪魔をしただけ。いくら初心者とはいえあまりに情けない。

 自分の未熟さを改めて痛感させられたわけだが、作業に入る直前まで調子に乗っていた分、落差が激しい。

「外はサクサクで、なかはふんわり。うん、うまくできた。お肉の大きさがちょうどいい。ルカさんの切り方が上手だったおかげだね」

「……」

「下ごしらえのときにお酒を加えるやり方もあるんだ。こんどはそれも試してみようか?」

 箸と同じくらい口の動きがのろいルカに変わって、その日の食卓を賑わせていたのはイツキだった。

「……小さいヤツは、やっぱカタくなっちゃってるよな。見た目もバラバラだし……」

「でも、味は悪くないよ、そんなには」

「ごめんな、ちゃんと聞いてなかったから」

「僕もよくなかった。ぜんぶいっぺんに言ったから。もっと、ひとつひとつちゃんと確認しながらやらないとダメだった。それに、もう覚えたでしょ?」

「それは、まあ……」

「なら、次は大丈夫だよ」

 心ここにあらずのルカが機械的に相づちをうつなか、イツキは親身に声をかけ続ける。

「……だと、いいんたけどな」

「誰だって失敗するよ。僕も、ナベを焦がしたことあるし。道具を片づけ忘れて、叱られたコト、何度もあるし」

「でもイツキはこんな上手じゃないか。俺とは違うよ。向いてないのかもなあ、俺」

「僕は慣れてるだけだよ。始めからうまくデキる人なんていない、って父さんも言ってた。次はきっと、もっとうまくデキるよ」

「そうかなぁ」

「そうだよ。キャベツの千切りだって、ほら、キレイにデキてるよ? この間、教えたばかりなのに。ちゃんと上達してるんだよ」

 イツキが細断されたキャベツを箸でつまんでみせる。太さも長さもまちまちで、いかにも素人芸なのはルカの目から見ても明らかだ。

 それでも、料理上手なイツキからこれだけ褒められると、「意外と悪くないんじゃないか」と思えてくるから単純なものだ。

 そして、ルカにはもうひとつ気づいたことがあった。

(ああ、そっか。……ん~、これはだいぶ情けないな。まったく、いい子すぎだろ、マジで)

 内気なイツキが、なぜ今日に限ってこれほど積極的に話しかけてくるのか。理由は考えるまでもない。気づかないルカが鈍すぎるのだ。

「……どうかした?」

「いや、ホントに少しでもマシになってるんなら、よかったなってさ」

 年少者に励まされる自分を情けなく思う気持ちもあったが、少年の温かい気遣いに心が軽くなったのもたしかである。

 そしてそれは、食事が終わったあとの後片づけの間も続けられた。

「お皿の洗い方、もう慣れてきたね」

「まあ、このくらいはな。もう3日目だしさ」

「でも最初は、ゼンゼンできなかったじゃん。うまくなってるんだよ」

「そっか。じゃあ料理で遅れてるぶん、皿洗いをキワめていくか」

「すぐ上手になるよ、どっちも」

「だな」

 太鼓判を押すイツキに、ルカは笑ってうなづいた。

 料理修行はまだ始まったばかり。覚えなければならないことはまだまだ山のようにあるのだ。つまらないコトを引きずって時間を無駄にできない。

 イツキの厚意と誠意に報いるためにも、さっさと気持ちを切り替えて、これまで以上に精進するだけだ。

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