第9話 ショクザイノフクシュウ

その1

 勢いから始まったルカとイツキの同居生活は、予想していたよりも順調だった。

 イツキがほとんど自室から出てこないため、同居人同士の接触機会が少ないということもあるが、双方とも他人のライフスタイルに干渉しない性格だったことも大きい。

 イツキが自発的に部屋を出るのはトイレや風呂を利用するときくらいだが、このときもルカと顔を合わせないよう念入りに機会をうかがっている節がある。

 ごくたまに、リビングに入ったルカが、足音を立てず室内を徘徊する異世界猫ラムラーレに遭遇し悲鳴を上げることもあったが、2日も経つ頃にはすっかり慣れた。

 後日になって分かったことだが、ルカが学校やバイトで不在の間、イツキは部屋から出て、屋根の上や庭の芝生など寝心地の良い場所を見つけてゴロゴロしていたようだ。

 そんなルカとイツキが、一日の中で必ず顔を合わせるのは朝夕の食事の時間であった。このときだけはイツキも人間の姿でルカの前に現れるため、台所と食卓が2人の唯一のコミュニケーションの場といえた。

 そして、2人にとっての食事とは、単に「食卓を囲む」ことを意味するわけではない。

 イツキは同居前に交わした約束を守り、ルカに料理を教えてくれた。しかもありがたいことに、レクチャーの内容は調理だけにとどまらず、食材の選び方から後片付けまで含まれていた。

 料理ド素人のルカには、基礎の基礎から教える必要がある。イツキは、およそ一週間という短い期間の中で、できるだけ多くのことを学んでもらうつもりだったのだろう。


 同居1日目。

 イツキの引っ越し荷物の片づけをおおかた済ませ、そろそろ異民局へ戻ろうかというとき、ルカはイツキから一枚のメモを渡された。そこには「カレーライス」という料理名と、それに必要な材料と分量が細かく書きこまれていた。

 料理教室の開催を決めたときから、イツキは最初のメニューについて考えてくれていたようだ。

 メモを渡す段になって、イツキは、ルカの好き嫌いをまだ確認していなかったことに気づき、少し不安そうにしていたが無用の心配だった。

「あ、カレーか! 懐かしいな、ガッコウのキャンプで作ったよ。すげー大昔だけど。やっぱ定番なのかな? カレーって、キライなヤツいないよな」

 嬉々として思い出を語るルカを見て、イツキは小さく安堵の息をもらしていた。

 教わる立場のルカにしてみれば「無理に頼みこんでおいて不平や不満を言えるわけがない」と考えていたので、はじめからイツキの指示に全面的に従うつもりでいた。

 イツキをアパートに残して異民局に戻ったものの、その日のルカの仕事はほとんど終わったようなものだった。

 フウマたちから福祉課とのやりとりについて聞いたあとは、他部署の雑用に駆り出されたくらいで、とくに大きな事件や事故も起こらず終業時間を迎えた。

 慧春えはるへの報告書に苦心するリンを残し、定時で異民局を出たルカは、自宅近くの商店街で食材を買い集めアパートへ戻った。

 買い物袋をリビングのテーブルに置いたルカが、いったん着替えのため自室に向かうと、入れ替わるようにして奥の部屋のドアが開き、子猫サイズの異世界猫ラムラーレが顔を出した。

 イツキはリビングまで出てきたところで変身をとき、買い物袋から取り出した食材をテーブルの上に並べ、買い忘れがないか確認する。

 着替えを終えたルカが戻ってきたところで、さっそく1回目の調理実習が始まった。

 このときはまだ、教える側と教わる側、どちらも気楽に構えていたのだが、その考えが甘かったとすぐに悟らされることになる。

「……ダメ。ジャガイモは、まだ、水につけておいて。5分くらい。土がとれやすくなる」

「違う、こう……。皮をむくときは刃の根本。包丁を動かすんじゃなくて、野菜のほうを回す感じ」

「あの、もっと薄く切れない? 野菜って、皮にたくさん栄養、あるから。もったいないよ……」

 最初のレッスンは、調理に入る前の下準備の段階から、早くもダメ出しの連発であった。

(この人、こんなコトも知らないんだ……。高校生なのに……)

 イツキの驚きは決して小さいものではなかった。

 事前に未経験だと知らされてはいたが、とはいえ相手は高校生、小学生から見れば立派な「大人」である。その大人がこんな簡単なこともできないとは、イツキにはとても信じられなかった。

 驚愕という点でいうと、教わる立場のルカも似たような心境にあった。

 ルカがまともに料理に取り組むのはこれが初めてだ。とはいえ、300年以上も生きていれば、他人の作業をそばで見物したり、簡単な手伝いをしたことは何度もあった。

 熟練の料理人が手早く調理を行うのを間近で見ていたため、心のどこかで「自分もそこそこできるだろう」と高をくくっていたのだが、この日、その根拠のない自信が完全に打ち砕かれた。

「えっと、次はなんだっけ? これ炒めるんだっけ?」

「……まって。ぜんぶ入れないで。まずは、お肉から。順番、教えたでしょ」

 初心者のルカに基本の基本から教えているため、作業はなかなか進まない。ふだんのイツキなら倍以上の速度で終わらせていただろう。

 そして料理の手際以外にも、イツキを驚かせたことがある。

「そういえば、バラ肉とコマ肉ってあるじゃん? あれ何が違うんだろ。ウシとブタ?」

「……部位」

「ブイ? ランク的なコト?」

「…………。ホントに、高校生なの……?」

 常識すら疑われながら、何とかルカが料理を作り終えたとき、時計の針は20時に迫ろうとしていた。

 テーブルに料理や飲み物を並べ席についたルカは、斜め前に座るイツキに頭を下げた。

「ゴメンな。こんな遅くなって」

「……べつに」

「料理ナメてた。自分ではもうちょいデキると思ってたんだけどさ。ゼンゼンだったな。ほんとゴメン」

 慣れない椅子の座り心地を試しているのか、イツキは軽く腰を上下させながら、ルカのほうをちらりと見た。

「……いいよ。初めてなんでしょ? 悪くなかった、と思うよ……。……そんなには」

「そう? そうかな。ならいいんだけど。なんかジャマしただけだった気がするんだよなぁ。ひとりでやったほうが早かっただろ?」

「それは……、そうだけど。……でも」

 料理道具が並んだままのキッチンを見やり、イツキの口元がわずかに緩む。

「……楽しかったよ。久しぶりだったから……、誰かと作るの」

「そうか? ならよかった。明日はもうちょいガンバるよ。んじゃ、いただきます!」

 ルカはいささか大げさに手を合わせ、イツキも小声で食前の祈りをつぶやいてからスプーンを手にした。

「あ、ウマいっ! ウマいよ、これ。すごい、店に出していいレベルだよ!」

「おおげさだよ……」

「え? そうか? いやでも、ほんとウマイよこれ。肉やわらかいし、ニンジンもじゃがいも味がしみこんでるし。こっち戻ってから何度もカレー食べたけどゼンゼン違うよ。なんだろ、香りかな? すごい鼻にくるっていうか、かいでるだけでお腹すく感じ」

 しきりに口と手を動かしながら、ルカはあっという間に半分ほど平らげてしまった。

「……ウチでは、ニンニクとか入れたりもする。あと、ヨーグルトとか……」

 イツキはうっかり口を滑らせたことに気づいたが、もう遅かった。

「えっ、ヨーグルト!?」

「…………」

 驚きで見開かれたルカの目が、かつての同級生たちを思い起こさせる。

 昔、同じ話を数人の友達の前でしたときも、まったく同じ反応をされたのだ。イツキにとっては幼い頃から慣れ親しんだ味であり、他の家庭もそうだと思いこんでいたのだが、そうではなかった。

 この一件以来、同級生の間で「あそこの家は『普通』とは違う」と言われるようになり、食事や生活習慣の話が出るたび、興味津々で質問されるようになった。

 そういうことが繰り返されるうち、イツキ自身も「自分の家は周りと違う」と感じるようになり、やがてイジメを受けるようになってからは、これらのことを持ち出されてからかわれた。

 また同じことが繰り返されると思うと憂鬱でたまらない。

「へー! ゼンゼン想像つかないけど、なんか美味しそうだなぁ」

 失言を悔いてうなだれていたイツキは、意外な反応に耳を疑った。

「え……?」

「甘くなるのかな? それとも甘酸っぱい感じ? なんで今日はナシなの?」

「え、だって……、今日は、練習だし……。それに、好き嫌いも知らないし……」

「あー、そっかそっか。はじめは基本が大事だもんな。そりゃそうだ。あ、でも、コレでもすごいウマいからな。ヨーグルト入れればいいの? 明日買ってこようか?」

「……それはダメ。そういうコトじゃない……」

 安直な思いつきをたしなめられ頭をかくルカを横目に、イツキは口元をわずかにほころばせていた。

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