その9

 いつの間にか席を離れてカウンターの上に移動していたユウトは、パーカーの周囲にできた人垣を無表情に見下ろしていたが、胸元にかすかな振動を感じカウンターの反対側に降り立った。

「はい、ユウトです」

 ケータイのパネルには上司の慧春えはるの名前が表示されている。

「ええ、大丈夫ですよ。すいません、ちょっと騒がしくて。……いえ、まだなんです。現地へ向う途中で横槍が入りまして。……ええ、そうです。いつものことですよ。おまけに人を呼びつけておいて、いまだに詳細を説明しようとしないんです。……そうなんです、しかも何やら身内で口論始めちゃいまして。ほんとに困ったものです。……はい、それはもちろん。……え? でもそれは……。……なるほど、そういうことですか。わかりました。では、こちらが片づき次第戻ります。……はい、失礼します」

 通話を終えたユウトはケータイをポケットにしまいながら立ち上がった。カウンターの向こうでは、まだRSA捜査官たちによる臨時法廷が続いていた。

「いいかげんにしろお前たち! 自分たちが何をしているのか分かっているのか! 確たる証拠もなく上級捜査官を誹謗し、命令に背くことは、立派な職務規定違反だぞ! 査問の対象になりたいか!」

「状況を理解されていないのはそちらのほうでは!?」

「独断の話が事実かどうかだけでも答えてくださいよ。それとも言えない理由でもあるんですか?」

 ユウトの恫喝とそれに続く裏事情の暴露によって、チームの秩序は完全に失われていた。多少の個人差はあれども、メンバー全員がパーカーに対する怒りと不信感を顕にしていた。

 とくにいきり立っているのは、パーカーと同年代あるいは年長とおぼしき捜査官たちであった。

「組織を私物化していたなんて大問題だぞ! パーカーをかばうというなら、バグネイル、貴様も同罪だぞ! クビだけでは済まさんからな!」

「アンタらの関係は前々から知ってたが、現場にプライベートを持ちこまれたら迷惑なんだよ! 挙げ句に全員そろって出戻りレッジの下僕だぞ! どうしてくれるんだ!」

「ランドレス捜査官、そういう言い方は良くないんじゃないか?」

 パーカー越しに発せられた氷点下の嘲笑が、怒りで沸騰する捜査官たちの頭に冷水を浴びせた。ダイナーにいる全員の視線がカウンターの上に腰掛けた人物に注がれる。

「帰還民に対する君の差別行為の数々が許されてきたのは、その上司の後ろ盾があってのことだろ? であれば、最後まで上司と運命をともにするのが筋じゃないのかな。『僕は罪をつぐなうチャンスをあげているんだ。本当なら今この場で人生を終わらせてやってもいいんだよ?』」

 投げかけられた言葉の後半部分を、本当の意味で理解したのはランドレスと呼ばれた男だけであった。ランドレスは驚愕に目を見開き、足を震わせながら数歩後退した。

 それは、かつてランドレス自身が帰還民の少年に浴びせた言葉であった。

 その日、授業を終えて校門から出た少年は、待ち構えていた数人の大人たちに取り囲まれた。

 ただ異世界に飛ばされたというだけで、少年はランドレスからまるで犯罪者のように扱われ、ひどい暴言を浴びせられた挙げ句、迎えにきた母親と大勢の友人たちが見ている前で拘束されたのだ。

 世間から隔離された少年は、いまだに収容所から出られず、家族と連絡をとることすら許されていない。

「パーカー主任、内輪もめをしているヒマがあったら、依頼の内容について説明してくれないか? 長引けば長引くほど君のご家族も大変だろうし」

「……なに? どういう意味だ!?」

「ミシェルたちの代わりに、バラフートにはニコル氏とロイド君にご滞在いただいてるんだ。まさか無人にするわけにもいかないだろう?」

「じゃあ、さっきのは……。なんてことを! 無関係の人間を巻きこむなんてどういうつもり! ロイはまだ子供なのよ!」

 そう叫んだときのパーカーは、政府直轄の組織に所属する上級捜査官ではなく、ごく平凡なひとりの親であった。

 ユウトの非人道的な行為に対して向けられる怒りは、子供の身を案じる親として当然の感情である。しかしもとを正せばパーカー自身が命じたことであり、他人を非難できる立場ではない。

 その場で声に出して指摘する者はいなかったが、冷たくパーカーを見返すユウトの目がそう物語っている。

 パーカーは拳銃をユウトに突きつけるが、動揺のあまり狙いが定まらない。

「8歳のキャスに耐えられたんだ、問題はないだろ。『僕は僕の敵を叩き潰すためなら、いかなる犠牲も惜しまない。敵の身内であれば子供だろうと容赦しない。恨むなら、愚かな親を持った自分の運命を恨むことだ』」

「……!!」

 ミシェルとキャサリンを拘束した際に投げつけた言葉が、数日のタイムラグを経てパーカーの胸をえぐる。

「予めいっておくけど、バラフートのスタッフには君の言葉は届かないよ。家族のためを思うなら、さっさと任務を終わらせたほうがいいんじゃないか? 君が部下に与えた命令を覚えているならね。彼らは忠実に実行するよ」

 それが決め手になった。ユウトに向けられた銃口が力なくたれ下がり、パーカーはがっくりと膝から崩れ落ちた。

 パーカーを糾弾していた捜査官たちも、ユウトの標的になるのを恐れて壁際まで下がっている。

 大切な息子を奪われ、部下たちにも見放され、RSA捜査官としての将来も望めない。すべてを失った。パーカーはダイナーの床についたシミを見つめながら、その事実を噛みしめる。

(なぜこんなことになった……。私が間違っていたというのか……? アメリカの秩序のため、世界の秩序のため、正義を貫くことが悪だというのか……)

 パーカーは歯噛みしながら床のシミを叩いた。何度も何度も。部下たちが浴びせる哀れみや蔑みの視線にも気づかぬまま。

(……いや、違う! 断じて違う! 私は何も間違っていない! 私は正しい! 私こそ正義だ! 間違っているのはコイツだ! この男だ!)

 濁りきったパーカーの目がユウトを睨みあげた。

出戻りレッジめ! 運に恵まれただけの異能者め! 力を誇示して神にでもなったつもりか! 貴様らはただの犯罪者だ! 社会のクズだ! 悪魔だ!」

「その悪魔に頼み事をしたくて呼びつけたんじゃないのかい? さっさと願い事を言ってくれよ、ファウスト」

 パーカーの最後の虚勢を、ユウトはこうるさげに切り捨てる。

 RSAによって無実の罪で虐げられている多くの帰還民とその家族の流した涙に比べれば、出世の階段から転げ落ちた敗者の泣き言など、雨粒ほどの価値もなかった。

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