その6
そのとき、奥の席にいた白人の女性が立ち上がり、一同のもとに歩み寄ってきた。
黒のパンツスーツに、グレーのシャツを着た30代半ばの人物で、一同に向けられる視線は餌を見つけた毒ヘビのように刺々しい。
「! ……2人とも俺の後ろへ。急げ」
なごみかけていた室内の空気が再び緊張をはらんだ。アレクは妻と娘を背中に隠し、さらにその後ろをドンがカバーする。
だが、歩み寄ってきた女性はアレクたちには見向きもせず、椅子に座ったままのユウトの前で足を止めた。
「ユウト・ハマゴウだな」
名指しされたユウトは、椅子に深く腰掛けた姿勢のまま顔だけを女性に向けた。
「
「!」
──
国家情報長官に直属する機関のひとつで、帰還民に関するあらゆる情報を管理し、帰還民の関わる事件及び事故の捜査権を専有し、超法規的手段の行使も一部認められている。
前身にあたる
「……話が早くて結構。さっそく同行してもらおう。立て」
「断るといったら?」
「この場で拘束する」
有無を言わさぬ口調でパーカーが片手を上げると、ダイナーにいた客と店員が一斉に隠しもっていた武器を取り出した。RSAの捜査官があらかじめ変装して潜伏していたのだ。
武器を持った大人たちに包囲され、幼いキャサリンが小さな悲鳴をあげて父親にしがみつく。
アレクは両腕で妻と娘を抱き寄せ、ドンはふてくされた表情で両手を挙げてみせる。ただひとりユウトだけは、わずかな動揺も見られず椅子の上でくつろいでいた。
「ずいぶんと乱暴な話だ。理由を聞かせてもらえるのかな?」
「政府の施設に不法侵入しただけで拘束理由としては十分だ。なんならテロリストに認定してやろうか。せっかく連れ出したそこの友人ともどもな」
客に扮していた捜査官たちはアレクたちを二重三重に包囲し、出入り口も完全にふさいでいる。スタンガンやスタン警棒を手にした者たちが最前列に立ち、命令一下、いつでも襲いかかる構えだ。
「ユウト……!」
アレクは後悔の念にさいなまれていた。RSAの用意した罠の中にユウトを誘いだし、この状況を作り出してしまったのは彼自身だったからだ。
家族を拉致されやむを得なかったこととはいえ、自分を信頼してくれた友人を裏切り、窮地に陥れたことは事実である。
「本当にすまない! こんなコトになって……! 俺は……!」
「心配しなくていいよアレク。ミシェルとキャスも。何かの間違いさ。彼らの言ってることに、まったく身に覚えがないんだから」
ユウトがぬけぬけといってのけると、先日、そのユウトにアレクの窮状を伝えたドンでさえ半ば呆れたが、口に出しては何も言わなかった。
事あるごとに特権を振りかざし捜査に横槍を入れてきたRSAのことは以前から不快に思っていて、今回の一件で完全に頭にきていた。ドンに言わせれば
「
であり、そんな連中がユウトにあしらわれる様はじつに小気味よい光景であった。
「……
パーカーは汚物を見るような目でユウトを見下ろす。ユウトのふてぶてしさは癇に障るが、「友人家族を安心させるための虚勢」と見て取り、その無駄な努力をあざ笑う。
「その女たちが何よりの証拠だ。2人の身柄は我々の保護下にある。施設の外へ無断で連れ出した時点で貴様は犯罪者だ」
「聞いていなかったのかな? 2人とは来る途中でたまたま会っただけだよ。そもそも君のいう施設とやらはどこにあるんだい?」
「バカめ。そんな姑息な弁明が通じると思うか。お前が答えないなら、そこにいる2人に聞いてもいいんだぞ?」
大人たちから視線を向けられたキャサリンは、両目を閉じて父親の足にしがみつく。
ここ数日の隔離生活で受けた心理的ストレスに加え、今もこうして大勢の大人たちの理不尽な悪意にさらされながら、幼女は両親の足手まといにならないよう健気に耐えている。だが、震える足は今にも崩れ落ちそうだ。
ミシェルは震える娘を抱きかかえ、妻と娘を背にしたアレクは、RSAの捜査官たちを睨みつけると、前に一歩踏み出した。
意気消沈していた先ほどまでとは、まるで人が変わったかのようだ。愛する2人の盾となったアレクは、戦士としての気迫と闘志を取り戻し、はちきれんばかりに盛り上がった筋肉が全身を凶器に変えている。
「……おい、危ないこと考えてねーだろうな。よせよ? 今はミシェルとキャスのことだけ考えてろ」
アレクの次の行動を予測したドンが小声でたしなめる。
「分かってる。俺は冷静だ」
「冷静なヤツはそんなこといわねーんだよ……」
アレクを取り囲む捜査官たちは、予備役少佐の発する気配に圧されたじろいだ。先日、彼を強引に確保しようとして、5人の同僚が一瞬で病院送りにされたのを思い出したのかもしれない。
なかにはスタンガンを持つ手が震える者もいて、このまま威圧され続けれたらたまらず発射してもおかしくない。
店内の空気が張り詰めるなか、ユウトだけはあいかわらずとぼけた会話を続けていた。
「君たちが人違いしている可能性はないのかい?」
「なんだと?」
「そこにいる2人と、君たちの保護しているという2人が、別人かもしれないということだよ」
これにはRSAの捜査官だけでなく、アレクたちでさえ呆気に取られた。アレク自身が本物のミシェルとキャサリンだと認めているのだから人違いのはずがない。
「……たいそうな能力者と聞いていたが、少なくとも言い訳のスキルは6歳児以下だな」
パーカーの反応は至極当然のものであったが、ユウトも主張を変えない。
「そうかな? 確認したほうがいいと思うよ。あとでミスだと分かったら大変だ」
どこまでも不敵なユウトの態度は、アレクの気迫に呑まれ落ち着きを失っていた捜査官たちに、さらなる惑乱を強いた。
「……くそっ、なんなんだアイツ。頭おかしいんじゃないか……?」
「だがそれにしたってあの自信はなんだ? まさか本当に偽者なんじゃ……」
小声で交わしあう声がダイナーのあちこちからわきあがる。
「念の為、バラフートに確認させてみては?」
そうパーカーに耳打ちしたのは、彼女の腹心で副主任のバグネイルであった。
部下たちの動揺にはパーカーも気づいており、馬鹿馬鹿しいと思いながらもバグネイルの進言を無視することはできなかった。
一度小さく舌打ちしたあと、袖にしこんだマイクを口元に運ぶ。
「オルゲン、確認しろ」
「了解しました」
後方司令室のオペレーターは、すぐさまRSAの極秘施設「バラフート」に連絡をつなぐ。司令室と施設の間で確認のやりとりが交わされている間、パーカーはユウトをにらみつけていた。
沈黙がダイナーを支配し、誰もが息を潜めて成り行きを見守るなか、再びパーカーが口を開く。
「……時間を稼いだつもりか?」
「ただの親切心だよ」
「何をしようと無駄だ。この国にいる限り貴様に選択肢はないぞ。たとえニホン政府が……」
「
シークレットイヤホンを通じてオペレーターのオルゲンから連絡が入り、パーカーは恫喝を中断した。
「そうか。それで?」
「それが、その……、ミシェル・ギャレットとその娘のキャサリンは、現在も施設内に拘束中とのことです」
「なんだと!? 確かなのか?」
司令室との通話は専用回線のため、通話内容が一般の捜査官たちに漏れることはない。だが、予想外の事態が起きていることはパーカーの反応を見るだけで明白だった。
「は、はいっ。現場のスタッフが拘置室に入って指紋およびDNAの確認もしました。かなり衰弱しているそうですが、本人に間違いないそうです。バラフートは通信環境が制限されているため、ここから拘置室のようすを視認することはできません。2人をカメラの前まで移動させますか?」
「……いや、いい」
通信を切ったパーカーはユウトを睨みつけた。
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