その5

 フロリダ州ポーク郡にある小さな町ロードスター。

 20世紀初頭、リン鉱石の採掘を目的として開拓され、労働者やその家族のための学校や病院、郵便局、銀行、映画館などが建てられたが、およそ半世紀ののち鉱山の閉鎖とともに町も封鎖され、長い間、ゴーストタウンと化していた。

 現在、帰還民矯正プロジェクトの一環で再建された町では、およそ1,000人の帰還民と、先の動乱で生活基盤や行き場を失った5,000人あまりの人々が生活している。

 その町の一角に広い駐車場を持つダイナーがあった。最初の開業は町の設立当時にまでさかのぼり、町の封鎖が解かれた際、当時のオーナーの孫を名乗る人物によって営業を再開したといわれる。

 開店当初の名残をとどめた木製のドアが錆びた音を立てて開き、ひとりの客が入ってきた。

肌の色や顔立ちはアジア系を思わせる。華奢な体つきからして、まだ少年といっていい年頃だろう。

 カントリーミュージックが流れる店内には20人ほどの客がいて、町の外から来た異邦人に好奇の視線が注がれる。

 若い客はゆったりした歩調で店の奥へと進み、カウンターに座る男性の後ろを通り過ぎたところで、空いている隣の椅子に腰かけた。

「やあ、アレク。またせたね」

「……お、おお、ユウト。いや……」

 アレクと呼ばれた男は力なく応じた。

 ──アレックス・ギャレット。

 元アメリカ海軍特殊部隊出身の予備役少佐で、現在はこのロードスターを中心としたフロリダ州一帯の帰還民犯罪を扱う特別捜査班「コースターズ」のリーダーを務めている。

 どんな状況下でも冷静さを失わない高い知性と胆力を兼ね備え、格闘技や銃火器、爆発物の知識に長け、ときには無謀とも思える大胆な作戦を実行し、多くの難事件を解決してきた。

 特別権限を与えられた政府直轄チームを率いるだけあって祖国への愛国心にあふれているが、捜査に当たってはいかなる国籍や宗教にも偏見を持たず、常に公平公正であることを旨とする。

 それゆえ、非帰還民でありながら帰還民からの信頼も厚く、2つの共同体から成るこの町にとってなくてはならない存在であった。

 だが、今ユウトの目の前にいる男からは、研ぎ澄まされた戦士の風格も、町の大黒柱としての威厳も失われていた。

 無精ひげにまみれた顔はすっかり憔悴し、鋼のように鍛えられた肉体からは活力そのものが失われている。

 よく見れば全身傷だらけで、ゆうに6フィートある身体のあちこちに見られる擦過傷や打撲傷は、つい最近できたものだろう。

 心身ともにやつれた男は、疲れ切った顔に乾ききった笑みを浮かべた。

「……すまんな、急に」

「いいんだよ。ちょうど予定がキャンセルになってね。遠くまで呼びつけておいて失礼な話さ。いつものコトだけど」

 少年はカウンターの端にいた店員に向かってコーヒーを注文した。

 その間、アレクは自分の前に置かれたコーヒーカップをもてあそびながら無言だった。何度か口まで持っていったが、一口も飲むことなくソーサーに戻す。

 アレクが人形のように同じ行為を繰り返していると、少年の前にもコーヒーが置かれた。すると、まるでそれが合図でもあったかのようにアレクは口を開いた。

「その、あー……、久しぶりだな」

「そうだね。もう2年になるのかな? ミシェルは元気かい? キャスは? もうプライマリーに通ってるんだっけ?」

「……ああ、そう、そうだな……。そう、キャスは元気だ、あいかわらずな……」

 どこか上の空で歯切れの悪いアレクをよそに、ユウトは久方ぶりの再会を喜び陽気に語り続けた。

「また仕事を言い訳にして家を開けてるんじゃないの? 悪い癖だ。捜査に夢中になると他のことが目に入らなくなる。被害者のために一生懸命なのはいいけど、すぐそばにいる大事な人たちにもちゃんと目を向けないと」

「……そうだな。ああ……、分かってるつもりなんだが……」

「まあ、そんな君だからこそ、僕みたいな人間の力になってくれたんだしね。あまり偉そうなことを言うと、僕のほうがキャスに怒られるね。今のはナイショで」

「……ああ、大丈夫、わかってる……。キャスは……」

「おわびってわけじゃないけど、今回の件は君の責任ではないってことを、僕のほうからも伝えておいたから安心してよ」

 アレクの表情がわずかに変化した。それまで半ば宙をさまよっていたアレクの視線が、初めてユウトの目をまっすぐ見返した。

「……伝えた? 誰に? 何の件だって……?」

「ミシェルとキャスだよ。来る途中で偶然会ったんで、近くまでいっしょに来たんだ。もうすぐ着くと思うよ」

 その言葉が終わらないうちにダイナーのドアがきしみ音を立てた。店内が静まりかえり、すべての視線が一点に注がれる。

 入ってきたのは10歳にも満たないであろう幼女と、その母親と思しき女性であった。

「……!」

 2人の姿を視界にとらえたアレクは、まるで白昼夢を見てるかのような顔つきでふらふらと席から立ち上がる。

「アレクー!」

 店内の重苦しい雰囲気に怯え、入り口で足を止めていた幼女は、アレクの姿を見るなり駆け出し、母親もそのあとに続いた。

「キャス! ミシェル!」

 アレクは駆け寄ってきた愛娘を抱きあげ、あいた方の手で妻の肩を抱き寄せた。

「どうしてここに!? 無事か!? ケガはしていないか!?」

「暗いところに連れていかれたの! 怖かったけどガマンしたよ!」

「ええ、大丈夫! 貴方こそ大丈夫なのっ? こんなに傷だらけで……!」

 その場にいる客も従業員も、いったい何が起きているのか理解できないようだ。体を寄せ合いいたわりあう合う3人の声だけが、静まり返った店内に響き渡る。

 だが、このときダイナーに現れたのはキャサリンとミシェルだけではなかった。アレクを含む誰もが2人の姿に気を取られ、彼女たちの後から入ってきた男の存在に気づいていなかった。

「はー、感動の再会だな。いいよいいよ、俺を無視してイチャつけばいいさ」

「ドン!?」

 その場にそぐわないほど陽気な声の主、ドーナル・カーンは、フロリダ州警察所属の警察官で、コースターズ結成から現在まで、およそ6年近くに渡ってアレクのバディを務めてきた男だ。

 代々警察官と消防士の家系に生まれ、子供の頃から曲がったことが大嫌いで、アレクとバディを組んだ当初は、捜査のためならルールなどお構いなしなアレクとよくぶつかっていた。

 プライベートでは偏屈な皮肉屋という困った一面があり、このときも相棒の無事を確認して安心した途端、得意の毒舌をふるいだした。

「あらー、覚えててくれた? うれしいねぇ。そお、お前の大事な相棒。その相棒をほったらかしにして、今まで何してやがった? いきなり飛び出したと思ったら、ぜーんぜん連絡もよこさないもんだから、こっちから来てあげちゃったよ。こんな自分勝手なヤツのためにね。わざわざ。ほんと俺って親切。ど? 感動した?」

「どうしてお前まで!? まさか、お前が2人を!? なんでそんな無茶な……!」

「あーあー! うるさい、だまれ、静かにしろ! 何が無茶だ! 誰かさんといっしょにすんな。俺は善良で模範的な警官だぞ? 政府に逆らうようなマネするわけないだろが」

「おい、ドン……」

「いいから黙れ。お前に反論の権利はない。俺が認めない。だいたい他人の心配する前に鏡見ろ。ヒデー面しやがって。クマと格闘でもしたのか? ちょぉっと目を離すとこれだからな。俺がついてないとムチャばっかするんだからな」

「ハハッ、あいかわらずだね、ふたりとも」

 アレクとドンの口喧嘩はコースターズの名物だ。店の客や従業員が声を失ってたたずむなか、ユウトだけがくすくすと笑っている。

 アレクの横で成り行きを見守っているミシェルとキャサリンも、ユウトにつられてわずかに表情を和らげる。

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