その4

「好きにすればいい。僕らは時間通りに出発する」

 少年はそっぽを向いたまま静かに告げた。

「僕たちは、君たちの政府の依頼でここへ来た。依頼はあくまで遭難者の救助であって、望んで残る者の説得は含まれていない」

 残った人間がどうなろうと知ったことか。少年は言葉ではなく、態度でそう明言していた。

 これにはシプトンもさすがに鼻白み、さきほどまでの余裕と自信がゆらぎはじめた。

「なにを馬鹿な、そんなことが許されるわけがない! 役人どもが私を見捨てるだと? ありえん! デタラメだ! みんな、騙されるな! これが帰還民のやり口だ!! 安心しろ、こんなときのために……!」

「言っておくけど、そいつ本気だからね」

 シプトンの反論をさえぎったマリアムは、本に目を落としたまま投げやりに言い放った。

「ちょっと前の民間シャトルの事故、覚えてる? アレで死んだヤツも同じようなこと言ってたよ」

 それはアメリカの民間航宙会社コスモ・アークの宇宙シャトルが、地球周回旅行の大気圏再突入時に爆発四散した事故のことである。

 世界中を騒然とさせた事件であり、もちろんスタッフの中にも覚えている者はいた。

「シャトル?」

「2ヵ月くらい前の? たしか民間の宇宙船が爆発したっていう」

「……ああ。搭乗してた20名全員が死亡したんだっけ?」

「違う」

 マリアムが文庫のページをめくりながらスタッフの誤解を訂正した。

「死んだのは航宙会社の社長と取り巻き連中。クルーと乗客は全員無事だよ」

「!? ……それって、まさか……!」

 犠牲になった人々は置き去りにされたのだ。その場に留まれば死ぬとわかっていながら。少年たちの指示に従わなかったというだけで。

 撮影スタッフの視線を集めた少年は小さく肩をすくめただけでそのことには直接ふれず、別のことを口にした。

「僕からもひとつ。マリアム彼女の能力は傷を癒やすわけじゃない。君たちの身体に暗示をかけて『健康な状態だ』と思いこませているだけだ。あくまで応急処置で、暗示が解けたら元の状態に戻る」

 マリアムから受けた衝撃が収まらぬうち、新たな爆弾発言がスタッフの間に投げ込まれた。

「あ、暗示!? なに、どういうこと?」

「治ってないの!?」

 スタッフたちは困惑し、不安にかられて自分の腕や脚をまじまじと見つめる。指先で治療箇所に恐る恐るふれる者もいた。

「暗示といっても魔法的なものだよ。君たちの認識は関係ない。数日間安静にしていれば暗示が定着して傷は完全に治る」

「といっても暗示は簡単に解けるからね。ここに残るなら効果はせいぜい半日。ヘタしたら1時間保たないかも」

 つまりシプトンと共にここにとどまったとしたら、わずか半日で半死人の状態に戻るということだ。

「それと勘違いしてるけど、RSAの契約は私たちの能力とか救助内容とかに関してだから。活動だか運動だか知らないけど、あんまり影響ないと思うよ。アンタたちが何してようと興味ないし」

 シプトンたちは、自分たちの崇高な(と彼らが信じる)活動が、帰還民からまるっきり無視されていたことにショックを受けたが、そんな彼らに少年は最後通牒を突きつけた。

「あと25分。極寒サバイバルを再開したいならお好きに」

 もはやシプトンに同調する者はいない。スタッフは少年たちに置いていかれてはたまらないと、急いでテントに走り寄り各々の荷物をまとめだした。

「俺たちも行きましょう! 今回はムリですって!! 諦めましょう!!」

 ヴィッサーが上司に呼びかけたが、シプトンは少年らを睨みつけたままその場を動かない。説得を諦めたヴィッサーは、シプトンをその場に残してテントへ駆け戻った。

 独り残されたシプトンは、それでもまだしばらくの間、主導権を取り戻そうと思考を巡らせたが、氷河と同じくらい固く冷めきった少年たちのようすに交渉の余地を見出すことはできず、生まれて初めての敗北感に歯ぎしりしながら撤収作業を進める部下たちに合流した。


  ……およそ1時間後、ベースキャンプに収容されたシプトン一行は、待機していたRSA職員の指揮のもと少人数ごとに隔離された。

 これから彼らは、厳重な監視下に置かれ秘密保持契約の手続きを行うことになるが、それはもはやマリアムたちの預かり知らぬことである。

「責任者を出せ! 弁護士を呼べ! これは違法行為だぞ! 私を誰だと思ってる! タダでは済まさんからな!」

 人混みの奥から聞き覚えのある怒声が飛んできた。マリアムは鼻を鳴らして背を向けると、やや離れた場所に立つ少年に呼びかけた。

「おつかれ、ユウト」

「君ほどじゃないよ、マリアム。アレだけの人数を、あんな短時間でさばくのは大変だったろ?」

「ちょっと張り切っただけ。久々のデートだからね。メンドーなことはちゃっちゃっと終わらせないと」

 特別帰還民パラディンの中に治癒系の能力者は大勢いるが、あれだけの重症者を短時間で治癒できる者は数えるほどしかいない。

「アンタが引き受けてくれてホント助かったよ。最初はルブナと組まされるところだったからね」

 ──ルブナ・バルトルディ。

 公明正大・品行方正な人となりで知られる、特別帰還民パラディンの中心的人物のひとりだ。

 災害時ともなれば寝食を忘れて被災者の救助にあたり、その献身的な活躍ぶりから、混沌の時代に「ヒーロー」を求める一般市民の人気が高い。

 一方で、特別帰還民パラディンの中には彼女の杓子定規な言動を煙たがる者もいて、その筆頭がマリアムであった。

「あいかわらず仲悪いんだね」

 2人が犬猿の仲であることを知る少年は呆れながらも笑顔を浮かべる。そうやって感情を面に出したときの表情は年相応に見える。

「ハッ! あのお節介と組んでたら、あと一週間は上にいたね。使命一筋の石頭につきあわされるのはごめんだよ」

 片手を上げて去っていくマリアムを見送っていると、少年の胸ポケットに入れていたケータイが振動した。

「……やあドン。久しぶりだね。……いや構わないよ、ちょうど一段落したところだ。どうしたんだい? ……アレク? いやなにも。キャスの誕生会を欠席して以来だから。……え? …………ふうん、RSAが」

 電話の相手は、少年にとって気の置けない友人のひとりであった。だが知人からの報せは「久闊を叙する」たぐいのものではなく、話を聞いているうちに少年の目つきが険しさを増していく。

「……ありがとう。よく知らせてくれた。……うん、大丈夫。すぐに動くよ。あとは僕に任せてくれ」

 連絡を終えた少年はケータイをポケットにしまうと、ベースキャンプの一隅に鋭い視線を向けた。

 そこにはファイルを抱えたRSA職員たちが数人たむろしている。少年は獲物を狙う肉食獣のようにゆっくりと彼らに近づいていった。

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