その3
「待て! PUVDの諸君、下山は延期してくれ!」
足を止めシプトンを振り返ったスタッフは、いちようにいぶかしげな表情を浮かべていた。
「みんな思い出せ、私たちは不可能に挑戦するためにここへきたんだ! 私たちの力を証明するために! そうだろ? なのにここで諦めていいのか!? いや、下山したい気持は分かる! さっきまではたしかに私もそうだった! 諦めかけていた! 死を覚悟していた! 家に帰ることができるなら、ほかに何もいらないと、そう思っていた!」
大きく力強い声が無風の半球内に満ちる。
「だが今は違う! みろ、このドームを! 雪も風も入ってこない! もう安全だ! それに体調も万全だ! まるでここへ来たばかりのように! この2人がいれば、天候が回復するまで持ちこたえられるはずだ! そうじゃないか!? これはチャンスなんだ! もう一度トライする機会を与えられたんだ! なぜ、ここで引き返す必要がある? 人類初登頂という偉大な記録は目の前だ! あと少し辛抱するだけで歴史に名を残せる! これはそのためのチャンスだ! 神が我々に与えてくれた希望だ!」
オーバーな身振り手振りを交えながら、シプトンは同じ意味の言葉を繰り返す。重要なワードを印象づけることで、聴衆の心をつかむシプトン得意のパフォーマンスであった。
熱狂的な言葉で仲間たちを扇動する一方で、頭では冷静に打算をめぐらしていた。
(ここまでは予定通り、なにもかも順調だったんだ。こんな時期にブリザードが起きるなんて誰にも予測できなかった。そうだ、運が悪かっただけだ。私たちのせいじゃない! なら、
頭と口が別々に動くのはシプトンの特技のひとつだ。マシンガンのように言葉を吐き出しスタッフを鼓舞しながら、今後のシナリオに修正を加えていく。
(……いや、いっそ天候が好転するまで、自力で耐え忍んだことにしてもいいな。そうだ、そうしよう。なにもウソをつく必要はない。話さなければいいだけだ。映像はないんだからな。『天候が回復したからアタックを再開した』。これでいい。わざわざ帰還民の宣伝に協力してやる義理はない。どうせコイツらはRSAの犬だ。飼い主に首輪を締め上げられたら吠えることすらできん。そうだ、下に降りてしまえばどうとでもなる!)
大規模な抗議活動をしているだけあって、シプトンには懇意にしている政治家が多い。RSAに顔の効く者を知っているし、彼らを通じて直接コンタクトを取ったRSAの上級職員も数人いる。
有力な知人たちの顔を思い浮かべながら、シプトンはマリアムと少年を振り返った。
「2人とも今回の依頼をいくらで受けた? その5倍支払うから、もうしばらくとどまってくれ! 撮影が終わるまでとは言わない。この吹雪が収まるまででいいんだ! 別件の予定があるならそれにかかる費用も払おう。もちろん5倍でだ。悪い話じゃないだろ?」
裏から入手したRSAの内部資料で関係者の給料はおおよそ把握している。シプトンにはこれが10倍でも出す余裕がある。
あえて低めの額を提示したのは、段階的に値段を釣り上げることで少年たちを揺さぶろうという初歩的な駆け引きにすぎない。
だが、シプトンの予想に反し、少年たちは最初から交渉のテーブルにつこうとしなかった。
「あと27分」
やや間をおいて口を開いた少年は、それだけ言うと再び黙りこんだ。シプトンのほうを見向きもしない。マリアムに至っては、まるでシプトンの弁舌が聞こえなかったかのように読書を続けている。
(! この私を無視するだと!? 生意気な
幼い頃から秀才として知られたシプトンが、これほど大勢の前で存在を否定されたのは生まれて初めてのことであった。
シプトンは激しい屈辱感に顔が熱くなるのを感じたが、すぐに頭を切り替える。こんなことでいちいち激発していたら、生き馬の目を抜くIT業界で寵児を気取ることなどできない。
「そうか、分かった、ならば好きにすればいい。私も好きにさせてもらう。君たちは帰ればいい。私はここに残って撮影を続けるぞ」
シプトンの言葉にスタッフがざわつくと、シプトンは彼らを振り返って張りのある声で言い放った。
「君たちもだ。私に遠慮する必要はないぞ。この山から、いや、今回のプロジェクトから降りたいならそうすればいい。私の決心は変わらない。たとえひとりでもアタックする!」
シプトンは反り返るほどに胸をそらし傲然と告げた。
「私にはその権利と、そして何より使命があるからな! 私には、私を支持してくれる多くの人々に、今回のプロジェクトを通じて夢と希望を与える責務がある! 諸君らもその思いに賛同してくれたからこそ、今日この場にいるんだろう? 違うか? いや、下山を責めているわけではない。そんなことはしない。むしろ当然のことだ。このアタックには危険が伴うが、地上には君たちの帰りを待っている人たちがいる。万が一にも、その人たちを悲しませるようなことがあってはならない。下山を希望する者は、ぜひ胸を張って帰路についてもらいたい。これまでの協力に感謝する」
いったん言葉を切ったシプトンは、再び少年たちに向きなおった。
「私が呆れているのは君たちのほうだ。君たちは我々を助けに来たというが、いつ私が下山させてくれと頼んだ? 私が救助を求めたのは撮影を続けるためだ。山を降りる気なんて最初からなかった。君たちが勝手にそう思いこんでいただけだ。そうだろう? 助けるというなら食べ物と薬を持ってくればよかったんだ。そのほうがよっぽど有意義だ。それを手ぶらでのこのこやって来て強引に連れ戻そうとはな。挙げ句、秘密保持契約だと!? 馬鹿にするな! 恩に着せて我々の活動を妨害する気だろう! 厚かましいにもほどがある! 誰がそんな手に乗るものか!!」
スタッフは不安そうな顔を見合わせた。救助しに来た人間に対して、これほど傲慢な言い分があるだろうか。シプトンのシンパである彼らでさえ、完全に同意することは不可能だった。
「なあ、撮影続行なんて話あったか? 俺は聞いてないぞ……」
「私も……。だいたい救助を依頼したのってベースキャンプの誰かでしょ? この2人に文句いってもしょうがないじゃない……!」
「おいおい、カンベンしてくれよ? 2人にへそ曲げられたらどうするんだ?」
常日頃、帰還民に対して排他的な主張を重ねてきた彼らである。帰還民の2人が、シプトン一派の過激な言動を知らないはずがない。
「俺ら置き去りにして帰るなんてことないだろうな……?」
不安な表情を浮かべるスタッフを見渡しながら、シプトンはほくそ笑む。
(呆れた奴らだ。長年私の下にいながら、まだ私という人間の価値をわかってないのか。私を誰だと思ってる? 新世紀の革命児と言われたマイケル・シプトンだぞ? 今のアメリカの経済と情報を支えているのはこの私だ。その私がこんなところで死んだら、アメリカにとって大きな損失だ、間違いなく政府の責任問題になる。RSAの犬にすぎないPUVDが私を見捨てられるわけないだろうが!)
彼は自分の判断力と決断力に絶大の自信があったし、なにより子供の頃から他人に主導権を握られるのが嫌いだった。
自分に逆らう相手を服従させるためなら、財力も権威も惜しみ無く注ぎこんできた。そうやって自分の意志を貫き、今日の成功を築き上げてきたのだ。
この場にいるスタッフもそれを知っているし、こうして不安そうな顔を並べていても、最後は自分についてくると確信している。
しかし今回は勝手が違いすぎた。
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