その6

 引っ越しに向かうルカたちを送り出したあと、オフィスに残ったフウマとアオイは、同じ建物内にある福祉課のオフィスを訪れ、イツキの身柄を保安課が保護する件について相談した。

 陸原くがはらでの飛び降り未遂を受け、福祉課でもイツキの安否確認を急いでいたが、慢性的な人手不足から今日まで成果を出せずにいた。

 そのような事情もあり、保安課からの申し出にも難色を示すことはなく、権限の移譲はスムーズに終わった。

「やれやれ、思ってた以上に簡単に済んだな」

 福祉課のオフィスに戻ったフウマはイスに座るなり大きく伸びをした。古い回転椅子がフウマの意見に賛同するようにギシギシと音を立てる。

「持つべきは話のわかる同僚だな。これが本土なら越権行為だなんだと騒ぐ連中が出てくるからな」

「同居の件は了解もらえましたけど、ススキ君で大丈夫なんですか? 責任重大だし、何かあったとき彼が被害者になることだって……」

 給湯コーナーで自分のカップにコーヒーを注ぎながらアオイが不安を口にする。

「あるだろうな。なにも無かったとしても一週間後には死ぬ相手だ。ヘタに情が移れば、そっちのほうがツライかもしれん」

「やっぱりフウマさんのほうがよかったんじゃ?」

「……リンのやつ、それもひっくるめて研修のつもりなのかもな」

「研修?」

「お前も知ってるだろ、ああいう闇を抱えた帰還民はめずらしくない。ウチで働くなら、いろんな闇と向き合っていかなきゃならん」

「だから早めに体験させておくってことですか? でもそれって今じゃなきゃダメなんですか? 大事なコトかも知れませんけど、まだバイトじゃないですか。職員になってからだって」

「まぁな。ルカあいつなりに根性見せたし、今日のところはアレで十分だと思ったんだがなあ」

 フウマは机の上のカップを手に取った。朝入れたコーヒーはすっかり冷めきっている。

「根性?」

「俺らの言いあいを止めたろ?」

「ああ……」

 納得しかけたアオイは別のことに気づいた。

「……まってください? もしかしてアレ、わざとだったんですか?」

「当たり前だろ」

 フウマは呆れたようにアオイを見返した。

「ホントにシャワー室で首をハネてると思ってたのか? リンが聞いたら泣くぞ」

「ちがっ! そんなんじゃないですよ! だからビックリしたんです! リンちゃん急にどうしたのかなって。そしたらフウマさんまで!」

「おかしいと思ったら言えよ。こっちはツッコミ待ちなんだから」

「言おうとしましたよ。そしたら死体の片づけとか言われて! だからパニくったんですよ!」

「入りづらそうにしてたから話ふってやったんだよ。分かれよそのくらい」

「分からないですよ! そういうの無理だって知ってるくせにっ」

「知ってるよ。だからツッコんでくれると思ったんだよ。信用ないのな俺。ショックだ」

 フウマは両手で顔を覆って大げさにしょげて見せた。

「まぁ、お前らの反応が鈍かったんで、無理めなのは分かっていたんだけどな。適当なところで切り上げるつもりだったんだが、その前にあいつが入ってきたんで予定通りの流れになった。リンも喜んでるんじゃないか?」

「あ、それでちょっと嬉しそうだったんですね」

「なんだ、そっちは気づいたのか」

「たまたまですけど。ススキ君が止めに入ったとき、リンちゃんが怒るかなって。そしたら口元がゆるんでたんで『あれ?』って思ったんです」

「たっぷりしぼられたばかりだからな。尻ごみするのがトーゼンだ。それでも口を出してきたのは評価してもいいだろ」

「じゃあ、私だけか。お芝居だって気づかなかったの」

「どうかな。案外こりてないだけかもな」

 フウマの目からみて、会話に割って入ったときのルカの動揺ぶりは芝居には見えなかった。アレが芝居だったというなら、そっちの才能も伸ばすべきだろう。

「そうですか? 彼、あれから結構落ちこんでたように見えましたよ?」

「喉元すぎればってこともあるからな。そのへんはリンが見てるだろ」

「そもそもですけど、リンちゃん、なんであんなコトしたんです? レンゲ君、怖がってたじゃないですか」

「怖がらせるためだろ」

「?」

 フウマの返答は簡潔だったが、それだけにアオイは意図を把握しかねた。

「相手の本心を引き出すために、わざと激しい言葉で感情を揺さぶるのは尋問テクニックのひとつだ。医学的なカウンセリングでも使われる」

 その手の知識にうといアオイは、そういう技術があることに感心する一方で、尋問という表現が気になった。

「彼が何か隠してるっていうんですか?」

「いや、違うだろうな。リンが確かめたのは『死ぬ決心ができてるかどうか』だろう」

「? そんなの、直接聞けばいいじゃないですか」

「本人が自覚してるならな」

「決心したから今日ここに来たんじゃ?」

「本人はそのつもりでも、潜在意識で迷ってることもあるのさ。死ぬのが怖いとか、やり残してることがあるとかって理由でな。だがそれを自覚していないと、表面上は『死にたい』としか言わん。本気で死にたいと思ってるなら好きにさせてやるが、もし迷いがあるなら、まずそれを自覚させてやらんと」

「迷ってるってどうして分かるんです?」

「屋上の件を思い出してみろ。巡回中の警官に発見されてからリンが到着するまで20分以上あったのに、飛び降りようとしなかった。リンが屋上に行ってからもだ。ホントに死ぬ気ならいつでも実行できたはずだ」

「あ……」

「その場にいたリンならほかにも気づいたことがあるかもな。あるいは今日会ってみて何か確信したか」

 フウマは机の引き出しからイツキのファイルを取り出した。

「診断書にも似たような記載がある。福祉課としては時間をかけて解きほぐすつもりだったんだろ。それも間違っちゃいない。だが状況がこうなった以上、のん気に構えてられん。それで一芝居うったってとこだろう」

「期限を一週間にしたのもそのためなんですね」

 それくらいあればレンゲに自覚を促すことができるのだろう、とアオイは期待したが、フウマは首を左右に振った。

「いや、ただの駆け引きだ。ヘタに引き伸ばせば裏目に出る危険があるし、警戒心を持たれたら元も子もないからな。一週間なら心理的に区切りがいいし、日数的にもそれが限界だろう」

「そうなんですね……。でもさすがですね、フウマさんもリンちゃんも。あんな突然でもすぐアドリブで合わせられるんだから。よく芝居だって気づきましたね」

「あんだけ合図送ってたら分かるだろ」

「だから分かりませんって。特練でそういう練習もしたほうがいいんですかね」

 席についたアオイは、中断していた事務処理を再開したが、30分も経たないうちに手を止めた。

「……もし本当に迷っているなら、思いとどまってくれるといいですね、レンゲ君」

「本人次第だな。無理強いはできん。24区ここではな」

フウマは紙にペンを走らせながら応じた。福祉課からイツキの保護を引き継ぐための書類である。

 何をするにも書類が必要なのはお役所仕事のつらいところだ。パソコンどころかワープロもない24区では書類一枚作るのもすべて手作業で、電子機器で効率化されている本土と比べたら天国と地獄ほどの差がある。

 フウマもこの手の作業は好きではないが、当のリンが引っ越し作業で席を外していて、福祉課を待たせるわけにもいかないのだから仕方がない。持ちつ持たれつが保安課の慣例だ。

 事後承諾となった上司の慧春えはるへの報告書だけは本人にやらせるつもりだが。

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