その5

 引っ越し荷物を積みこんだCCVは、ルカのナビゲートで24区北東にある南斎白みなみゆきまで移動した。

 大通りをそれて住宅街に入ってしばらく進むと、長く続くブロック塀が見えてくる。

ブロック塀につけられた鉄格子の門の前でCCVが停車すると、助手席から降りたルカがポケットから取り出したカギで鉄格子を開き、CCVを敷地内へ誘導する。

 ブロック塀の内側はおよそ100m四方ほどもあり、ぱっと見の印象は「遊具のない公園」であった。

 雑草がまばらに生えたむき出しの地面が多くを占めるなか、ところどころ綺麗に整えられた花壇が点在している。

「これ、庭なの? ずいぶん広いね」

「もとはただの空き地だったのを、大家さんが少しずつ手を入れたんだそうです」

 門をくぐったCCVは、不規則に配置された花壇に注意しながら、門から対角線上の位置にある家屋に向かう。

「最初はここらへん全部空き地で、あのアパートしかなかったんだそうです。で、周りに家ができる前に庭にしちゃったんだそうで」

「あー、そういうコトか。……大家さん、なんて名前だっけ?」

清浦きようらサンです。今は住んでないですケド」

「あー、そーだそーだ。どっかで聞いたと思ってたんだ。そっか、ココがそーなのか」

「知り合いですか?」

「ツバキさんのね。そーそー、引っ越したって言ってたもんなあ。花の世話はバイト君が?」

「水やりだけでいいって言われたんで。あとたまにソージするくらいですね」

 保安課の2人が建物について語り合っている間、後部席のイツキは、ゆっくりと進む車内の窓に顔を近づけ、まばらに配置された素朴な作りの花壇をしげしげと眺めていた。

 建物の脇にある駐車スペースにCCVを停車させると、3人は引っ越しの荷物を車外へ運び出す。

「へー、イイじゃん。これ1フロア貸し切りなんでしょ」

 木造2階建ての建物は、近代風にリフォームされていて、1階部分に大家が居住し、外階段から上がった2階が借家スペースとなっている。

 玄関のドアを開けると、細い廊下がまっすぐに伸び、廊下の突き当りと右手に扉、左側はリビング兼ダイニングになっていた。

 リビングに荷物を下ろすと、ルカは部屋の配置についてざっと説明する。

「そこの廊下に面したドアが俺の部屋で、横のドアがトイレ。で、あっちの部屋が空いてます」

 リビングの奥にもうひとつドアがあり、無造作に歩み寄ったリンが開くと5帖ほどの洋室になっていた。室内には質素な作りの机とベッドが置かれている。

「うん、イイじゃん。どう? ここで一週間」

 リンにうながされて室内に足を踏み入れたイツキは、ゆっくり辺りを見回したあと、無言でうなづいた。

「そ。じゃあ、2人とも仲良くね。なにかあったら連絡していいから。バイト君、電話は?」

「ピンク電話があります。1階の階段の裏に」

 アパートの大家が入居者用に設置した公衆電話のことで、リフォーム前と同じ場所に残っていた。

 いったん外に出て電話の場所を確認したあと、3人は部屋に戻って運びこんだ荷物の整理を行い、あらかた目処がついたところで、残りの作業をイツキに委ね、リンとルカはアパートを出た。

 イツキがいなくなった車内で、リンは公園での行動についてルカに問い質した。

「私が声かけたとき何するつもりだった?」

「それは……」

 タイミング的にそろそろだろうとルカも覚悟してはいたが、緊張で心臓の鼓動が高まる。

「捕まえてやろうとか思ってたんじゃない? ひとりでもやれるって」

「……まぁ、そんなトコです、はい。すいません」

 暴走バスのときと状況も場所もまったく同じなだけに、また叱責されると分かってはいたが、完全に見透かされている以上ごまかしようがない。

「近づいたら襲われるとか考えなかった?」

「いちおう。でも向こうが襲ってくるつもりなら、もっと早くやってたんじゃないかなって。いつからいたのか知りませんけど。そうしなかったってことは、なんか理由があるんだろうし、ならいきなり襲ってくることはないだろうなって」

「その『理由』については考えてみた?」

「ありそうなのは『襲うタイミングを探ってた』かなと。行き先はバレてるんで、あとは都合のいい場所と時間くらいでしょ?」

「ドコまで探るかにもよるけどね。で、ほかは? 思いついたのはそれだけ?」

「ですね。フウマさんも『理由は捕まえたあとで聞けばいい』って言ってたんで」

 信号が赤に変わり、CCVは白線の手前でゆっくりと停車する。

「60点ってところかな」

「はい?」

 雷が落ちるのを覚悟していたルカは、思わず顔を上げて、運転席のリンを見返した。

 60点という数字が及第点なのか赤点なのかは分からない。ただ、外周列車で向き合っていたときの無言の圧力は、今のリンからは感じない。

「一度逃がした相手だから、同じミスを繰り返さないよう先に退路を断つ。その発想は悪くない。確実にやれる自信があるならアリ」

 生徒の答案用紙を採点する教師のように、リンはルカの行動をひとつひとつチェックしていく。

「けど、対象の事情を考慮しなかったのはマイナス」

「事情?」

「あの子の後遺症は中度モデラート。普通なら家から出られないような子が、わざわざ私たちに会いに来たってことは、よっぽどの事情なり覚悟があるってこと。そんな子に強引なマネをするのはほめられない。もし上手く捕まえられたとしても、相手が心を閉ざしたら意味がない。下手したら後遺症を悪化させる恐れがある」

「……知りませんでした」

 閑散とした道路には対向車が一台見えるきりで、横断歩道も人の通る気配がない。

「個人情報だからね、バイト君には教えられない。けど、あの子がビルから飛び降りようとしたコトは知ってるよね? なら『精神的にヤバイのかも』って想像はできるでしょ。『知らなかった、気づかなかった』じゃ済まされないのがウチの仕事」

「じゃあ、何もしなかったほうがいいってことですか? 逃げられたかもしれないのに?」

「そ。フウマは『待機しろ』って言ったんでしょ? なら、したがっておけばよかったんだよ。それで逃げられたら指示したフウマの責任。けど、もしバイト君が独断で動いてあの子の症状を悪化させたら、不慣れなバイト君を残したフウマと勝手に動いたバイト君、両方の責任」

「……っ」

 リンの指摘はルカの意表をついた。「逃げられたら叱られるかも」とは思っていたが、自分の行動によってフウマにまで害が及ぶとは考えてもみなかった。

 バイトという立場を甘く考えていたのだろうか。そんなつもりはなかったが、責任という言葉の重みを、本当の意味では理解していなかったことに気づかされる。

 今思えば、イツキを捕獲しようと決めたのも、得体のしれない相手への恐怖が先にあって、保安課としての責任感は、独断で動くための言い訳だったのかも知れない。

「結果論なんだよ。現場は生き物だから全部予定通りに行くわけない。どれだけ最善を尽くしたつもりでも失敗することはあるし、想定外のミスが幸運をよびこむこともある。けど、事前に準備したうえでの失敗と、行き当たりばったりの失敗は意味が違う」

 信号が青に変わり、CCVが再び走り出す。

「だから今日のバイト君は60点。今話したコトを分かってて、それでも確保を優先したなら80点」

 ルカは耳を疑った。てっきり自発的な行動そのものを責められているのだと思ったからだ。

「たとえどれだけ成果をあげても、考えなしに行動するヤツを、私は信用しないし、評価もしない。結果が伴わなくても、責任感のあるヤツのほうが信頼できる。バイト君が本気でウチで働くつもりなら、それだけの覚悟を見せてもらわないとね」

 中心街が近づくにつれて、視界に入る車の数も増え始めた。バス停付近にさしかかったCCVは、停車中のバスの横を注意深く通り過ぎる。

「分かってるとは思うけど、覚悟だけのヤツは論外だから」

 先行車との車間距離を保ちながら、リンはちらりと助手席に視線を走らせる。ルカはその目を真正面から見返し、ただ無言でうなづいた。

 やがてCCVは異民局へ到着し、定められた駐車スペースに停車した。

「あ、そーそー」

 ドアロックを確認し、車から離れかけていたリンは、ふと顔をあげルカのほうを振り返った。

「私とフウマのケンカを仲裁したのはよかったよ」

「え?」

「タイミング的にはもっと早くてもよかったけど、初めてならあんなもんでしょ。上出来上出来」

「はい? え?」

「レンゲ君も警戒ゆるめたみたいだし、結果オーライ」

「何がです? え?」

 いきなり上司からお褒めの言葉を頂戴したルカだったが、その理由が思い当たらない。

 CCVの扉を締めた姿勢で硬直したルカが、車中での会話を思い返している間に、リンはすたすたと通用口のほうへ消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る