その4

「じゃ、あとヨロシクね」

「行ってきます!」

「おう、しっかりな」

 福祉課への報告をフウマたちに任せ、リンとルカ、それにイツキの3人は、リンの運転するCCVでイツキの家へ向うことになった。

「ベルト、ちゃんと締めてな。やり方わかる?」

 助手席に乗りこんだルカは、後部席のイツキに呼びかけた。だが返事がない。

 不思議に思ったルカが後部席をのぞきこむと、そこにイツキの姿はなく、代わりにやけに胴の長いネコが長々と横たわっていた。

「おわっ! ……びっくりしたぁ! なに!? レンゲ君、だよね?」

 シートに寝転がったネコは、見れば見るほど奇妙な姿だった。頭は普通のネコなのだが、前足と後ろ足の間、お腹の部分が一般的な猫の2倍ほども開いていて、おまけに足の裏の肉球が薄く発光している。

 返事のつもりだろうか、ネコはルカに向って「ナァ」とも「ニャァ」ともつかない声で鳴いた。

「気にしないでいいよ。そのほうが楽なんだって」

 運転席のリンは、まったく驚いたようすもなく、地図で目的地の住所を確認しつつ発車準備を整えていく。

「はぁ、そういうモンですか……」

「家の中もそれで構わないよね? 掃除は自分でやるし、トイレや風呂の世話もいらないんだから」

「あとはツメとぎNGってコトですかね。ペット禁止なんで」

 前に向き直ったルカはバックミラーに目をやりながら、そこに映っていないネコの姿を思い浮かべる。

「なんか、こう、フシギなネコですね。初めて見ました。どのヘン原産なんですか?」

 シートに座り直したルカがベルトを締め直したのを見計らい、リンはCCVを出発させた。

「ネコじゃないからね。彼がいた世界のラムラーレって動物。伸び縮みする身体とどこにでも貼りつける脚が特徴で、主に断崖や巨大樹みたいな垂直の地形が生息地。現地じゃそれこそネコ並に一般的な品種だけど、魔法のないこっちの感覚だと、魔法生物とか幻獣って言ったほうがイメージしやすいかな」

「詳しいですね」

「本人がそう言ってた」

 大通りに入ったCCVはほとんど無人の道路を軽快に走り、ルカにもなじみのある地区へ向かっていく。

 イツキが異民局から提供された住宅は、件の西洋建築ビルからほど近い木造2階建てアパートの一室であった。

 六畳一間の部屋で水回りと呼べるものはキッチンだけで、トイレは各階共有、風呂は徒歩1分のところにある銭湯を無料で使えるのだという。

 本土ではあまり見られなくなった住宅環境だが、24区ではありふれた光景である。

 荷造り用のダンボールの束を抱えたルカが、部屋に入るなり驚いたのは別のことであった。

「おー、すごいな! レストランの調理場みたいだ」

 小さなガスコンロが2つ並ぶだけの手狭なキッチンは、料理用の道具で飾り立てられていた。

 大きさや形の異なる鍋やフライパン、大小の計量スプーンやカップ、さまざまな調味料の容器が並び、なかにはルカには用途の分からない道具もあった。

「……いつでも、好きなモノを、作れるようにって。こっちへ来るとき、父さんが……」

 ルカから好奇の目を向けられたイツキは、消え入りそうな声でつぶやいた。

「じゃあ、これ全部料理の道具なのか? これとかも? へー!」

 キッチンの収納棚やシンク下の扉、周りの壁などに整理された道具類を興味深げに眺め回していたルカは、あることに気づいた。

「あ、じゃあ、レンゲ君、料理得意なんだ? まだ小学生だよね?」

「料理人のお父様から習ったのよね?」

 リンが水を向けると、イツキは遠慮がちにうなづく。

「べつに……。得意ってわけじゃ……。小さい頃から、手伝ってただけで……」

異世界むこうで覚えたんじゃないのか。すごいな。俺、目玉焼きくらいしか作れないのに」

「高校生でそれはどうなの? いい機会だから、レンゲ君がいる間に教えてもらったら?」

「え……?」

「あ、それはアリかもですね」

 驚いてリンを見返すイツキの横で、ルカが大乗り気で飛びついた。

「実際、何回かやってみたんですけど、本読んでも分かんないんですよね。適量だの中火だの、なんだそれって感じで。上手な人に教えてもらえたらなって思ってたんですよ」

「はやるな。レンゲ君の都合もあるでしょ」

 ダンボール箱を組み立てていたリンは、先走るルカをたしなめてからイツキのほうを振り返った。

「レンゲ君はどう? バイト君は勝手にその気になってるけど、面倒なら断ってもいいよ。君にメリットないんだから」

「言い出したの先輩じゃないですか」

「……」

「それでも『ヒマつぶしにいいかな』って思ってくれるなら、野菜の皮むきでもしこんであげて。本人のためになるから」

「……」

 イツキは何も答えなかった。作りかけのダンボールを握ったまま固まっている。

(……やべ、はやりすぎたか。これじゃセンパイたちのコト、言えないな)

 ルカは右拳で自分の額を小突いた。自殺を考えるほど悩んでいる少年に対して無神経な態度に思えたからだ。

「……あー、いきなりはムリだよね。ごめ──」

「……べつに」

「ん?」

「いいけど……。それぐらい……」

「あ、ホントに!?」

「……いっしょにやる、だけなら……」

「メーワクじゃない? 断ってくれてもゼンゼンいいんだよ?」

 イツキはルカと目を合わすことはなかったが、同意の証として小さくうなづいた。

「そっか。ありがとう。助かるよ。ホントジャマにならない範囲でいいから、ヨロシクね」

 イツキは無言でもう一度、今度はさっきよりやや大きくうなづいた。わずかに頬が紅潮しているのは照れているのかもしれない。

「決まった? じゃ、さっさと引っ越し始めましょ。レンゲ君、持っていくモノと処分しちゃうモノを選んでくれる? バイト君はそれを箱詰めしていって。重さを考えて、詰めこみすぎないように」

 手慣れたリンの指示のもと、荷造りは小一時間ほどで終了した。

 イツキがこの部屋に移ってからあまり時間が経っていなかったというのもあるが、もともと室内は殺風景なほどに物が無かったからだ。

 椅子やテーブルといった家具類はすべて備えつけだったため、キッチンを埋め尽くす道具類とわずかな着替えを運び出すだけで終わってしまった。

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