その3

 そんな同僚たちの心境を知ってか知らずか、リンはさっさと話を進めていく。

「あれ、もしかして不安? 平気だって。床にしゃがんで前かがみになってくれたらスグだから。こう首を前に出す感じで。屋上から飛び降りるより全然カンタンでしょ? ね?」

 青ざめて椅子の上で固まっているイツキに、リンは朗らかに手を差しのべる。

「じゃ、行こっか」

「え? ど、どこへ……?」

「シャワー室。血飛沫飛び散るようなヘマはしないつもりだけど、万が一ってこともあるからね。床や家具についた血の染みって落ちにくいけど、あそこなら洗い流すのカンタンだし」

「……!」

「ん? あ、大丈夫だよ? ちゃんとマット敷いてあげるから。直に座らせたりなんてしないよ」

 ルカが少年の容姿に気を取られてる間に、話はどんどん血なまぐさい方向に進んでいた。

(いやいやいやいや、マズイって。言葉選びましょうよっ。震えてんじゃん! 相手はまだ子どもなんですよ? 注射打つワケじゃないんだから。ってか、注射だってもう少し気を使うでしょ!)

 そもそも、いくら自殺願望持ちの帰還民とはいえ、未成年の首を切り落とすなんてことが許されるのだろうか。ルカのおぼろげな記憶では、こちらの世界では、自殺を手伝った者も罪になったはずだ。

 ただ、仮にその記憶が正しかったとしても、それをこの場で持ち出すのはためらわれた。

(みんなスルーしてるし、これが「ここのやり方」なんだろうしなあ)

 異民局のバイトを始めてからとういうもの、24区ここの流儀に驚かされることばかりで、今回もルカの認識のほうが間違っている可能性が高い。

(誰も止めないしなぁ。かわいそーだけどしょうがないんだろうなぁ……)

 ルカは湧き起こるもやもやを抑えこみ、何とか割り切ろうと試みる。先日、リンから無責任な言動を戒められたことが尾を引いていた。

「ちょっと待て」

 あどけない自殺志願者を急き立て、処刑台へ誘おうとしていたリンは、いぶかしげな顔でフウマに向き直る。

 椅子の上で固まっていたイツキも、驚きと期待に顔を輝かせるが、それも一瞬のことだった。

「まさかまた『男子こっち』でやるつもりか?」

「当たり前でしょ。レンゲ君は男の子なんだし。なにか都合悪い?」

「悪いに決まってるだろ。どうせまた俺らに後始末を押し付けるつもりだろ? お前は首をハネたいだけだからな」

「人を首狩族みたいに言うな。首切ったあと死体の処理だってあるんだから、床ソージくらいやってよ。持ちつ持たれつでしょ。それともレンゲ君を女子のシャワー室に入れろっての?」

 フウマとリンのぞんざいなやりとりに不安をかきたてられ、イツキは小さな体を震わせながら椅子の上で縮こまる。

「それこそ不都合あるか? この時間に使うヤツなんていないだろ。それに、そろそろアオイも血溜まりの掃除くらいしてもいいコロだ」

「え!? い、いやです!!」

 臨時処刑場の設置場所を巡る口論は、傍観者のつもりでいたアオイにまで飛び火した。

「そうだよ、アオイちゃんには死体の袋詰めをやってもらうんだから。ソージはそっちでやって」

「もっとイヤです!! ムリです! できませんよ!!」

「ワガママいうなよ。これも仕事のうちだぞ」

「そうそう。こういうのはケイケンだよ、アオイちゃん。すぐ慣れるって」

「慣れたくないです! わ、私、そういうのダメなんです! ほんとにムリです!!」

 先輩たちから無茶振りされたアオイの悲鳴がオフィスに響き渡る。ふだん物静かなアオイがここまで必死になるあたり、本気で嫌がっているのだろう。

 男女どちらのシャワー室を使うかという点で双方とも一歩も譲らず、このままだと収拾がつきそうにない。

 当事者であるイツキはといえば、突然始まった異民局職員たちの口論に困惑しながら、刑場に引き出された罪人のように怯えている。

 年端も行かない少年が首を切られるというだけでも凄惨な話なのに、それがいつ行われるか分からず、恐怖に怯えながら待たされるのは気の毒であった。

(せめて、ゆっくり心の準備をする時間くらいはさぁ……)

 あまりに哀れな光景に、いったん封をしたはずのルカの感情が再び動いてしまった。

(……ああ、くそっ。また怒られるんだろうな! けど、しょうがないだろこれは!)

 ルカはニ度ほど深呼吸し、ためらいを吐き出すと、おそるおそる手を上げた。

「あのー……」

 オフィス内が静まり返り、イツキを含む全員の目がルカに集中する。

「その、最初に頼む予定だった人って、いつゴロ戻ってくるんですかね?」

 たかがバイトが口を挟むことではない。それは分かっていたが、生死の問題を抱えたまま放置されているイツキが気の毒に思えて、つい割って入ってしまった。

 このときリンがどんな表情をしているか知る気にもなれず、ルカはフウマとアオイの2人に向かって話を続けた。

「ですから、あの、戻ってくるタイミング次第だと思うんですけど。そんなに遅くないなら待つのもアリじゃないかなって。レンゲ君の都合もあるかもですけど。どうなんでしょう? そのへん……」

 何とか言い終えたルカを、リンがじろりと見やる。その表情がいつも以上に険しく感じるのはルカの気のせいだろうか。

「知らない。ユウトのコト知ってるのツバキさんだけだし」

「じゃあ、薮椿やぶつばきさんに確認してもらったら?」

「こっちからは連絡できんからなぁ」

 フウマは主のいない慧春のデスクに視線を投げた。本土との連絡が厳しく制限されていることはルカも知っていたが、フウマやリンにすら権限が与えられていないというのは意外だった。

「明日の定時連絡を待つしか無いな。そうなると出先とのやり取りもあるだろうから……」

「早くて一週間ってところね」

 リンの予測にフウマもうなづく。

「そのくらいはかかるか。向こうの出方次第で伸びることはあっても、短くなることはないだろうな」

 つまり「痛くない処刑」を選ぶ場合、最低でも一週間待たなければならないということだ。おおよその目安が分かったところで、ルカはイツキ少年に向き直った。

「……とまぁ、そういうことらしいんだけど、どうかな? 待てる?」

 今すぐ役所のシャワー室で首をはねてもらうか、安楽死させてもらうために一週間待つか。幼い自殺志願者にとっては、どちらを選んでも後悔しそうな選択であった。

 ルカたちの視線を浴びたイツキは、しばらくの間、椅子の上で固まっていたが、やがて力なくうなづいた。

「そ。じゃ、今日はここまで」

 さきほどの口論がウソのように、リンはあっさりと延期を受け入れた。

「となると、それまでドコにいてもらおうかな。留置場ってわけにもいかないし」

「自宅にいてもらえばいいだろ? ユウトの予定が分かったところで呼び出すなり、迎えにいくなりすればいい」

「んー……、いや、それだとたぶん福祉課が納得しないと思う」

「福祉課が? なぜだ?」

「未遂とはいえ騒ぎになっちゃったし、一度現場から逃げたのもね。かなり印象悪いハズ」

「気が変わるかもってか?」

「そう。監視までは必要ないけど、目の届くところにいてもらわないと。……ってことでバイト君、よろしくね」

「えっ、俺ですか?」

 反射的にそう口にしたが、実のところそれほど意外なことではなかった。保護の話が出たときから、ルカはなんとなくそんな気がしていたからだ。

「言い出したのはバイト君じゃん。部屋余ってるって言ってたでしょ?」

「それはまぁ、はい」

 24区への移住が決まったあと、慧春えはるに紹介してもらったアパートは、もともとは隣接していた3戸を前の住人がリフォームしたものだそうで、この街では珍しく2LDKの広さがある。

 ルカがひとりで暮らすには広すぎて一部屋使わずに放置していることを、以前リンに話したことがあった。

「待て待てっ。バイトにそんなことさせたら、それこそ後で問題になるだろ? 保安課ウチで保護が必要なら俺が面倒みる」

「ダメ。言い出した人間が責任を取らないと。だよね?」

「わかりました」

 地下を訪れていたときとは気構えが違う。リンたちの口論に割って入る前、ルカなりに考えたうえでの発言だった。

 いまはむしろ自分のことより、うつむいたままのイツキのことが気になっていた

 ルカがわずかなためらいもなく承諾したため、さらに何か言おうとしていたフウマは口を閉じ、興味深げにルカを見やった。 

「それに見知らぬオッサンより、見知らぬ高校生のほうが、まだ年が近いし、安心でしょ」

「誰がオッサンだ! たいして変わらねーだろ」

「そういうトコだよ」

 張り詰めていた空気が和んだところで今後の対応について話し合い、この日のうちにイツキの引っ越しを行うことが決まった。

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