その2

 ルカが振り返るとそこには誰もいなかった。

「あ? 誰? どこだ?」

「ここだよ」

 狼狽したルカの腹に軽いグーパンがめりこむ。ルカの手よりはるかに小さい少女の拳だった。

「うっ……、先輩!? なんで? いつ?」

「フウマに聞いた。で、猫はドコ?」

「あ、えっと……」

 ルカが動揺を抑えながらサツキの植えこみに目を向けると、先ほどより少し奥まった位置に猫の姿があった。

「そこです。そこの茂み」

「どれ……、あー、ほんとだ」

 その場でしゃがみこんだリンは、茂みの奥にいる猫に向って手を振る。

「レンゲ君だね? 屋上の続きをしにきてくれた、ってことでいい?」

 暗がりの中で猫がうなづくのを確認したリンは、かたわらのルカを振り返った。

「バイト君、先戻ってていいよ」

「え、いいんですか?」

「話聞くだけだし。人が多いと話しにくいでしょ、この子も」

「あ、はい、わかりました」

「あとフウマが向こうにいるから、戻るついでに声かけといて」

 リンの指差した方角に目を向けると、茂みの向こう側、公園の外の道路にフウマが立っていた。

 リンと分かれたルカが公園から出たところで、フウマも事情を察したらしく、ルカのほうへ歩み寄ってきた。

「上手くいったか?」

「わかりませんけど、先輩が話しを聞くみたいです」

「そうか。じゃあ先に戻るか」

 リンのいるほうを一瞥したあと、フウマは異民局のほうに足を向け、ルカもそれに続いた。


 フウマが保安課のオフィスに戻ってくると、ひとり待機中だったアオイがドアのほうを振り返った。

「あ、おつかれさまです。あの、どうでした?」

「分からん。とりあえずリンに任せた」

 フウマに続いてオフィスに入ったルカは、打刻したタイムカードをラックに戻しながら、壁の連絡ボードに目をやった。

「あれ? 薮椿やぶつばきさん、出張なんだ」

「はい、昨日から。本土に、泊りがけで」

 ルカの無意識な独り言に、アオイが律儀に応じてくれる。

「説明会とか研究会とか、いろいろ重なって、全国あちこち回るから、しばらく帰って来られない、そうです」

「大変ですね」

「まったくだ。手伝おうにもこればっかりはな」

 フウマやリンも本土に赴くことはあるが、仕事の内容は犯罪捜査が主体であり、やることはここと大差ない。

「先輩たちでもムリなんですか?」

「ダメだな。リンは見た目でアウトだし、俺は連中に嫌われてるからな」

 ルカは同じような話をどこかで聞いたような気がして、しばらく記憶の糸をたぐってみた。 やがて思い出したのは、第2層でミナミとリンが交わしていた会話だった。

 たしかミナミは、慧春えはるのことを「本土むこうでも人気者」と評していた。

(単に人柄的な話かと思ってたけど、もっと別の理由もあるのかな)

 席についたルカは通常の手順に従って前日の連絡事項の確認を始めた。それらの雑用をおおかた終えたとき、保安課のドアが開いた。

「ただいま戻りました」

「あ、リンちゃん先輩。お帰りなさい」

 室内に入ってきたリンの後ろには、同じくらいの背丈の少年がいた。

 報告にあったように上下そろいのグレーのスウェットを着ているようだが、リンの背後にぴったりはりついていて顔立ちまではわからない。ルカたちの視線から逃れようとしているのかもしれない。

「お疲れさん。その子がさっきの?」

「そ。蓮華れんげ・アヤーン・五黄いつきくん」

 リンはイツキを空いている席に座らせると、大雑把に一同を紹介する。

「ここにいるのは私と同じ保安課の人間。そっちの彼はまだバイトだけど。みんな君の事情だいたい知ってる。レンゲ君は、屋上で話したコトを信じてここに来てくれた。なので私も約束を守るつもり」

 後半の説明はルカたちに向けられたものだ。約束とは、すなわちイツキ少年を殺すことである。

「書類のほうは後で書き換えておくから気にしないでいいよ。こういうことはさっさと済ませたほうがいいからね。ご家族への報告はどうする?」

「報告……?」

 リンに向けられたイツキの表情は感情に乏しく、その眼差しはどこか遠くを見ているようであった。

「遺言的な。遺書があるなら郵送するけど」

「……いいです。親は、べつに……」

「そ。じゃ、死亡通知だけでいいね」

 この場にいる人間の中で、ルカだけはイツキの過去を知らない。アルバイトには個人情報の開示に制限があるからだ。

 しかし、事情を知っているリンたちが聞き流していて、ルカ自身も家族への思い入れが薄いため、イツキの態度も「そういうものか」とすんなり受け入れてしまった。

「それで、イッコ謝っとかなきゃいけないんだけど。前に言った2つ目の『痛くない手段』はムリなんだ。ごめんね」

「……!?」

 無慈悲な宣言にイツキは表情を一変させた。哀願とも抗議ともつかぬ表情だったが、それはこの日初めて見せたイツキの生の感情であった。

「ダマしたわけじゃないよ。今はムリってだけ。それやるハズの人間が出張から帰ってこないんだ」

「……」

「なんで、最初に提案したほうでいい? スパッと終わらせてあげるから」

 リンが手刀を振り下ろして見せると、イツキは息を呑み顔をこわばらせた。

(怖いのかな? そりゃそうか。安楽死できると思ってたんだろうからな。かわいそーに)

 哀れな少年の境遇に同情しつつ、ルカはイツキのようすをつぶさに眺め回す。ルカ自身は無自覚だが、イツキの並外れた容姿に惹きつけられ、目が離せなくなっていたのだ。

 オフィスに入ってきたときのイツキはどこか生気に欠け、無機質な人形のように感じられていたが、こうして血の通った感情を顕にすることで、その美貌も精彩さを取り戻したかのようだ。

 イツキの容姿に感心しているのはルカだけではなかった。

(はああああ……! 写真の100倍かわいい!! なんですかコレ! 反則じゃないですか! 男の子でこんな……! 天使か! ヤバイヤバイ! 顔がとけそう!)

(聞きしに勝るってやつだな。ここまで突き抜けてると本人の性格どうこうじゃない。いるだけで妬みを買うレベルだ)

 表情にこそ出さないが、アオイとフウマも思うところはルカと似たりよったりであった。

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