第7話 水洗式断頭台

その1

 6月も終わりが近づいたある日、午前中で授業を終えたルカは、シュンスケといっしょに定食屋で昼食を取ったあと、いつものように異民局へ向かった。

 最寄りの停留所でバスを降り、公園に入ってしばらくしたところで横合いから呼びかける者がいた。

「よお、ご出勤か?」

「あ、フウマさん。おはようございます」

 公園のベンチに腰掛けていたフウマは、片手を上げながら立ち上がると、異民局へ向かうルカの横に並んだ。

「見回りの帰りですか?」

「いや、食後の休憩だ。昼遅かったんでな」

「なにかあったんですか?」

「ただのスリだよ。おとなしく捕まりゃいいのに路地裏逃げ回りやがってな」

 保安課は基本的にコンビで動くため、リンとフウマのチームはすれ違うことが多いが、それでも顔を合わせる機会がまったくないわけではない。

 フウマは初対面から陽気に接してくれたおかげで、早々と打ち解けることができた。なかなかタイミングは合わないが、相談相手という点では、リンよりもはるかに話しやすい。

 公園の出口まであと少しというところで、今しがたまでのん気に話していたフウマが不意に足を止めた。

「どうしたんです?」

 ルカが振り返るとフウマはあらぬ方を見やっている。

「あそこの猫。見えるか? 芝生の植えこみの陰」

 言われるがままフウマの目線を追っていくと、20mほど先にサツキの植えこみがあり、その陰に潜んでいる猫と目が合った。

「いますね。あれが?」

「アイツ、お前をつけてるんじゃないか?」

「はあ?」

「エサでもやったか?」

「やりませんよ。ただのノラでしょ?」

「餌づけされたわけでもないただのノラ猫が、なんでお前に張りついてんだ? 今だってお前が立ち止まってからずっと動いてないぞ」

「え、そうなんですか? ドコからついてきたんです?」

「知らん。俺が声かけたときにはいたぞ。公園に入る前からつけられていたんじゃないか?」

 ルカとフウマが話し合ってる間、猫は茂みの中でじっとしたままこちらを見ている。

「気づいたならスグ言ってくださいよ」

「ムチャいうな。で、どうする?」

「いや、どうって言われても……」

 ルカはとくに猫好きというわけでもなく、今住んでいるところはペットの飼育が禁止されている。

「懐かれてもメンドウだし、ほっとくのが……」

「普通の猫って決めつけていいのか?」

「? 何がです?」

「この間、リンが捕まえそこなった子供、猫に変身したとかいってたよな? ビルの屋上にいたヤツ」

 陸原くがはらの高層ビルで起きた飛び降り騒動から4日が経過していた。

「らしいですね。俺は直接見てないですけど。どうかしたんですか?」

「アレ、そうなんじゃないか?」

 フウマは茂みのほうをアゴでしゃくった。

「…………え! そうなんですかっ?」

 ありえないとまでは言わないが、ルカが見る限り、茂みにいるのは普通の猫だ。ついてきてるというのもフウマの勘違いかもしれないではないか。

 いきなりそこまで考えるのは、発想が飛躍しすぎているように思えた。

「いや、知らんけどな。かもしれんってだけだ」

「でも、なんでそう思ったんです? どこか怪しいトコありました?」

「だからカンだって。怪しいっていや怪しいだろ。ずっとついてきて、ああしてじっとしてんだぞ? アレがフツーか?」

 たしかにフウマの言う通りであった。猫はサツキの植えこみに潜んだまま動こうとしない。

それはあたかも獲物を襲うチャンスをうかがっているようにも見え、そんな考えが頭をよぎった途端、薄暗い木陰で光る目が不気味に思えてくる。

「けど、なんで俺なんです? 俺、その子と話もしてないですよ? 待ち伏せするならリン先輩じゃないんですか?」

「落ち着け。まだ決まったわけじゃない」

 思わず身を乗り出したルカの顔を、フウマの手がわしづかみにする。

「仮にそうだとして、いちいち慌てんな。理由なんていくらでも考えられるだろ。現場でお前の顔を見たかもしれんし、お前がリンといっしょにいるところを見たのかもな。そんなに知りたきゃ本人に聞け」

「じゃあ、さっさと捕まえましょうよ。こうしてる間に逃げられませんか?」

「だから焦るなって。フツーの猫かも知れないだろ?」

「ほっておくんですか!? 異民局までついてきたらどうするんです?」

 対処法を訊ねている間も、ルカはチラチラと猫のようすをうがかっている。

 得体の知れない相手につきまとわれていると知って、落ち着いていられるわけがない。まして変身能力を持った相手とあればなおさらだ。ここで逃したら、次は別の動物になっているかも知れないではないか。

 そんなルカの不安をよそに、フウマはアゴに手を当ててしばらく考えたあと投げやりに言った。

「当人に話をつけさせるのがイチバン早いな。呼んでくるからお前ここで見てろ」

「は? え、ドコ行くんです? 誰呼んでくるんですか?」

 すでに歩き出したフウマは肩越しにルカを振り返った。

「リンに決まってんだろ」

「俺が行きますよ。フウマさんが残っ──」

「お前の客だろが。いいからじっとしとけ。すぐ戻る」

 有無を言わさずルカをその場に留まらせると、フウマはとくに急ぐでもなく、ゆったりした足取りで通行人をさけながら公園の外へ出ていった。

 ひとり残されたルカは、その背中が見えなくなるまで呆然と立ち尽くしていた。

(……って言ったって。戻るまでに逃げられたらどうすんだよ……。襲ってきたら? 戦うのか? 俺が?)

 チラリと茂みに目を向けると、猫はまだその場から動かず、じっとこっちを見ている。今のところ動き出す気配はないが、いつ心変わりするか知れたものではない。

 異民局のある一帯は24区で数少ない繁華街のひとつであり、その中心にある公園は待ち合わせや休憩場所としてもよく使われるため、昼間の人通りが絶えることはない。

 速歩きの会社員や学生、和気あいあいとした家族連れやカップルが、黙然と立ち止まったままのルカの横を通り過ぎていく。

 何かしようにも、何をするべきか分からず、困惑したままルカは視線だけを猫に向けている。心なしか、相手もこちらをうかがいながら、行動を決しかねているように見える。

 ときおり行き交う人々に視線を遮られながら猫のほうを見ていたルカは、ふと我に返った。

(俺がアイツなら、フウマさんがいなくなったのを見てどう思う? 捕まえるために応援を呼んだと考えないか? 立ち去ったふりして後ろに回りこまれてるかもだし。どっちにしたって、このままココにいるのはヤバいって思うよな。ならどうする? 逃げる一択じゃないか?)

 ルカは茂みに潜む猫の心理を想像してみる。もはや、普通の猫かも知れないとは考えない。変身した帰還民という前提で、ルカは対応を考えている。

(ここで仕掛けるって選択は……無いな。それならもっと前にやってたはずだ。となると「最悪」は逃げられるコトだよな。なら……)

 風船で逃げ道を塞ぐことは簡単だ。問題は距離とタイミングだけだ。

 公園内には遊具やベンチも点在し、暇つぶしや休憩がてらに腰掛ける者もいるが、幸い猫のいる一帯に人溜まりは見られない。

(人が集まったら面倒だ。やるなら今しかない)

 捕獲を決心したルカは、通行人に注意を払いながら、少しずつ猫のいる方へにじり寄った。猫を警戒させないよう、できるだけさり気なさを装う。

(2……、せめて3mだな)

 猫の逃走を防ぐためには、茂みを中心にした全方位に壁を同時に作る必要がある。

 飛び降り現場に接地した「風呂桶」から逃げたことを考えると、ジャンプ力もかなりものだろう。壁で取り囲んでも、高さが不十分だと飛び越えられてしまう。

(動くなよ……、そこにいろよ……)

 心で念じながらルカは一歩また一歩と近づいていく。だが、そのルカの視線の先で、猫がわずかに後ずさりした。じりじりと近づくルカを警戒し、逃走するつもりのようだ。

「なあなあ、君、この前、屋上にいた子だよな? だろ?」

 ルカは咄嗟に猫に呼びかけた。はたから見れば奇妙で滑稽な光景だが、猫はルカに注意を向け動きを止めた。

「ちょっと話あるんだけどいいか? いいよな? そのまま、大丈夫、何もしない。話がしたいだけだから」

 猫の関心を引きつけるため、会話を切らすわけにはいかない。言葉を選んでいる余裕もなく、思いつくまま口を動かす

「なにあれ」

「ネコいるじゃん。あそこ」

「ホントだ、アレと話してんの?」

 通行人たちの冷ややかな視線を背中に感じながら、ルカはとにかく話しかけ続けた。

(じっとしてろよ……、あともうちょいだから……)

 ルカの口が無意味なおしゃべりを続ける間、ルカの目は慎重に彼我の距離を測っていた。

 その緊張が伝わったのか、茂みの中の猫も再び身構えるが、そのときすでにルカは魔法の射程範囲に相手をとらえていた。

「いまだ──っ」

「何してんの?」

「!?」

 魔法を発動しようとした瞬間、背後からの声に虚を衝かれた。前方に神経を集中していたルカは、驚きのあまりその場で小さく飛び上がった。

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