その5

 用意されたコーヒーにミルクと砂糖を入れたタイミングで、扉の向こうから人の声がした。待ち合わせ相手が来たのか、と思った直後、扉が開いて長身の人物が現れた。

「やあやあ、お待たせして申し訳ない!」

 ルカは一瞬心臓が止まるかと思った。応接室に入ってきた人物は、それくらい異様な風体をしていた。

 身長はざっと2mはありそうだ。黒い上下のスーツ、黒のベストに黒のシャツ、手には黒い手袋をはめ、足には黒い革靴と、文字通り黒一色の出で立ち。

 だが、それ以上に奇怪なのが、顔につけた仮面だ。目と口を大きく開いた憤怒の形相で、全体が黒く塗りつぶされているなか、瞳と牙だけが闇夜に浮かぶ星の如く金色に輝いている。

 仮面の周りは、胸元まで届くほど長い毛で飾られており、さながらライオンのたてがみのように頭部全体を覆っている。

「ああ、そのままそのまま」

 仮面の人物は、立ち上がって挨拶しようとするリンを手振りで止めると、彼女の前の席にどっかりと腰を下ろした。

「リン君、久しぶりだね。元気そうでなによりだ」

 厳つい仮面からは想像できないほど若々しい声だ。仮面の下半分を占める巨大な口には隙間があるようで、その奥から聞こえてくる声にくぐもったようすはない。

「ご無沙汰です、ミナミさん。そちらもおかわりなく」

「そして、君が芒薄すすき君だね」

 リンがミナミと呼んだ人物は、ルカのほうに向き直ると、懐から取り出した、やはり黒い名刺を差し出した。

「私がこの町の町長の南天なんてんだ。よろしく」

「芒薄昴鶴るかくです。こちらこそ。よろしくお願いします、町長!」

 バイト初日に渡されたマニュアルの内容を脳内で必死に復唱していたルカは、勢いよく席から立ち上がると、両手で名刺を受け取った。

「ああ、座って座って。そんな固くならなくていいから」

「すいません、俺まだバイトなんで、名刺持ってなくて」

 腰を下ろしたルカは、硬質の手ざわりに違和感を覚えた。よく見ると名刺は紙製ではなくアルミ製で、「南天町 町長 南天耀源ようげん」とあった。

「彼にはまだ早いんじゃないですか? 異民局うちで働くと決まったわけじゃなし」

「ハハハ、厳しいなぁ。まぁ、いいじゃないか。せっかくこうして顔を合わせたんだ。袖擦り合うもなんとやらだよ。それと芒薄君。できれば私のことはミナミと呼んでくれないかな。そのほうが通りがいいし、私も慣れているんでね」

「わかりました」

「しかし任務のついでとはいえ、わざわざ足を運んでもらって申し訳なかったね。こちらから出向ければよかったんだが」

「いいんですよ。そっちはついでだったんで。本命はこっちです」

 リンはカバンから紙袋を取り出した。袋の表面には、どこかの店のロゴがプリントされている。

「はいどうぞ。ツバキさんからのお届け物です」

「おお! 豆屋焙煎のネラペルラだね! これは素晴らしい!!」

 興奮を抑えきれないようすのミナミは、袋から取り出したコーヒー豆を両手で大事そうに捧げ持った。

「この間、本土に行ったとき偶然立ち寄れたそうです」

「いやぁ、そうかぁ。これは嬉しいね。大変感謝していたと伝えてくれ。……それにしても、ツバキ君もまだまだ忙しそうだね」

「ですね。ほぼ毎日、何だかんだ理由をつけては本土に呼ばれてますよ」

本土むこうでも人気者だからね。折衝役として彼女ほどの適任者はいないだろう」

「こちらはどうです? 北の連中は?」

「相変わらずさ。つい昨日も牧場が襲われた。見回りを増やしているが、なかなか手が回らない」

 2人は双方のフロアで起きた最近のできごとについて語り合った。フロア間の直接的な連絡が困難であることから、こうした会合は情報交換の意味でも貴重であった。

 そうなるとルカにはやることがない。2人の邪魔をしないよう、静かに目の前に置かれたスイーツに手を伸ばした。

 コーヒーに添えて出されたのは、よくあるチーズタルトだった。だが、味は平凡どころではなかった。一口食べた途端、あまりの美味さにルカの顔がとろけた。

 外側の生地はサクサクとしたクッキー仕立てで、中には柔らかなチーズムースがたっぷりと詰まっている。口内を満たす爽やかな甘みもさることながら、2つ異なる食感のバランスがたまらない。

「気に入ってくれたようだね」

 目を輝かせながらタルトを口に運び続けるルカを見て、ミナミが嬉しそうにうなづく。

「とても美味しいです。ほんとに。今まで食べた中で一番かもです」

「当然。桂さんはヒロさんのお師匠だもん」

「え!? これ桂さんの手作りなんですか!?」

 ヒロこと西園寺さいおんじ公望ひろみは、異民局の施設にあるカフェ「ロンシェール」の店長だ。スイーツの名人としても知られ、彼女のスイーツは24区の名物に数えられる。

「お菓子作りは彼の数ある特技のひとつさ。おかげで毎日オヤツの時間が待ち遠しくてね」

 ちょうどそこへ当の桂が現れ、控えめに外周列車の発車時刻が近づいていることを告げた。

「ふむ、残念ながら今日はこれでお開きだな。次はぜひゆっくりしていってくれ。泊まりになったって構わんだろ?」

「そりゃもう。今度の非番にでもお邪魔しますよ。職員特権で」

 ミナミはリンと握手を交わし、その後、ルカにも手を差し出した。手袋をつけたままだったが、柔らかく包みこむような握り方に、ミナミという人間の本質が現れているように感じられた。

 2人が応接室を出たところで、カウンター越しに桂が紙袋を差し出した。

鉄葎かなむぐら様。よろしければこちらをお持ちください」

 紙袋にはホールサイズのチーズタルトが2つ入っていた。

「わぁ! いただいちゃっていいんですか?」

「本日お立ち寄りになられるとうかがっておりましたので、勝手ながらご用意いたしておりました」

「ありがとうございます! みんな喜びますよ。とくにアオイは、桂さんのタルトの大ファンですから」

「恐縮です。よろしくお伝えください」

 思わぬ土産を受け取ったリンは、いつにも増して軽快な足取りで廊下を進む。早足で何とかつきしたがっていたルカは、階段を通り過ぎたことに気づき、前を行くリンに声をかけた

「あれ、いいんですか? そっちで」

「帰りは別ルート」

 ルカは周りを見渡し、人影がないのを確認してから、さきほどの対面の印象を小声で語った。

「ミナミさんってイイ人ですね。松形まつかたサンのおかげで、もっとコワイ人想像してました。あの仮面にはビビリましたけど」

「魔王の城に居候してたんなら見慣れてんじゃないの?」

「そりゃまぁ、あんな感じのヒトいましたけどね、たくさん。けどこっちで会うのとは違うでしょ」

「言っとくけど、ミナミさんの被り物、アレだけじゃないからね?」

「お面を集めるのが趣味なんですか?」

「さぁね。宇宙飛行士のヘルメットかぶってたときもあったし。ちなみに今日のは、能のお面を改造したものらしいよ」

「ノウ……。カブキみたいなモンでしたっけ?」

「バイト君、ホントに編入試験通った?」

 やがて2人は開けた場所に出た。5m四方ほどのスペースには、右手の壁に木製のガラス引き戸がひとつあるだけで、廊下はさらに先まで続いている。

 木製の扉の向こうは、大人が4人も入ればいっぱいになるほど小さな部屋で、すでに中に誰かいるようだ。

 リンに続いて小部屋に入ったルカは、そのときになってようやくそれがエレベーターだと気づいた。扉の上にあった飾りは時計針式階数表示器フロアインジケーターであった。

「1階をお願い」

 リンが告げると、扉の横に立っていた男は、ガラス戸と蛇腹式の二重扉を丁寧に閉じたあと、壁に設置されたハンドルを操作した。

 どこか懐かしい駆動音を立てながら、エレベーターはゆっくりと降下していく。

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