その4
やがて突き当りにひときわ豪華な造りの扉が見えてきた。その手前には木製のカウンターが設けられていて、ひとりの老紳士が席から立ち上がりリンを出迎えた。
「ようこそ、
「こんにちは、
リンはカウンター越しに老紳士に挨拶すると、後ろのルカを親指で指し示した。
「ウチでバイトしてる
「芒薄
「ご丁寧なご挨拶恐れ入ります。私は、
「あ、はい、こちらこそ、ヨロシクお願いします」
軽い挨拶のつもりが、老人からお手本のようなお辞儀を返され、ルカはやたらうろたえた。ナンテンという名前に聞き覚えはないが、会話の流れから察するにこの町のボスのことであろう。
老紳士は2人を応接室に案内するといったん退出した。
「なんか、すごいですね。こういう感じの部屋、
ルカはしげしげと部屋を見渡した。
奥行きのある多角形の天井、室内を周回する2本の壁梁、そしてクリーム色の壁面に施された直線的な装飾は、それ自体が近代アートのような趣きがある。
黒革張りのソファやガラス製のセンターテーブル、幾何学模様の格子が入ったステンドグラス窓、壁掛けの大時計といった家具の数々も、過剰な装飾を省き美しいほどにシンプルに整えられている。
「モダニズム建築っていうらしいよ」
「ははぁ……」
それがいったい何を表しているのかさっぱり分からないルカは間の抜けた相槌をうった。
「詳しいんですか?」
「なわけないでしょ。ツバキさんの受け売り」
部屋中をうろうろしているルカに構うことなく、さっさとソファに座りこんだリンは、カバンを開くと中に入っている書類や紙袋を整理し始めた。
その間に室内をぐるりと眺め回したルカは、窓のほうへ近づいた。
「地下の町ってどんな感じなんです?」
背後のリンに問いかけつつ、ルカは古い記憶にある「駅の地下街」のような光景を想像していた。
低い天井を支えるため壁や柱がそこら中にそそりたち、薄暗い電灯に照らされた狭い通路を住民たちが行き交う、そんなイメージだった。
だが、窓の前まで来たルカは、信じられないものを目にし息を呑んだ。
「……!」
そこには想像とは真逆の景色が広がっていた。
透き通るような青い空。
ゆったりと流れる白い雲。
さんさんと照りつける太陽。
そして、はるか地平線の彼方まで延々と続く茶色の荒野。
「これ……、ここ、まさか地じょ……」
「違うよ」
カバンを整理中のリンは手を止めることなく、ルカの誤解を正した。
「ここは水深2,000mの深海だよ。太陽は昇るし、雨も降るけど、天井はちゃんとある。カモフラージュされてるだけ」
「カモフラージュ……。あ、じゃあ、あの地平線も?」
「そっちは本物だよ。ここは第2層の端っこだからね。単純な面積でも上の2倍あるんだから、反対側が見えるわけないだろ」
「にばっ……!?」
ルカのおぼろげな記憶では、第1層ですらトーキョー全区の中でトップクラスの広さだったはず。それが2つ収まってしまうほどの空間が、水深2,000mの地底に広がっているというのか。
ルカは広大な荒野を右から左へ眺め回した。ところどころ雑木林や丘が点在し、川や池らしきものも見える。
「これも、
もし、たったひとりでこれほどの空間を生み出したのだとしたら、同じ帰還民であるルカから見てさえ、途方も無い能力の持ち主ということになる。
「かもね」
視線を下に傾けると、人工の建築物が視界に入ってきた。迷路上の通路を歩いている間は気づかなかったが、いつのまにか5階分ほど上ってきていたようだ。
窓から見える建物の多くが平屋建てのため、集落の全貌が見渡せる。見たところ家屋のほとんどは、木造の長屋や掘っ立て小屋のたぐいで、それらが集落の中に不規則に散らばっている。
「
殺風景なほど素朴な光景は、ルカの抱く「町」というイメージからは程遠く、「村」という表現のほうがピッタリな気がした。
雑草だらけの地面は凹凸が激しいのか、あちこちに水たまりができていて、電信柱や街灯の類も見られない。
眼下を行き交う住人たちの姿を追っていると、集落の一角に人だかりができていることに気づいた。どうやら路上に並べた品物を売り買いしているようだ。
「あれは……、商店街ってところかな? ムラの中心……かどうかは分からないか、コレじゃ」
木の柵と土塁で囲まれたムラは、ルカから見て、前方と左右の3方向に突き出ている。今いる場所が第2層の端にあるというなら、このムラは☆型の上半分を切り取ったような形状と思われる。
「このムラって何人くらい住んでるんですかね?」
「わかります?」
「いや、聞いてるの俺ですけど?」
ルカが振り返ると、いつの間にか桂が部屋に戻っていた。
ワゴンに載せられたコーヒーとスイーツをテーブルに並べながら、桂はリンの問いに答えた。
「私どもで把握しておりますところでは、現在町の人口は873名でございます」
「そんなに!? このム、町だけで? 800人?」
「この屋敷で働く者だけでも100人はおりますし、町の外で牧畜や養殖を営んでいる者もおります」
窓の外に広がる寂れた「町」の印象と、そこからは想像もできない人口800人超という実態とのギャップは、桂の説明でいちおう納得できた。
しかしルカが驚いた理由はそれだけではなかった。
さらに、今さらながら気づいたことだが、この桂という老紳士も、
テーブルのセッティングを終えた桂は、最後に「主はすぐに参ります、どうぞお掛けになってお待ち下さい」と告げ退出していった。
「バイト君、いい加減、座りな。行儀悪いよ」
「! すいません!!」
ルカは弾かれたように窓際から離れた。礼儀作法について中学生に指摘される高校生というのは、はたから見てあまりにも情けない。
「それと、人の顔、ジロジロ見ない。失礼だよ」
「え? 俺、そんな見てました?」
ルカは2人がけソファの前に回りこむと、リンの左隣に座った。
「ガン見してたよ。いろんな事情あるんだから、いちいち詮索しない。せめて顔に出すな」
「いろいろって、犯罪とか以外にですか?」
ルカの中では「第2層=刑務所」というイメージができあがっていた。
「異世界で身につけた力が暴走する人とか、そういうのとは無縁な生活をしたいって人とかね。この屋敷はそういう人たちを受け入れる施設でもあるわけ」
「へー」
「……ていう話は、最初のオリエンテーションで説明されてるハズなんだけどね。松形との話聞いてて思ったけど、やっぱり忘れてたんだね」
「……スイマセン」
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