その3
振り向いた
「……な、なんだよそれ。なんでだよ!」
「言ったでしょ。反省できないヤツは一生地下暮らしだって」
「ふ、ふざけんな! 聞いてねーぞ! そんなデタラメな……っ!」
「前に釈放されたとき言われたでしょ、恩赦は一度だけって。忘れたならアンタが悪い。……まぁ、どうしてもって言うなら」
冷たく光る瞳が狼狽しきった松形を見上げる。
「今ここでその腕、切る? そうしたら上に戻してあげるよ」
いつの間にかリンの左手には刀が握られていた。彼女も異世界の力を失っているはずなのに、どこから取り出したのだろうか。
「はぁっ!? ま、待てよ、待て待て! 何でそんなヤバイ話になるんだよ! ふざけんなよ!? いきなり無期はねーだろって話じゃねーかよ!」
「いきなりじゃないよ。アンタの盗み癖は治らない。
「そんなムチャクチャな話があるかよ! 裁判もナシで一生とかありえねー! こんなの違法だ! デタラメだ! 俺の人権はどうなるんだ!? 訴えるぞ!!」
「じゃあ、いい弁護士探すんだね」
突然遵法精神に目覚めた松形は、これまで自分が重ねてきた犯罪行為を棚上げし、法治国家としての理念をまくし立てたが、リンはまともに相手にしなかった。
「
リンに抗議しても無駄と察した松形は、またしてもルカにすがりついた。
「ニイチャンも何とか言ってくれよ! ホントに俺は聞いてなかったんだって! 知ってたらゼッタイ盗みなんてしなかったんだよ! 信じてくれよ! なぁ! もう二度とやらねーからよお!」
いくら頼られたところで、異民局が正式に認めたことなら、たかがバイトのルカにできることなど何もない。
ただ、松形の訴えも一理あるように思う。異民局の権限に詳しくはないが、こっちの世界の常識で考えれば、ずいぶん乱暴なことを言っているのは分かる。
「あのー、ホントに1回限りなんですかね?」
松形が期待に顔を輝かせるが、ルカはリンの視線が痛すぎてそれどころではなかった。
「いや、その、もう1回だけチャンスあげたらどうですか? 本人は聞いてなかったって言ってるし、反省もしてるみたいだし。盗難で一生ってのは、重すぎな気がするんですけど」
軽侮のこもった視線から逃れるように、ルカは目を左右に泳がせながら、なんとか最後まで言い切った。
「バイト君さ、それ被害者の前で言える?」
「え?」
「毎日ちゃんとルール守って、コツコツ働いてためたお金を、ある日、突然盗まれた人の前で言えるのかってこと」
「いや、それは……」
「部屋中荒らされて、大切な思い出の品を壊された人だっている。コイツ捕まえたって全部元通りになるわけじゃない」
「まぁ、そうなんですけど、この人も、いちおう反省してるみたいだし」
「そうそう! 反省した! もうしないって! ほんと! マジで心いれかえるから!」
松形はルカの言葉に勢いよく応じたが、リンはまったく相手にしない。
「じゃあ、バイト君が責任もつのね?」
「……っていうと?」
「コイツが次に何かやらかしたら、被害者のメンタルケアふくめて全部補償するってコト。それなら刑期短くしてあげるよ」
「え、いや、それは……」
「本土で200件以上盗みを繰り返して、こっちでも10件以上やらかして地下送りになった。挙げ句、出てきてすぐ再犯するようなヤツ、私ならゼッタイ信用しないけどね」
「……ですね。俺もムリです」
ルカはあっさり手のひらを返した。赤の他人の罪を負わされてはたまらない。
「ええー! おい、頼むよ、信じてくれって! 一生地下暮らしなんてありえねー!! ゼッタイ、もう二度とやらないから! 頼むって!」
「いや、ムリですって。俺、アナタのことゼンゼン知らないし。さっきまでの態度で信じろってほうがありえないでしょ」
「けどよ、おかしいだろ!」
「おかしくない。地下は刑務所じゃないからね。
「そ、そんなのできるわけねーじゃねーか……。誰に言えってんだよ。外との連絡はぜんぶお前らが管理してるじゃねーか」
「そうだよ? だから私たちの信頼を失ったらおしまいなんだよ。ココではね」
「……聞いてねーよ、そんなの……」
がっくりとうなだれた松形は力なくその場に崩れ落ちた。
ちょうどそのとき壁の通用口が開き、警備員が戻ってきた。出ていったときはひとりだったが、戻ってきたときには屈強な体つきの男が2人増えていた。
「やめろ! さわんな! 離せ! いやだ! 離せ!」
男たちは床にしゃがみこんだ松形を左右から抱えあげると、強引に立ち上がらせた。
「いやだ! 頼むよ! もう二度と盗みはしないから! ほんとだ! 誓うよ! だから頼む! 止めてくれ! ココで一生なんて無理だ! いやだ! いやだぁー!!」
鉄柵の前に立つ警備員が扉の鍵を開き、松形は男たちに引きずられたままルカの視界から消えていった。
「バイト君、何してんの? 行くよ」
閉じられた扉を見つめていたルカは我に返った。振り返るとリンが通用口の向こうから手招きしている。
「え、ドコ行くんですか?」
「ついでだから町のボスに会わせたげる」
「え、ボスって誰です?」
「この町で一番エライ人」
通用口の奥は妙に入り組んだ作りをしていた。
建物の中を通っているはずなのに、丁字路や三叉路に何度も出くわし、階段を登ったかと思えば、渡り廊下に遭遇するなど、さながら立体迷路だ。
廊下の幅や天井の高さもまちまちなあたり、素人が思いつきで増改築を繰り返したのかも知れない。
「ツバキさんがやっといたほうがいいっていうからさ」
秩序とは無縁の廊下をリンは迷いなく歩いていく。
ときおり奇怪な格好をした人間とすれ違った。なかにはリンと挨拶を交わした者もいたようだが、ルカには細かく観察するだけの余裕はなかった。
一度、リンの姿を見失ったときは肝を冷やした。
先をいくリンが右手の細い通路へ入るのを見たあと、ルカは前方で人影が動くのを見た。注意をそらしたのはほんの数秒だったが、視線を戻したときリンの姿が消えていたのだ。
曲がり角の奥には扉があり、扉を開いた先は小部屋になっていた。部屋の四方の壁すべてに扉があり、リンがどの方向に行ったのか分からない。
幸いなことに、焦ったルカが最初に開いた扉の向こうにリンの背中が見えたから良かったものの、もし別の扉を選んでいたらと思うとゾッとする。
すでに自分が歩いてきた道順すら分からない。リンに置いていかれたら確実に帰れなくなる。離れずついていくだけで必死だった。
「私はまだ必要ないと思うんだけど。まぁ、ウチで働くなら、今日みたいな引き渡しとか捜査で、いろいろ世話になるからね。早いうちに直接会っておくのも悪くない」
「はあ、そういうもんですか」
「別の意味で世話になることもあるし」
「というと?」
「例えば、バイト君が何かやらかして地下送りにされたときとか」
リンは軽やかに宙に舞うと、5段ほどの小階段を一気に飛び降りた。
「
「ボスが後ろ盾になってくれるわけですね。そういう状況になりたくないですけど」
「必ずなってくれるってわけじゃないよ。ふだんのバイト君の心がけ次第かな。ボスの機嫌とか気にしない連中もいるし」
何度目かの階段を上がりきったとき、周りの印象が一変した。
2人が出てきた廊下は、幅3mほどの広さがあった。
淡いクリーム色に染まった漆喰の壁、水平線のように長く伸びた太い梁、床には赤い絨毯が敷き詰められている。
やや低く抑えられた天井と太い梁のコントラストが、どこか重厚な雰囲気を感じさせるが、全体に整然としているためか、閉塞感のようなものはない。先程までの雑然とした雰囲気は一変し、とても同じ建物の中とは思えない。
廊下の左右には等間隔に木製の扉が並び、さらにそれらを挟むように格子状のレリーフが配置されている。リンはそれらに目をくれることもなく、スタスタと奥へ進んでいった。
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