その5

「確かにこんな話、他人に聞かれるわけにはいかんな」

 食事をする前、ミスカが従卒たちの給仕を断ったのも頷ける。王宮がミスカの予言を知れば、ヒュムラは間違いなく反逆罪に問われる。

「まさか王家に弓を引くことになるとはな。しかも俺ごときが皇帝だと? アイツらが聞いたら何というかな。アーセラには皮肉を言われるだろうし、ディナスは『いっそ自決したらどうだ』くらい言いそうだな。ヴァンダーはきっと心配……」

 戦友たちの顔を思い浮かべていたヒュムラは、ミスカに向き直った。

「そうだ、アイツらがいるじゃないか。アイツらはどうしたんだ? ヴァンダーたちなら俺ごとき簡単に抑えられるだろ?」

 ミスカはヒュムラの問いを予想していたらしく、考えこむようすもなく話し始めた。

「アーセラは何もしない。彼は今、天空回廊にいるの。回廊の一部を研究室に作り変えて、そこで魔術の研究をしている。この先もずっと、真実の探求だけに生涯を捧げる。地上で何が起ころうと一切関心を向けない」

 ミスカの話しぶりから察するに、それも予言夢プロペソムで得た知識のようだ。

「かつてメディオ建国王は、挙兵するに際して『力有る者には果たすべき義務がある』とおっしゃったそうだけれど、アーセラは、それを果たし終えたと思ってる」

 ミスカが引用したのは建国史の一節だが、発言そのものはそれほど独自性があるとはいえない。戦乱の世に立身出世を望む者なら誰でもいいそうな言葉だ。

「私もね、じつは同じ気持ち。アーセラだけじゃない。魔神との戦いに参加したみんなそう。命がけで世界を救ったんだもの。誰にも縛られず、自由に生きる権利がある。そうでしょ?」

 聖女と呼ばれる少女は誇らしげにそう断言した。

 ヒュムラも自然にうなづいた。

「ディナスは相互不可侵の盟約があるから、王国側から要請が無い限り何もできない。それにダーク・エルフの中には『この戦乱に乗じて領土を広げるべき』という過激派もいて、ディナスが争いに介入すれば彼らに口実を与えてしまう。森の一部を開いて難民を受け入れるだけで精一杯。でもそれで多くの命が救われるの。彼女には感謝してもしきれない」

「……そうか、苦労をかけてしまうな」

 ヒュムラにとっては未来のできごとだが、仲間が被害を被ると思ったら自然と反省の言葉がこぼれ出た。

「そして、一番複雑な運命をたどるのがヴァンダー。もっともありうる可能性は毒殺」

「毒殺!? 誰にだ! まさか……!」

「いいえ、貴方じゃない」

 思わず腰を浮かしかけたヒュムラを、ミスカは穏やかになだめる。

「ヴァンダーは彼の部下に殺されるの。王家の密命で」

「王家が!? なぜだ! あれほど忠誠心の厚い男を!」

「そう。ヴァンダーは信義を重んじる。だから貴方に与すると疑われてしまう」

「馬鹿な……! アイツは友情に目がくらんで、己の責務をおろそかにするような男じゃないぞ!」

「ええ。私たちはそのことを知っている。でも他の人はそうじゃない。彼のことをよく知らないどころか、彼の身体に流れる妖魔の血に偏見を抱いてる。むしろ世間の人が無私の英雄だと信じていたのは貴方よ。その貴方が王家に反旗を翻したんだから、王都の人々がヴァンダーを疑う理由は十分すぎる」

「……俺のせいか。俺のせいで、ヴァンダーが死ぬ……」

「毒殺を免れた未来では、彼は貴方に討ち取られるか、貴方と相打ちになって果てる。ヴァンダーも死の運命に囚われたひとり」

「死の運命……。君とヴァンダーが……」

 ヒュムラがひとりごちると、ミスカは首を左右に振った。

「貴方もそうよ、ヒュムラ」

「俺も?」

「世界を敵に回した貴方は戦い続ける。自分が斃れるまでね」

「……私情で謀反を起こし、友人を殺した挙げ句に、最後は戦場で屍を晒すか。自分がこれほど情けないヤツとは思わなかった」

「負けるとは限らない。貴方が世界を支配する未来もあるの。でも、すべての敵を倒し、世界征服を成しとげたら、貴方は自分自身を手に掛けてしまう。ヴァンダーを殺めたことで貴方の心は完全に壊れ、目的を果たした途端、犯した罪の重さに耐えきれなくなる」

「……」

「そして、貴方の肉体が滅びたとき、解き放たれた闇が形をなす。絶望と憎悪の塊。……新たな魔神の誕生よ」

「!? 魔神を生むのか……、俺が……」

 ヒュムラは絶句し、天井を仰いだ。

 苦難の旅の果にようやく魔神を討ち果たし、世界を救った自分が、新たな魔神を生み出す。

 それでは、あの長く辛い旅は何だったのか。旅の中で育まれた仲間たちとの友情も、彼らを支えてくれた多くの人々の死も、すべて無駄だったというのか。

 それどころか、この先の世界のことを考えたら、ヒュムラ自身は志半ばで倒れ、仲間たちだけで魔神を倒したほうがよかったのではないか。

 そう錯覚してしまうほど、ヒュムラは激しい虚無感に襲われた。

 しばらくの間、目を閉じたまま身動きひとつしなかったが、やがて天井に向けていた顔をゆっくりと下ろしていく。再び目を開いたときには、顔色は蒼白ながらも、表情は落ち着きを取り戻していた。

「……そうか。これが君のとっておきだったんだな」

 やや強張っているとはいえ、笑みを浮かべるだけの余裕もできていた。

「まさか俺が魔神の苗床になっていたとはな。これほど皮肉で予想外なことはない」

 だが、ミスカはそんなヒュムラの言葉をきっぱりと否定した。

「違う。そんなことはどうでもいいの、私は」

「? 何を言ってるんだ?」

「言ったでしょ? 私たちは義務を果たしたって。私たちが死んだあと、この世界がどうなろうと、どうだっていい! 私たちに何の関係もない!!」

 ミスカが突然語気を荒げたことに、ヒュムラは戸惑った。

「どうしたんだ。落ち着け、お前らしくないぞ」

「私は何も変わってない! 昔からこんな人間よ。やりたいことだけやってきた、すごく、すっごくワガママなの! 魔物と戦ったのもそう! 世界を旅したのだってそう! 我が身を犠牲にして世界を救った聖女!? 違う、自分がそうしたかっただけ! 誰かのためなんかじゃない!」

 ミスカがこれほど激しい剣幕を見せるのは初めてのことで、ヒュムラは思わず息を呑んだ。

「世界が滅んだって構わない! ……貴方が生きてさえいてくれたら! 貴方の魂が安らぎを得られるのなら……!」

「ミスカ……」

 ヒュムラが何か言いかけたとき、扉の向こうから従卒の声がした。会話の内容が聞こえたわけではないが、騒ぎが起きているようなので心配になったのだ。

 ヒュムラは急いで席を立つと、扉を少しだけ開き「思い出を語りあってる間に少し興奮してしまった」と告げ、安心するよう伝えた。

 従卒を納得させ、ヒュムラが席に戻ると、ミスカは「ごめんなさい」とつぶやき頭を下げた。

「……いろんな未来を見たわ。一晩に何度も何度も。貴方が生き残れる未来を探して。でもダメだった……。何度繰り返しても貴方は死んでしまう。そして、魂を闇に食いつくされ、輪廻を失う。私はもう貴方に会えなくなる。永遠に……。そんなの耐えられない……」

 いったん言葉を切ったミスカは、しばらくヒュムラの瞳を見つめてから再び口を開いた。

「……だからねヒュムラ、……私と、いっしょに、死んで?」

 ミスカの頬を一筋の涙が流れ、テーブルに滴り落ちた。と、それを待っていたかのように、彼女の左右の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出てきた。


 ――そう、これが彼女の「とっておき」だった。

 夢の中でリンは述懐する。

 ヒュムラにこのことを悟らせないために、ミスカは、不安と悲しみを押し殺し、必死に演技し続けていたのだ。そして、事実を告げた途端、感情が抑えられなくなってしまった。


「ごめんなさい。このぶどう酒にバトリナムの樹液を混ぜたの。じきに指先の感覚が無くなっていくはず。麻痺が全身に広がる頃には深い眠りに落ちて、やがて心の臓も止まる……」

 ヒュムラは手にしたグラスを静かに見つめた。赤く透明な液体がランプの光を反射してたゆたっている。同じものがミスカの手にもあった。食事の間、2人は勧め合うようにして杯を重ねていたのだ。

「……本当に、ごめんなさい。私には、貴方を救えないっ。貴方の魂を守るにはコレしか……、闇が芽吹く前に命を断つしかなかった……! ごめんなさいっ。私が、身勝手で、愚かなばかりに、貴方の未来を奪ってしまう。貴方との、大切な、約束も守れなっ……」

 しゃくりあげながらミスカは謝罪を重ねていたが、最後は言葉にならない。

 そんなミスカを見つめるヒュムラは、対象的なほど落ち着いていた。ミスカの告白に驚きはしたものの、怒りを覚えてはいなかった。

 それどころか、自分でも不思議なほど心が満ち足りていて、安堵すら感じていたのだ。

「泣かないでくれ、俺なんかのために」

 泣きじゃくるミスカをあやすようにヒュムラは陽気に答えた。

「謝ることなんて何もないんだ。俺の行き先を決めるのは君だ。今までずっとそうして来たじゃないか。そうだろ? これからだってそうさ。こんな俺のために、そんなに悩んで、苦しんで、答えを探してくれたんだろ? それだけで満足さ。だから泣かないでくれ。そうだ、まず君の治療をしないとな。すぐに司祭を呼ぶから……」

 立ち上がろうとしたヒュムラの手をミスカがつかみ、離そうとしない。

「なんだ? ……まさか!? ダメだ! 君までつき合うことはないっ。君は生きて、幸せになってくれ。これは俺の本心だよ」

 ヒュムラは必死に訴えたが、ミスカは泣きながら首を振った。

「いいえ。貴方が死んだあと、貴方の魂を天上界コンセ・カレスに連れていく者が必要よ。肉体から離れた魂は惑いやすい。闇の影響を受けた魂はとくにね。祈りではなく、直接導く必要がある。そして、それは私の役目よ。こればかりは、総大主教様にだってお譲りするわけにはいかない」

 静かにそう告げるミスカの瞳には、ヒュムラが初めて見る輝きがあった。それは、熱く、深く、透き通るほどに純粋な想いの輝きであった。

 ミスカの瞳に魅入られたヒュムラはようやく察した。彼女もまた、自分を想ってくれていたのだということを。

「そうか。……じゃあ、今さら遠慮はなしだ」

 ヒュムラは手にしたグラスを傾け、中に満たされていた毒酒を一気に飲み干す。

「君が天上界コンセ・カレスに行くというなら喜んでつき従うさ。俺は君を守る、そう誓ったんだからな。置いていかれてたまるか」

「ヒュムラ……」

 2人とも泣いていた。泣きながら笑っていた。

 笑いながら呑み続け、語り続けた。

 これまでのこと。

 これからのこと。


 ――いったいどれだけの時間が経っただろう。

 不意にミスカがグラスを取り落した。手に力が入らない。

 2人がそれに気づいたときには視界もぼやけていた。室内に霞がかかったかのように、すぐ目の前にいるはずの相手の顔すら見えなくなっていた。

 2人の身体がぐらりと傾き、音高くテーブルに突っ伏した。全身から力が抜けていき、身体を支えることができない。

「く……!」

 どちらからともなく相手に向かって手を差し出した。最期の瞬間はふれ合っていたかった。だが、残された力はごくわずかで、指先を伸ばすことさえ困難になっていた。

(まだ……、もう少し……、あと、少しだけ……!)


 目を開いたリンは、突き出された手の先に、無機質なコンクリートの天井を見た。

 汗を吸った寝間着が胸のあたりにまとわりついていて、わずかながら息が荒い。

 伸ばしていた腕が力なく布団の上に落ちる。

「……あきもせず、何度も何度も……」

 そうつぶやいたきり、リンはしばらくパイプベッドの上で動かなかった。

 やがてノロノロと起き出すと、寝間着を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。熱い湯に打たれることでわずかに残っていた眠気が流れ落ち、ここが現実であることを全身で実感する。

 5分ほどして脱衣場に出てきたときには、すっかり目が覚めていた。

 鏡をのぞきこむと両の瞳がわずかに赤い。

「向こうでは全部忘れてたくせに。皮肉なモンよね」

 鏡に映る顔はどこか寂しげだった。

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