その4

 ミスカが語る内容を、ヒュムラは信じられない思いで聞いていた。

 清廉な彼にとって、廷臣たちの言動は理解を越えている。

(人が大勢集まることで、そこに派閥が生まれたり、権力争いが起こることは分かる。事情も承知している)

 修行時代に所属していた神殿でも近しいことはあった。

 最初にそれに気づいたのは神殿で修行を始めたばかりの頃であった。まだ少年だったヒュムラは、神に仕えるべき者たちが、苦しむ民を無視し、世俗的な争いに血道を上げる姿に困惑した。

「群れにかしら立つ者が必要なことは人も獣も変わらぬ。そして、3人寄れば閥ができることもまた必定。これは人の生まれもった性であり、消し去ろうとしても無益だ。取りこまれたくなければ関わらぬがよい」

 苦悩する弟子にそう語った彼の師は、終生いかなる派閥にも属すことなく、粗衣粗食で聖職者の責務を全うし、魔物との戦いの中で命を散らした。

(確かにアーセラも円満な人格とは言えぬ。アレの圭角が不満や反発を招くこともあるだろう。だが、それにも限度があるのではないか? アーセラの才能は、その欠点を補ってあまりあるもののはずだ。王宮の方々は、いったい何を考えているのだ?)

 アーセラの在職中はことあるごとに反発し、彼が職を辞すればそれを責め立てる。あまりに理不尽ではないか。いったいどうすれば彼らは満足するというのか。

「……そうか、思えばあのとき……」

 もう2年以上前になるだろうか。西方の巡回を終え王宮に報告に上がったその日、ヒュムラは宮中の一角でアーセラと会ったことがあった。

 挨拶を交わした程度であったが、短いやり取りの中でアーセラの発した言葉が思い起こされる。

「学院にいた頃、学院長選挙に右往左往する導師たちを見て、『世の中で、これに勝る時間の浪費はないだろう』と呆れたものだが、浅はかだったよ」

「お前ほどの賢者でも見誤ることがあるか」

 自他共に天才と認める青年が珍しく殊勝なことを言うので、ヒュムラはてっきり何かの冗談かと思ったが、戦友の目を見た途端その考えは霧散した。

「佞臣どもにまつりごとを語るほうが、よっぽど不毛だ」

 辛辣に吐き捨てた年少の友の顔が今でもハッキリと目に浮かぶ。思えばあのときすでに、王宮の人々に愛想を尽かしていたのだろう。

 もしヒュムラがアーセラの苦悩に気づいていたら、力になれることがあったかも知れない。

 宮廷内の権力争いに巻きこまれぬよう、あえて王宮から距離を置いていたヒュムラは、自分より若いアーセラに辛い役目を押しつけていたのでは、と後ろめたい気持ちになった。

「アーセラの件は、陛下も胸を痛めておいでだったそうよ」

 国王といえども宮廷内の人間関係を無視することはできない。重臣たちの手前、アーセラひとりをかばうことはできず、結果として彼を孤立させることになった。

 アーセラがいなくなると、婚姻推進派はまたたく間に息を吹き返し、以前に勝る勢いで声は大きくなっていった。彼らの主張にも一理あるだけに、国王も言下に否定することはできない。

 総大主教から国王の苦悩を伝え聞いたミスカは決心した。

「陛下のお苦しみを和らげ、国中の人々の不安を取り除けるのならって……」

「……君らしいな」

 そう、彼女はそういう人間だった。いつも他人のことばかり考えて、自分のことなど気にもしない。ヒュムラでさえ呆れるほど純真で純朴な少女だった。

「ひとついいか?」

「……なに?」

「君は、王子のことを、どう思っているんだ?」

 それは、結婚の噂を聞いてからずっと抱えこんでいたことだった。

(聞いてどうなると言うのだ。俺には関わりないことじゃないか。それとも俺は、仲間の幸せを祝うこともできない、つまらぬ人間だったのか?)

 理性ではヒュムラも分かっていたが、心の奥深くから湧き上がる感情を抑えることはできなかった。

「殿下はよい方よ。陛下に似て、お優しくて、勤勉で……。まだ、2回くらいしかお会いしたことないんだけどね」

 視線をそらし寂しげに微笑むミスカを、ヒュムラは複雑な想いで見つめた。

「……君はそれでいいのか? 後悔はないのか?」

「私ね、今日から410日後に死ぬの」

「!?」

「殿下と結婚したらお子を産んだ直後。結婚しなければ病死。どちらにしても死は免れない」

「……予言夢プロペソムか」

 神々に祈ることで、夢という形で未来を見る力。最高位の聖職者だけが使える魔法だ。

 ミスカは自分の死をすでに受け入れている。彼女の穏やかな表情を見ればそれは明らかだ。ゆえにヒュムラも彼女の言葉を現実のものとして受け止めることができた。

「……まったく、変わらないな君は。済ました顔で大胆なことを言う。いつもそれで俺たちを振り回してくれた」

「あら、感心するのは早いんじゃない? まだ、とっておきが残ってるんだから」

 聖女と讃えられる少女には、大胆でイタズラ好きなところがあった。ごく一部の者だけが知る意外な一面といえよう。

 ミスカの手にしたグラスには持参のぶどう酒が満たされている。その水面を見つめながら、ミスカは言葉を続けた。

「人界での役目を終えて、メリース様の御下に招かれるの。それはとても光栄なことで、べつに悲しいとか、辛いとか、そういうことはないの。まぁ、我が子をこの手に抱けないのは、ちょっと心残りかな」

 いったん言葉を切ってミスカは笑った。手にしたグラスよりも透明感に満ちた笑顔だった。

予言夢プロペソムのコトを話したのは貴方が最初で、たぶん最後。ここへ来る前に身の回りの整理も、あらかた済ませちゃったから気楽なものよ。やり残したことは、ひとつだけ……」

 ミスカは口を閉ざし、黙ったままヒュムラを見つめた。ミスカの瞳の中にヒュムラの困惑した顔が映し出される。

「……俺か? この先、俺にも何か起こるのか?」

「覚えてる? 魔神が最後に言った言葉」

「ああ。『光あるところに影がさす。最も深い影から闇が生まれる』だろ?」

「魔神は消滅する寸前、私たちの中に闇の残滓を植えつけた。まばゆい光の中で溶けてしまうほど、小さな小さな闇の種。けれど貴方の心に根づいた闇は、私と殿下の結婚によって芽を出し、私の死を機に抑えられなくなる」

「……!」

 ヒュムラは愕然としたまま固まった。彼女の見た未来を否定しようと試みたが、言葉が出ない。

 自分の内なる声をごまかすことはできなかった。確かに結婚の噂を聞いて以来、ヒュムラの中で王家に対する忠誠心は揺らいでいた。

 決して言葉にせず、態度に表したつもりもないが、彼自身がそのことを知っていた。

「……俺は、何をするんだ?」

 たったそれだけの言葉を絞りだすのに、ヒュムラは全身の気力を振り絞らなければならなかった。

「私の死の知らせを受け取ったとき、貴方はどこか辺境の砦にいて、その日から密かに戦の準備を進めるの。新しい任務が下っても無視し続ける。そして半月ほどして、王宮から詰問の使者が訪れると、その場で使者の首をはね、王家打倒の兵を挙げる。『聖女は王家に謀殺された、その罪を問う』という名目で。炎の精霊皇に認められ、魔神を討伐した英雄の言葉だから大勢の民衆が信じてつき従う」

「……」

「5千あまりの兵を率いた貴方は、最初の戦いで討伐軍2万を破り、その勢いのままたった5日で王都を陥落させる。その後は、王家と縁戚のあった貴族たちを討伐するため国中を転戦し、それが終われば周辺諸国との戦いが始まる。貴方は皇帝を名乗り、自分に歯向かう者を決して許さず、世界中を敵に回して戦い続ける」

「……救国の英雄から大逆の謀反人、そして非情な征服者か。波乱に満ちた人生だな」

 ヒュムラは自嘲した。自分のことなのに、まるで他人事のように実感がない。まだ起きてもいないことなのだから、当然といえば当然の話ではあるが。

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