その2

 ヒュムラが執務室の扉を開けると、案内役の従卒に付き添われたミスカが立っていた。

「久しぶりね。1年ぶりくらい?」

「復興祝賀会以来か。そんなに経ったか?」

 部屋に招き入れられたミスカは、簡素な作りの椅子に腰掛けながら不満そうに口を尖らせる。

「王都にいるのに全然連絡くれないんだもん」

「すまない。だがいろいろ忙しくてな。とくに最近は辺境への派遣が続いていて、王都にいる間もあまりゆっくりできないんだ。そっちも似たようなもんだろ?」

「あら、そんな言い訳するなら、これは私だけで飲んじゃおっかなぁ」

 ミスカが背負い袋から取り出して見せたのはミスカ特製のぶどう酒で、質素な生活を好むヒュムラにとって唯一の嗜好品であった。

 苦笑したヒュムラは両手を挙げて降参してみせると、無沙汰のお詫びにミスカを夕食に招くと告げた。

 魔神討伐から4年。あれからいろいろなことがあった。

 故郷を旅立ったときはただの村娘に過ぎなかったミスカは、今では王都の神殿を束ねる大司祭に就任し、近々、総大司教の選挙権を有する十二司教に選任されると目されている。

 栄達したのは彼女だけではない。

 新たに創設された神殿騎士団の初代騎士団長を拝命したヒュムラは、若い信徒たちを指導育成するかたわら、各地に潜伏した魔神軍残党を討伐するため東奔西走している。

 王国騎士に叙任されたヴァンダーも、オーガやトロールの支配領域と接する西方国境戦士団の師団長に任命されてからは、王都に戻ることなく周辺部族への睨みを効かせている。

 ダークエルフの氏族会議で闇の森の統治者に選ばれたディナスは、魔界の瘴気によって汚染された森の再生に奮闘しているという。

 学院在籍時から天才として知られたアーセラに至っては、国王直々の請願により宮廷筆頭導師となり、魔神の支配によって荒廃した国土の復興と、衰退した魔術研究の再興に尽力している。

 それぞれが重職に就いたことで、全員がそろって顔を合わせる機会はなくなった。

 なかでもディナスは、かつての故郷を取り戻し、人間との間に不可侵条約が結ばれて以後は、森を完全に閉ざしてしまい、たがいの領域の往来を禁じているらしい。


(魔神を倒して平和になった。そのはずなのに思っていたのと何かが違う。そんな感じだった……)

 リンは夢の中で当時の心境を思い返す。

(地位も名声も手にいれて、あとは明るい人生が続くと思ってた。でもそうじゃなかった。やらなきゃいけないことばかり増えて、周りに気を遣うことが多くなって、どんどん窮屈になっていった)


 それでも普段はそこまで思い悩むことはなかった。世界再建に向けて充実した日々を送っている、そういう気分に浸っていられた。

 耐え難い思いに駆られるのは、激務明けの休日や、夜半にふと目覚めたときだった。

 ひとり星を眺めていると、荒野で仲間たちと火を囲み、たがいの立場を気にすること無く軽口を言い合っていた夜が思い出され、無性に懐かしく思うことがあった。

 ミスカがヒュムラを表敬訪問したその日も、夕食の話題は旅の思い出話が中心だった。

 魔神を討伐した英雄たちの中では、ヒュムラとミスカがもっとも付き合いが長い。ワガナの谷でヴァンダーと出会うまでのおよそ1年間、ずっと2人だけで旅をしてきたのだ。

 それだけに、こうして2人きりの時間を過ごしていると、時間がさかのぼったような懐かしい感覚に浸ることができた。


 ――ミスカがあの話題を切り出すまでは。


「先日、王宮から神殿に使者が来たわ。婚約の発表をするって」

「婚約? 誰が? 誰と?」

「私と、第一王子パキスタ殿下との婚約よ」

 改めて聞くまでもないことだった。その噂は1年ほど前から国中に広まっていたからだ。

「あまり驚いてないのね?」

「まぁ、いろいろ伝わってくるからな。魔神討伐に結びつける気の早い吟遊詩人もい――」

「聖女と王家がひとつになることで、魔神の封印は一層強固なものになる。それによっていまだ魔神の影に怯える民衆も心の安らぎを得られる」

 ミスカが口にしたのは、最近流布し始めている新たな詩の内容を要約したものだ。

「ああ、それだ。妙な話だよな。魔神は俺たちが倒した。封印などしていない。いかにも物語向きな内容ではあるが、いったい誰がいい出したことやら」

 口ではそう言いながらも、どうせ誇張好きな吟遊詩人あたりだろう、とヒュムラは考えていた。

 だがそうではなかった。

「発端は王宮に務める司祭だったの」

「なに?」

「彼は王宮の廷臣たちの前でこう主張したの。『いまだ民の中に魔神の復活を危惧する者が多い。目に見える形で彼らの心の支えになるものが必要だ』って」

 司祭の進言を受けた廷臣たちは、儀典官や神殿関係者を集め、人心を安定させるための催し物について協議した。

 このような場合の催し物といえば、英雄たちの参列する祝祭や鎮護目的の神殿を建造するといったものが定番で、始めのうちはそのような路線で話が進められていた。

 しかし回を重ねるごとに議論に熱が入り、次第により扇情的な内容を求めるようになっていったという。

 そんななか、王宮との連携強化を画策する一部の司祭たちと、「英雄の血筋」という名声を欲した重臣たちが結託し、巧妙に議論を誘導した結果、王族と聖女の婚姻という話ができあがったのだ。

 そして、人心を安定させるという名目で、魔神の封印というもっともらしい理由がでっちあげられた。

「『王国が続く限り魔神は復活しない。そう言い広めることで、民衆の恐怖や不安を拭い去れるだろう』、というのが陛下や総大司教様のお考えなの」

「じゃあ、件の吟遊詩人は……」

「王宮か、それとも神殿から依頼を受けた者でしょうね、たぶん」

 ヒュムラは眉をしかめると、手にした杯をあおる。

「事情は分かった。しかしそれでは民を騙すことになるのでは? 魔神は俺たちが完全に倒したじゃないか。女神メリースだってそうおっしゃったんだろ?」

「そうね。陛下には何度もそう申し上げたし、総大司教様も分かってくださっているの。でもね、神の声が聞こえない人たちには、真実を語るだけではダメなの。言葉だけで人の心を動かすことはできない。わかるでしょ?」

「……分かるよ。痛いほどにな」

 魔神の軍勢と戦い各地を旅している間、ヒュムラたちは、その土地の人々との接触に細心の注意を払った。ヒュムラたちにとって民衆は救うべき対象であったが、すべての人が勇者の来訪を待ち望んでいたわけではない。

 魔神の支配が進んだ地域では、抵抗を諦め隠れ潜んでいる者や、生き延びるために魔神に魂を売った者もいた。そんな彼らにとっては、ヒュムラたちは、救世主どころか魔神の怒りを煽るだけの厄介者であった。

 魔神に屈した人々に妬まれ、疑われ、守ると約束したはずの民衆に裏切られたことが何度もある。

 隷属の道を選んだ者たちを正道に引き戻すためには言葉だけでは足りない。ヒュムラたちが魔神より力のあることをはっきり示す必要があった。

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