第4話 英雄たちの代償

その1

 見渡す限りの草原の中を一本の道が通っている。その道の上を5人の男女が歩いていた。


 ――ああ、これは夢だ。


 リンはすぐに悟った。原世界ホーム・ワールドに戻る前にいた世界の記憶。同じ夢を見るのはこれで何度目だろう。


「どうした? 腹でも減ったか?」

 先頭を行く大男が陽気な声で振り返った。

 身の丈を超える大槍を軽々と扱う巨漢の戦士ヴァンダー。

 オーガの父と人間の母の間に生まれ、妖魔からも人間からもはみ出し者として虐げられながら、優しさと明るさを失わない青年。

「まさか忘れ物かい? あれだけ盛大に見送られておきながら、のこのこ戻ったら国中の笑いものだよ?」

 王立魔法学院のローブを羽織った細身の美少年アーセラが大げさにため息をつく。

 若干14歳で学院を首席で卒業した天才魔術師で、パーティーの知恵袋。

 在学中から宮廷術師や上級導師などの顕職を提示されていたが、それらをすべて辞退し、魔物との戦いに身を投じた変わり者だ。

 世間知らずで物言いは無遠慮だが、その広範な知識と聡明な知性で仲間の窮地を何度も救った。

「里心でもついたか? お前ともあろう者が」

 一行の最後尾からいぶかしむ声が投げつけられた。

 闇の森を支配していたダーク・エルフの末裔で、漆黒の髪と肌をした弓の名手ディナス。

 彼女たちの一族は、50年ほど前に魔神との戦いに敗れて後、山岳地帯の隠れ里に潜んでいたが、魔物たちと戦う勇者パーティーの存在を知り、魔神討伐のため同盟を申し出た。

 人間の風習や法律に不慣れなため、仲間になった当初はパーティー内でも衝突を重ねたが、今では種族の垣根を越えた信頼で結ばれている。

 魔法と弓術の達人で、こと野戦において彼女の右に出る者はいない。

「大丈夫、ちょっと考えごとをしていただけさ。忘れ物もないよ」

 仲間たちの視線を受けた青年が朗らかな顔で応える。身にまとう甲冑には神殿騎士の証である聖印が刻まれている。

 高潔仁愛、勇敢不屈の騎士として知らぬ者はない「双焰の騎士」ヒュムラ。

 魔物に滅ぼされた村の唯一の生き残りで、幼い頃から武芸と学問に長じ、わずか14歳で武装神官に任じられて以後、修行の名目で各地を転戦し多くの魔物を討ち取ってきた。

 常に無私無欲で、どんな困難を前にしてもくじけることはなく、困っている者がいれば必ず手を差し伸べる彼を、人はいつしか「勇者」と呼び、その名声は今や国中に知れ渡っていた。

「ふふっ、昨日の宴で疲れたんじゃない? 私も肩こっちゃった」

 質素な作りの僧服の上から鎖帷子を着込んだ少女が大きく伸びをする。

 村の祠で祈りを捧げていたとき「人界を救え」との天啓を受け、人々に神の声を届けることで勇気づけてきた聖女ミスカ。

 共に戦ってくれる仲間を探していたところ、とある山中で魔物と戦っていたヒュムラと出会い、以後、共に支えあいながら旅を続けてきた。

 村々を襲う魔物と戦い、疲弊した人々の心を癒やし、勇気ある者たちを糾合し、ついに魔神の軍勢に対抗しうる地盤を築き上げた。

 これもひとえに彼女の類まれな信仰心と、私心のない献身さ、そしてそこから生まれる神秘的なまでのカリスマあってのことだ。

 今、彼らは最後の試練に向け、旅の第一歩を踏み出したところであった。

 それに先だつ1週間ほどの間、一行は王都に滞在していた。人間、ドワーフ、エルフ、ダーク・エルフ、オーガ、そのほか数多の種族たちによる大連合の結成式を見届けるためである。

 魔神討伐という大きな目的のために世界中を旅していた彼らは、この数日間、久しくないほど穏やかな時間を過ごした。

 生死の緊張から解放され、温かい食事と寝床を堪能し、たまりにたまった旅の垢を落とすことができた。

 だがその安楽の時間もとうに過ぎ去った。彼らは再び危険で孤独な旅に身を投じたのである。

 これは彼らにとって最後の旅になるはずであった。

 魔神を討伐するか。果たせずに命尽きるか。どのような結末を迎えるにせよ、旅が終わるその時まで、二度と彼らに安らぎは訪れない。


 ──「前世界」でのリンは、その地で新たな生を受けた「転生者」であり、それ以前に訪れた世界の記憶も、身につけたスキルもすべて失っていた。

 ただ、物心ついたときから、ときおり見たことのない光景が脳裏をよぎることがあった。

今のリンであればおおよその見当がつくが、当時のリンにはまったく思い当たることがない。にも関わらず、心の片隅で郷愁を誘われる、そんな不思議な光景であった。

「いつかそこへ行ってみたい……」

 当時のリンが、幼い頃からひそかに抱いていたささやかな願いであった。


 王都を出立した5人は、それからも長い長い旅を続けた。

 日が沈まぬ灼熱と眩惑の砂漠。

 数十の巨大樹が撚り合わさった直崖の大樹林。

 冥界まで続くと言われる大海溝の水底迷宮。

 神話の時代から語り継がれてきた天空回廊。

 古代の叡智を求めて人跡未踏の地に分け入り、想像を絶する数多の困難を、たがいに励まし合い乗り越えていった。

 そして、神々や精霊たちの加護のもと世界創生の歪みといわれる最果ての島へ赴き、ついに魔神討伐を成し遂げたのである。

 魔神の支配から解放された人々は、無事に帰還した5人を救世主として迎えた。

 各国の王族たちは考えうる限りの栄誉を彼らに与え、無数の吟遊詩人たちがその武勲を詩にし、世界中の民衆が彼らの勝利を讃えた。

 5人は世界を救った伝説の英雄として、その名を歴史に刻んだ。


 ――だが彼らの物語はそこで終わりではなかった。

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