第3話 初めての出動
その1
定例会議を終えた
「あら、まだ帰ってなかったの?」
机で書き物をしていたリンが手を止めて顔を上げた。
「おつかれさまです。今日の報告書がね。ちょうど今終わったトコ」
「明日で良かったのに。今日はススキ君の初日だったし大変だったでしょ?」
「だからですよ。覚えてるうちにまとめておかないとね」
席についた慧春は会議で使用したファイルや資料を所定の場所に戻していく。
「何か気になることでもあった?」
「んー、そうじゃないけど」
自分で書いた文章を見直しながら、リンは書き物でこった体をほぐす。手や肩の動きに合わせて古いパイプ椅子が軽いきしみ音をたてた。
「なーんか反応が過敏なんですよね。いちいち驚きすぎっていうか」
「そう……。もう少し街に慣れてから声をかけたほうがよかったかな」
慧春は考えこむような視線で袖机の引き出しを見やる。そこには保安課全員分のファイルが入っている。
記録によれば、ルカのカウンセリング受講期間は、異民局発足以来、最短記録であった。
心身双方に異世界での悪影響が見られなかったためであり、それは慧春がルカをスカウトした理由のひとつでもあった。
しかし
とくに24区はかなり特殊なエリアだ。
帰還民対策の推進を目的とした総合特別行政区として、さまざまな規制が緩和される一方、外部との交流は厳しく制限されており、一般市民には開示されていない情報もある。
街で暮らしはじめて半年足らずのルカが、街の実態に直面して戸惑うのも無理はない。
「それはイイんじゃないですか? やってれば慣れますよ。だいたい知らないコトに対処できないようじゃ、帰還犯の相手なんて無理ですよ」
「そうねぇ……。でも、それなら何が気になるの?」
「気構えってか、覚悟的な? なーんか期待ハズレ。魔王のペットやってたっていうから、もっとキモが座ってると思ったんだけどなぁ」
「後遺症の診断は
「ならいいんですけどね」
文章の推敲を終えたリンは、席を立ち慧春に報告書を手渡す。
「じゃ、これ。明日は立ち寄りがあるんで少し遅れます」
「うん、よろしくね。あ、そうそう。報告のあったお屋敷だけど、やっぱり開発部も知らなかったみたい」
「あ、やっぱり。ま、しょうがないでしょ」
「人の目が届かないところはどうしてもね。ホテイさんたちにもお礼を伝えておいて?」
「はい、こんど多めにお酒持っていきます」
「それでね、近いうちに開発部から担当者を派遣することになるんだけど、案内お願いできる?」
「リョーカイです。住所登録したら募集かけるんですよね? ツバキさん、引っ越したらどうです? 異民局権限で」
「無茶言わないで。お掃除だけで丸一日潰れちゃう」
「えー、スゴく似合いそうだけどなぁ。開発の調査、午後からならバイト君も連れて行けますね。あ、でもやめたほうがいいかな? やたらビビってたし」
作業で散らかった机の上を大雑把に片しながら、リンは帰り支度を整える。
「バスの件はもう話した?」
「まだです。タイミング見て釘刺してやりますよ」
「私から言ってもいいのよ? リンちゃんばかりいつも損な役回りしなくても」
「いいんですって。こういうのはチョク上の役目です。私がきっちり締め上げるんで、ツバキさんが甘やかしてください」
「ふふ、分かった。ありがとう」
初仕事の翌日、いつも通りに朝起きて、いつも通りに登校してきたルカは、玄関まで来たところで、ちょうど上履きに履き替えていたシュンスケと出くわした。
「おーっす」
「はよ」
「初シゴトはどーだった?」
「ん~、フツーかな」
「なんかオモシロイことなかったのか?」
「ない。ずーっと車で外を回ってただけ」
教室へ向かいがてら、ルカは昨日の出来事をシュンスケに語った。いちおう守秘義務があるので個人情報や職務の詳細はぼかしたが、そのあたりはシュンスケもツッコまない。
「アル中ねぇ。たしかに多いかもな。昼間から飲んでるヤツとかよく見るし」
「そうそう、今朝だけで2人も見たぞ。今ままでゼンゼン気にしてなかった」
「無理やり戻らされてガックリするのは分からんでもないけど、そこまで引きずる意味が分からんな。不毛っていうか」
「それよ! 酒に逃げたって何も解決しないだろっていうさ」
昨日、リンと話していたときは同意を得られなかったが、シュンスケとはピタリと意見があった。
思えば初めて会ったときからそうだった。転入生のルカにシュンスケが話しかけたときから2人は妙に波長が合った。
「……そういや、まだ飲んだことなかったな、お前と」
ルカは思い出したようにつぶやいた。
「はあ? なんだ急に」
「いや、こんだけつき合いあるのになんでかなぁって。いまさらだけど、こんど飲みに行こうぜ。せっかくだし」
おたがい気心の知れた仲だが、アルコールが入ればまた違った一面が見られるかも知れない。親友同士の飲みニケーションも悪くないだろう。
そう思ったのだがシュンスケの反応は違った。
「無理に決まってんだろ」
「え?」
友人に拒絶され言葉を失うルカを、シュンスケは呆れたように見返す。
「あのなぁ、バイトとはいえ異民局の人間が未成年に飲酒を勧めるなよ」
「……ああ。そっか、そうだったな」
ルカは自分の勘違いに気づいた。
運転免許や飲酒など年齢に関する特例は、異世界での経年数を考慮するというだけで、帰還民全員に無制限に適用されるわけではない。
異世界で過ごした日数を加算しても規定の年齢に達しない者や、シュンスケのように異世界での記憶の無い者は対象外となる。
「っとに、ややこしいなぁ。どうせ解禁するなら全員まとめて解禁すりゃいーじゃん。チェックするほうだって楽だろうに」
「そりゃそうだろうけど、特例自体が帰還民への温情なわけで、世間様を納得させるにはそれソーオーの基準がないとな。本土じゃ『帰還民を甘やかすな』って批判もあるんだぞ?」
「甘やかされてるのか?」
「俺らがどう感じてるかじゃないからな。特権みたいに思うやつはいるだろ」
教室に入ったルカは、肩から掛けていたカバンを下ろし、机の脇のフックに掛ける。
「ってか、そのヘンってどうやって調べてるんだろうな」
「どのヘンだよ?」
前の席についたシュンスケは、右腕を背もたれに乗せ、横向きの姿勢でルカを見やる。
「年齢だよ。酒飲んでいいかどうかっていう」
「ライセンスの項目にチェック入ってるだろ?」
「じゃなくて、向こうにいた期間のコト。そんなの調べようがなくね?」
「さぁな。自己申告じゃないのか? お前だって戻ってきたときに、いろいろ聞かれたろ?」
「そりゃな。けどホントのこと言ってるかどうか、どう判断するんだ?」
「知らんて。取り調べの専門家なんだし、嘘くらい見抜けるんじゃないか? ってか、それこそお前の上司に聞けよ、それがイチバン確実だろ。まぁ、戻ってきたタイミングで、わざわざ嘘つくやつがいるとは思えんけどな」
「それは、まぁ、そうだな」
ルカの場合に限っていえば、シュンスケの言う通りだった。
異世界から戻ってきてからしばらくの間、どことも知れない施設の中で生活し、外部からは完全に隔離された状態にあった。
当時の記憶は曖昧だが、極秘施設での生活は少なくとも1週間以上は続いていたはずだ。窓のない建物で寝起きし、昼食や休憩をはさみつつ、毎日8時間に及ぶ聞き取り調査を受けた。
向こうで何をしていたか、どんなことを学んだか、身につけた技術はあるのか、いろいろ聞かれた。
まず始めに、異世界に飛ばされてから戻ってくるまでの経緯を時系列に沿って話し、それが終わると今度は、向こうで出会った人々や身につけた技術など、こまかな項目に分けて話をさせられた。
何度も何度も。同じ人物に同じ話をしたこともあれば、別の人間にしたこともある。
(ちょっと言い間違えただけで、何度も念押しされたっけなぁ)
今から思えば、あそこでのやりとりは犯罪者への尋問に近かったような気がする。あのときはとくに疑問も持たず、問われるまま素直に話したが、帰還民のすべてがそうとは限らない。
「妙な力を持ってても、黙ってたら分からないよなぁ」
「だから専門家に聞けって。
「だな。今度ヒマなときに聞いてみるわ」
そう応じたルカだったが、もともと大して興味があるわけでもない、ただの思いつきにすぎず、その日の授業が終わる頃にはすっかり頭から消え去っていた。
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