その6
窓の外を眺めていたルカは、CCVが北に向かっていることに気づいた。もう異民局へ戻るのかと思ったが、そうではなかった。
やがて西に進路を変え道なりに進むと、次第に建物の数が減っていき、視界が開けていく。そのうち道の先に雑木林が見えてきた。
「もしかしてさっきの?」
「そ。せっかくだしね」
CCVはそのまま雑木林の中へ入っていく。道幅は車1台が辛うじて通れるほどしかなく、未舗装の路面は地面がむき出しで、天然の凸凹に合わせて車体がガタガタと揺れる。
道の周りにはケヤキやブナ、イチョウなどが無規則に並び、頭上を覆うように広がる枝葉が昼の日光を遮っている。
悪路走行に優れたCCVとはいえ、完全に揺れを吸収するわけではない。ルカが軽い嘔吐感を抱き始めた頃、木々の隙間の向こうに白い壁が現れた。
高さ3mほどもあるコンクリート製の白壁は、黒い鉄の格子門を挟んで左右に伸びていて、壁の端は樹々の茂みに埋もれて見えない。
門の向こうはアスファルトのアプローチが広がり、綺麗に刈り取られた芝生や花壇が彩りを添える中、まだら模様の石畳が建物まで続いている。
「はー……。ずいぶんとリッパなお屋敷ですね」
薄暗い林の先にあったのは、時代がかった印象の洋館だった。木造2階建てで、建物だけでおよそ300㎡はありそうだ。庭も含めた敷地面積はその倍はあるだろう。
最初に目に入るのは乳白色の壁と赤銅色の瓦屋根の美しい対比で、そこから3連アーチの玄関、四葉型の小窓、屋根よりも高く伸びた煙突などへと目が向けられる。
国際色豊かな近代的デザインといい、壁のタイルや窓枠の優美な装飾といい、いかにもといった風情がある。
ルカが居候していた魔王城に比べたら犬小屋のようなものだが、半年たらずのアパート暮らしですっかり庶民感覚が戻っている。
屋敷を見上げて感心するルカを無視し、リンは門や壁の辺りを調べて回る。人が出入りした痕跡は見当たらず、周囲に人の気配もない。林のどこからか鳥の声が聞こえてくるばかりであった。
「あーあー、異民局の者ですがー、どなたかいますかー?」
CCVの拡声器から発せられたリンの声が林中に響き渡ったが、ルカたちの頭の上で鳥が数羽はばたいたきり何も起きない。
「まだ誰も住んでないみたいね。表札も出てないし」
「ホントにコレ、自然に出来たんですか? 本物にしか見えないんですけど」
「本物だよ。ガッコウで習わなかったの?」
「いえ、習いましたけどね。ココへ来たときに。けど実際に見るのは初めてつーか」
「そんなわけないだろ。ココじゃ、人の作った建物を探すほうが大変だよ」
本土ではほとんど知られていないが、現在リンカイ区と呼ばれる人工島が、たったひとりの異世界帰還民によって作られたことはリンカイ区民の間では常識である。
公的には「埋立地」とされているが、実際の造成方法は不明で、何らかの異世界のスキルによって生み出された可能性が高い。
そう考えられている根拠のひとつが、人工島にある「街」の存在である。
24区に存在する建物は、人の手によらず生まれてくるのだ。まるで地面の下から木の芽が生えてくるように、それまでただの空き地だった場所に、ある日、一軒の家が建っているのだ。
リンカイ区が誕生したのは今から10年ほど前のことだが、そのときすでに小規模な集落が存在し、電気やガス、上下水道といったインフラも整備されていたという。
それから現在に至るまで、街は少しずつその範囲を広げている。街が変化する時期や場所などに法則性は見られないが、一般的には、人の集中する場所ほど、新しい建物や道路が増えやすいと考えられている。
「いいんですか? 勝手に入って」
「入らないと中を確認できないじゃん」
正門横に設けられた通用門をくぐりアプローチに足を踏み入れたリンは、軽快な足取りで建物の前まで行くと、これまた躊躇なく玄関のドアを開け、建物の中へ上がりこんだ。
「……お邪魔しまーす」
ルカが申し訳程度に発した断りの挨拶に、邸内から応じる声はない。
建物の内装は、その外観にふさわしい豪壮な造りであった。
1階には化粧張り組天井のダイニングルームや壁泉つきのサンルーム、階段を上がった2階には、年代物の家具が厳かな雰囲気を醸し出す書斎に、ウォークインクローゼットつきの寝室が複数あり、地下にはワインセラーまで完備していた。
圧巻なのは80㎡はあろうかというリビングルームで、天井までは4mほども余裕があり、床には幾何学模様の絨毯が敷き詰められている。
「すっご……、舞踏会でもやれそうですね」
部屋の入口に立ったルカは、室内を見渡して嘆息する。床に敷かれた絨毯は素人目にも高価なものとわかり、とても土足で踏む気になれないのだ。
「かもね」
リンはといえば、まるでためらうことなく室内を歩き回り、窓枠やカーテンの裏まで細かくチェックしている。
「何か探してるんですか?」
「べつに」
屋敷内をすべて見て回ったが、住人の姿どころか、人が住んでいた形跡すらなかった。
「ここ、ホントに空き家なんですかね?」
「でしょうね」
「にしてはキレイすぎません?」
始めのうちはルカも気にもとめていなかったのだが、1階の探索を終え、2階の階段を上がるうちに気づいたのだ。
どの部屋の家具もピカピカに磨き上げられ、床にチリひとつ落ちていないことに。まるでついさっき清掃を済ませたばかりのようだ。
街の喧騒から離れた林の奥にある大邸宅。中には家具が一通りそろっていて、整理整頓が行き届いているのに、住人の姿だけがない。まるで忽然と消えてしまったかのように。
「……あー、そろそろ行きません?」
いったん薄気味悪さを感じると、あれこれ想像してしまい、廊下の向こうの暗がりすら気になってくる。
「なに急に。まだ大丈夫だよ。次のトコはそんな離れてないし」
室内の観察を終えたリンは、リビングテラスに出て手すりや足場の具合を確認している。ルカはできるだけ壁際を歩きながら、窓のそばまで移動した。
「いや、だって、家主と鉢合わせしたらマズイでしょ」
「いないよ、そんなの」
「住んでなくても見回りくらいはしてるでしょ。これだけ手入れしてるんだし。見つかったらなんて言い訳するんです?」
「だから家主なんていないっての。ココはまだ誰のモノでもないの」
「? イヤいるでしょ。いないなら誰が掃除してるんです?」
「できたばかりだからだよ」
それだけ言うと、リンはベランダの手すりを飛び越え庭に降り立つと、庭園の花々や噴水などを見て回る。
「……ワケわかんないんですケド」
煙に巻かれた感はあるが、リンが調査を続ける以上、ルカとしてもとどまるしかない。一度大きく深呼吸することで、不安と迷いを吐き出したルカは、ソテツの下に立つリンのもとまで小走りで向かった。
それからおよそ20分後、洋館の調査を終えた2人は保護観察対象者の安否確認作業を再開、3人の現住所を訪ねて周り、異民局本部に帰って来たのは16時30分のことだった。
保安課のオフィスに戻ったルカは、リンの指導を受けながら初めての作業報告書を作成し、これをもってバイト初日の勤務を終了した。
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