その5

 宴会を続けるホテイたちに別れを告げ、リンとルカは公園の外に止めていたCCVまで戻った。

「ココじゃ飲酒運転もアリなんですね。毎日あそこで飲んでたりするんですか?」

「いやナイから。犯罪だよ。知らないの?」

 呆れたようなリンの言葉に、シートベルトを締めかけていたルカの手が止まる。

「え? でも、さっき」

「アンタに渡したのはノンアル。お酒じゃないよ。分からなかったの?」

「はぁ……」

 リンによれば、2人が飲んだ缶ビールは苦味やのど越しは本物そっくりだが、アルコールは入っていないらしい。つまり酔っ払ったように感じたのは、ルカの思いこみだったのだ。

「未成年の飲酒や喫煙はいいのに、飲酒運転はダメなんですか? なんか、基準が分かんなくなりそう」

 ルカは照れ隠しに頭をかきながらぼやく。

「ゼンゼン単純だよ。本土と違うのは年齢制限だけ。あとは変わんないよ。そんなには」

 2人を乗せたCCVはゆるやかに住宅街を走っていく。

「さっきのは何の集まりなんです?」

「ただの仲良しさんたちだよ。カウンセリングで同じグループにいたのがきっかけで、ああして定期的に集まって、情報交換とか近況報告しあってるの。いろんな話が聞けるから、ときどき混ぜてもらってるワケ」

「じゃあ、ホントに仕事だったんですね」

「なんだと思ってたの?」

 サルスベリの並木道を通り抜け、前方に古びた団地が見えてきたところで、CCVはさらに徐行しながら団地の駐車場へ入り、来客用のスペースで停車した。

「さっきも言ったけど、保護観察対象者と接触中はしゃべんないでね。みんなデリケートだから。耳の鋭い人もいるから気をつけて。質問は車に戻ってから」

「分かりました」

 5階建ての前時代的な低層団地は、共用階段を挟んで2軒の住戸が向かい合うタイプで、共用廊下やエレベータはない。

 狭い階段を上へ上へと登っていくリンを、ルカは必死に追いかけるが、1フロア上がるたびに脚が重くなり、次第に距離を離されていく。

 ようやく目的の部屋にたどり着いたときには息も絶え絶えであった。

「いまどき……、エレーベーターも……、ない、のかよ……」

「なんで息切らしてんの。鍛え方が足りないぞ」

「ここ、5階、ですけど?」

 ルカの抗議を聞き流し、リンはドア横のチャイムを鳴らした。その足元には、住民が頼んだと思われる店屋物の器が置かれている。

「こんにちわぁー、異民局の者ですけどぉー」

 リンの呼びかけに反応して室内からかすかな物音がしたが、しばらく待っても誰も出て来ない。その間に、ガスや水道のメーターを確認したリンは、配管扉を閉めながら中の住人に聞こえるように言った

「留守みたいね。じゃ帰りましょ」

「!?」

 汗だくで最上階まで登ってきたのに、用件はほんの数秒で済んでしまった。ルカが未練がましくドアを見ている間にも、リンは一段飛ばしで階段を降りていく。

「マジか……!」

 猫のように音もなく跳ね飛んでいく背を追いかけ、ようやく地階に着いたときには、ルカのヒザは笑いが止まらなくなっていた。しばらくその場にしゃがみこんだあと、はうようにしてCCVまで戻った。

「あんなんで、いいんですか? 人の気配、ありましたよ?」

 ルカは助手席に身体を沈めながら息を整える。

「出てこないんだからしょうがないじゃん。死んでないならそれでいいの」

「別人かも知れないじゃないですか。顔だけでも見たほうがよかったんじゃ?」

「そこまで面倒見てらんない。対象が何人いると思ってんの?」

「じゃあ何でわざわざ来たんです?」

「ヘンなコトが起きてないか確認するためだよ」

 リンは保護観察対象者の資料を取り出し、その一部をルカに見せた。対象は20代くらいの女性で、名前欄に「山県やまがた鹿之かの」、後遺症の等級欄には「重度シビア」と記されていた。

「鹿之ちゃんがいたのは、でかいミミズみたいなバケモノが暴れ回る世界だったんだってさ」

 2人を乗せたCCVは周りに注意しながら駐車場を出ていく。

「ミミズ? でかいってどのくらいの?」

「10両編成の電車くらい。もっと大きいのもいたみたいだけど」

「げっ……」

 ルカは線路上に横たわった巨大なミミズを想像し身震いする。

「それもうミミズじゃないんじゃ……」

「そんなデカイバケモノが土の中をはい回って、地上にいる人間を食べまくるんだってさ」

 鹿之が現地人から聞いた話によれば、化け物ミミズの襲撃は突然だったそうだ。

 当時の記録が失われた今となっては、巨大モンスターが、いつ、どのように生まれたのか、もはや知るよしもない。

 分かっているのは、人類の生み出した兵器類は地下に潜む化け物ミミズには通用せず、出現からわずか10年足らずの間に世界総人口の9割が失われ、文明が崩壊したということだけである。

 化け物ミミズに地上を追われた人類は、巨大タンカーを中心とした船団を編成し海の上を生活圏にした。

 出航した当初は、出身国の政府が全船団を統制していたが、世代を重ねるごとに国家への帰属意識が希薄化し、鹿之が訪れた頃には、古代の都市国家群のように、船団ごとに半ば独立していたという。

 ひとつの船団で数千人が生活し、定められた航路で大陸の近海を周回する。何があっても周回コースを外れることはないが、コースの近い船団同士での交流もあった。

 しかし海上での自給自足の生活には限界がある。船内の生活環境を維持するために、鉱山資源や動植物、さらには土壌そのものを定期的に補充しなければならず、完全に陸地から離れることはできなかった。

 陸地での採集活動は多くの犠牲を前提とした過酷な作業だが、陸地を離れている間も安心はできない。

 海底の土壌に紛れた化け物ミミズの幼生が、資源採掘用パイプを通って艦内に侵入することは日常茶飯事で、そうした個体は2m程度に成長すれば人間を捕食し始める。

 幼生の群れに船団ごと全滅させられた例もあり、ときには救援要請を受けて駆けつけた別の船団までが巻き添えになることもあった。

「いつ足元が崩れて化け物に食われるか分からない。そんなトコロに何年もいたらおかしくもなるよ。あんな不便なトコに住んでるのも、少しでも高い場所にいたいからなんだってさ」

「だからって放ったらかしですか?」

「本人が出てこないんだからしょうがないじゃん。怖くて地べたも歩けない人間を無理矢理外に引っ張り出しても、症状が悪化するだけだよ」

「カウンセラーが訪問するとかは?」

「同じだよ。こういうのは本人の意思が一番大事なの。第一そんな人手もないしね。ほっとくしかないんだよ。自分から出てくるまで」

「出てこなかったら?」

「完全に壊れるか、自殺するか」

「……それでいいんですか?」

「ここは本土とは違うんだよ、バイト君」

 突き放すようなリンの言葉に、ルカはシートの上で身じろぎした。

 窓の外を流れる街並みは、どこにでもありそうな平凡な光景だ。しかしそこを行き交う人たちは平凡とは程遠い人生を歩んできた者ばかりだ。彼らはいったいどんな世界を見てきたのだろうか。

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