その5

「今日、最終日だって? 帰りにライセンスを受け取るのを忘れないようにね」

「バッチリです。待ちに待ってましたから!」

 答えたルカの声が微妙に裏返る。本人は平静を装っているつもりだが、慧春えはるから伝わる甘い香りに自然と声が高くなっていた。

 やがて施設内で営業しているカフェへやって来た2人は、店員に誘導されるまま奥まった席につく。

「好きなモノ、頼んでね。カウセリングが終了したお祝い」

 慧春はメニューを開いてルカに見せる。

「ここのケーキ、ぜんぶ手作りなの。今のオススメはいちごのタルトかな」

「あ、じゃあ、それを」

 店員を呼びいちごのタルトと紅茶を2つず注文したあと、慧春はルカに向き直る。

「ここは本土に比べていろいろ不便だけど、住み心地はどう? 何か苦労していることはある?」

「ゼンゼン! ずっと中世風味な世界にいたんで、こっちのほうがよっぽど便利です。快適すぎて戸惑うくらいで。大家さんにもお世話になりっぱなしで」

「そう。それなら大丈夫そうね」

薮椿やぶつばきさんのおかげです。ホント、いろいろお世話になりました」

 ルカがささやかなデート気分を味わっていると、店員がタルトと飲み物を運んできた。

「あ、ウマっ」

 慧春にうながされ、いちごのタルトを一口含んだルカは思わず歓声をあげた。柔らかいクリームとサクサクとした生地のバランスが絶妙で、口に入れるたびに素朴な甘酸っぱさが弾ける。

 無邪気にスイーツを頬張るルカを微笑ましげに眺めながら、慧春も自分のタルトに手をつける。

「ふふっ、よかった。お祝いに勧めておいて口に合わなかったら台無しだもからね。改めてカウンセリング終了おめでとう」

「ありがとうございます。……でもいいんですかね。カウンセリングっても大勢で集まって雑談しただけなんですけど」

「ちゃんと個別カウンセリングも受けたでしょ?」

「それはまぁ、はい。でも3回、4回だったかな? だけですよ?」

「それで十分なのよ。貴方の場合はね」

 慧春の手にしたカップから紅茶の柔らかな香りが漂う。

「今日からは住宅や仕事先を自由に選べるけど何か予定はあるの?」

「ん~、家は当分今のトコでいいかな。とくに不便してないんで。バイトはしてみたいなって思ってますけど」

 ルカがそう言うと、慧春はカップを置いてからおもむろに切り出した。

「貴方さえ良ければ、異民局うちでバイトしてみない?」

「えっ? ウチって異民局ですか?」

「そう。ハードな割にお給料はそんなに高くないから無理にとはいわないけど。オススメといえば正規職員登用制度があること、かな」

 異民局といえば、このリンカイ区で最大の権限を持つ公的機関である。どんな仕事をしているかまではルカも詳しくないが、郵便局やスーパーなどに比べてはるかに刺激的な仕事場に思えた。

 少なくとも公務員であるからには、生活に困るようなことはないはずだ。

「いやぁ、ありがたい話ですけど、いいんですか? そんな簡単に」

「あら。手当たりしだいに声をかけてると思ってる?」

 慧春はトートバッグから数枚の書類が挟まれたファイルを取り出すと、その一部を読み上げていく。

「異世界後遺症は軽度マイルドで、原世界ホーム・ワールドへの適応性も良好。異世界での記憶やスキルを維持」

「スキルっていっても、風船を作るだけですけどね」

「それだけでもたいしたものよ。忘れたの? ここでは魔法を使えるだけで特別なのよ?」

 つまり事前に何らかの適性審査が行われ、ルカはそれにパスしたということなのだろう。

「バイトはお試し期間ってところですか」

「私の部署は主に区内の治安を担っていて、危険を伴う仕事だから即戦力を求めているの。貴方みたいなね」

「それって警察とは違うんですか?」

「警察が扱うような事件のうち、異世界のスキルが関わっているものは私たち異民局の管轄になるの。普通の人には手に負えないでしょ?」

「それはそうですけど。なんかメンドくさいですね。警察で専門の部署とかチームを作ったほうが早そうですけど」

 そもそも「帰還民が起こした事件」かどうか、誰が判断するのだろうか。その結果が出るまで捜査の担当が決まらないとしたら時間の浪費ではないのか? ルカはそう思う。

「警察には帰還民を管理する権限がないから」

「あ、そういうの何ていうんでしたっけ。縦……、縦書き行政?」

「縦割りのことかな」

 ルカがうろ覚えで発した言葉が慧春の失笑を誘う。

「お役所は枠組みが大切だからどうしてもね……。でも検察官や麻薬取締官みたいなものだと思えば、分かりやすくない?」

「あれ? 麻薬取締官って警察官じゃないんですか?」

「厚生労働省の職員よ。特別司法警察職員といってね、他の省庁にも似たような職員は大勢いるの」

「へー、ゼンゼン知りませんでした」

 あるいは忘れてるだけかもしれないが、記憶に無いのだから、今のルカにとっては同じことだ。

「あ、いけない」

 腕時計を確認した慧春はファイルをしまうと席を立った。このあと別件の打ち合わせがあるのだという。

「興味があったらここへ連絡して」

 そういって名刺をテーブルに置くと、会計を済ませて店を後にした。

 残されたルカは名刺を手に取り、慧春の提案について考えた。と言っても悩んだわけではない。

「ダメならそんときだな」

 最初から結論は出ていた。普通なら望んでも得られない話が向こうから舞いこんできのだ。乗らない手はない。

 考えこんでいるように見えたのは、異民局の制服に身を包んだ自分が、慧春のそばで勇ましく活躍する姿を想像していたからだ。

 家に帰ってからも存分に妄想に浸ったルカは、翌日、学校でシュンスケと顔を合わせると、挨拶もそこそこにさっそく事情を話して意見を求めた。

「そりゃやるべきだろ」

 シュンスケは渡された慧春の名刺を眺め回しながら、ルカの期待に違わない反応を示した。

「断る理由ないじゃん。こんな面白そうな話」

「だよな。やっぱそうだよなぁ」

「ようはアレだろ? 帰還民専用のスワットやシールズみたいなもんだろ?」

「しーる?」

「特殊部隊ってコトだよ。違うのか?」

「わからん。麻薬取締官と似たようなもんとは言われた」

「なんだそりゃ」

「警察とは別枠ってこと。異民局の職員なんだってよ」

「んん? なんかよくわからんな。まぁ、手紙配って回るよりは楽しそうじゃね?」

 異民局の仕事についてはシュンスケも詳しくないようだったが、それでもひとつ気づいたことがあった。

「そういや、役所務めってBライだろ? 異民局に入ったら、そのうち本土に行けるんじゃね?」

「あー……」

 こっちに戻ってからすぐに24区へ移動したため、ルカは本土の実情をほとんど知らない。そのためか、テレビで都内のようすを見ても、まるで異国の都市を眺めているような気分になる。

 こちらの生活に慣れたとはいっても、300年近い時間のズレはなかなか埋められない。電化製品に囲まれた現代的な生活は、あまりに便利すぎてどこか違和感がある。

 本土に比べて前時代的とされるこの町においてさえそうなのだから、都会の生活など考えられない。

 本土には異世界に飛ばされる前の友人や知人がいるはずだが、ルカにとって彼らはとっくに過去の人だ。今どうしているか知りたい気もするが、知らないままでもあまり気にならない。

 家族とは手紙のやりとりをしていて、それだけで満足している。もしひとつ屋根の下で暮らすとなったら、おたがい息苦しい思いをしそうな気がする。一人暮らしのほうが気ままだ。

「別に無理してまで行きたいとは思わんなぁ。お前は?」

「俺も」

「おい」

「まだ当りがキツイってウワサだしな。無理して行くことねーかなって」

「それもあった」

 同じ異世界帰還民といっても、シュンスケの場合、転移してから帰還するまでの間、原世界ホーム・ワールドでは一切時間が経過しておらず、本人にも向こうでの記憶がなかった。

 異世界帰還民の多くはこのタイプであり、実質的には一般人と何も変わらないのだが、それでも世間の目は冷たかったようで、本土での体験をあまり語ろうとはしない。

「とりあえずやってみ? 合わなかったらやめりゃいいんだし」

 シュンスケのこの一言で決心がついた。9割方決めていたとはいえ、誰かに背中を押してもらえるというのは心強いものだ。

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