第2話 帰還民たちの事情
その1
バイトを決めたルカは、さっそく昼休みに
校舎玄関に設置された赤電話で名刺に記された番号にかけると、2回目のコール音が鳴り終える前につながった。
「はい、異民局保安課」
「あの、私、
シュンスケにアドバイスをもらって、事前に練習したセリフを口にする。
「あら、芒薄くん。薮椿です」
電話をとったのは
「あ、芒薄です。すいません、今いいですか?」
「ええ、もちろん。もしかしてバイトの話?」
慧春がすぐに察してくれたことで、そのあとのやりとりはスムーズに終わった。
「どうだった?」
ルカが電話を終え教室に戻ると、シュンスケがクラスメイトとの雑談を打ち切ってやってきた。
「放課後来いってさ。今日からバイトだ」
「そっか。まぁ初日は挨拶くらいだろ。気楽にいけ」
異世界で過ごす間、ルカも働いた経験がないわけではないので、「そんなもんだろう」という気はする。派手に手柄をあげたいという気もするが、初日から大きなイベントがあるとも思えない。
シュンスケの言うように、とくに気構えすることもなく午後の授業を過ごすと、放課後、シュンスケに別れを告げて異民局へ向かった。
バスを降りて中央公園を進むと、やがて視線の先に異民局の建物が見えてきた。何度も通った場所のはずなのに、今日は何だかこれまでと違って見える。
24区全体を管轄する街の中枢部。そこがこれから自分の仕事場になるかと思うと、小さな優越感で胸の奥がムズムズする。
「ん?」
周りがやけに騒がしい。浮かれ気分で歩いていたせいで気づかなかったが、公園のあちこちから意味不明な叫び声が上がっている。
「なにしてんだ! どけ! 早く!」
「うしろ! うしろ!」
「こっち来いバカ! 死にたいのか!?」
ルカの後方を見つめたまま立ちすくんでいる者もいれば、離れた場所でわめき散らしている者もいる。
「うしろ?」
振り返ったルカは騒ぎの原因を知った。
ありえないことに公園の中をバスが走っていた。右に左に逃げ惑う人々を押しのける勢いで、それもルカのいる方向に。距離にしてあと30mもない。
避難を呼びかける人々の声を聞き流し、ルカはその場にしゃがむと両手を地面についた。
「ここは通行禁止だぞ」
手のひらから放たれた魔力が地面の上を広がっていく。
「危ないぶつかるぞ!」
見物人のひとりがそう叫んだ時、ルカの目の前に広がる地面の一部が隆起した。暴走バスは眼前に現れた「壁」を避けられず真正面から突っこんでいく。
バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! ボスッ!
公園内に乾いた破裂音が鳴り響く。破裂音が収まったとき、バスは壁に埋まった状態で停止していた。
「スピードの出しすぎは事故の元ってね」
見物人たちがバスと壁に気を取られている間に、ルカはその場を立ち去った。
恐る恐る近づいた見物人たちはバスのようすを確認する。激突の衝撃で窓が数枚割れているようだが、派手に衝突したわりに車体へのダメージは少なそうだ。
「なんだこの壁。柔らかいぞ」
見物人たちの目には、地面が垂直に盛り上がったように見えたが、そうではなかった。
暴走バスが激突した壁は、ルカが魔法で作った「風船」だった。
風船といってもレジャーランドで配るようなゴム風船ではない。風船を形成する膜材には、軽さと衝撃耐性に優れたロック鳥の胃袋が使われている。
縦横4m、厚さ3mの直方体の風船、合計6つを暴走バスの前方に直列に配置したのだ。バスは「壁」をひとつ破裂させるたびに減速し、5つ目の壁を突破できずに停車したのである。
「ブランクをものともせず、初日から事件解決。やるなぁ、俺」
町中で魔法を使うことは禁止されているため、魔法を使うのは実に半年ぶりのことだ。失敗しないか不安もあったが、こうして上手くいったのだから結果オーライだ。
「バリエーションも増やしたほうがいいよな。仕事で使うんなら」
ルカは歩きながら肩越しに風船をみやる。
魔法といっても万能ではない。少なくともルカが学んだ魔法はそうだった。
風船の形や大きさなどはある程度思いのままにできるが、中に詰める気体や膜材は想像だけでは補えない。
ルカがそのモノを深く理解し、頭の中で具体的にイメージできるものに限られる。
「前は王女様がいくらでも集めてくれたけどなぁ」
ルカはかつての主人の顔を思い浮かべた。初めて出会ったときのことは今でも覚えている。
残虐非道と恐れられた彼女が、ルカの作った風船を見て無邪気にはしゃぐ姿は、忘れようとしても忘れられるものではない。
王女のもとでペットとして生きることを許されたルカは、つねに彼女の側近くに従い、彼女に求められるまま、いろいろな形の風船を作ったものだ。
当初はビニールや紙の風船しか作れなかったが、王女の希望に応えようと工夫を凝らす間に気体や膜材のバリエーションも増えていった。
研究に必要な材料は、王女に頼めばいくらでも手配してくれた。
しかしこの世界ではそうはいかない。
「いろんな繊維を試してみたいけど、さすがになぁ」
魔法に必要なイメージを獲得するためには大量の原材料が必要で、それ以外にも用意しなければならない素材がたくさんある。すべて買い集めていたらお金がいくらあっても足りない。
「
騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬たちをかわしながら、ルカは公園の外へ向かう。
そのルカの背をひとりの少女が見つめていた。少女の足元には暴走の元凶であるバスジャック犯が転がっている。
野次馬をバスから遠ざけていた警察官のひとりが少女の視線に気づきささやきかける。
「拘束しますか?」
「いい。ウチで処理する。こいつ、よろしく」
少女は足先でバスジャック犯を小突くと、被害者であるバス運転手の容態の確認に向かう。
(あの能力は使える。度胸もまぁまぁ。けど肝心のメンタルはどうかな?)
異民局保安課のある第1棟は、リハビリ-センターこと第2棟の裏手にあたる。
リハビリセンターの中を通って行くこともできるが、
受付で要件を伝えると、およそ5分後、エレベーターから慧春が現れた。
「いらっしゃい。よく来てくれたわね」
保安課は庁舎の5階にあった。エレベーターを出たあと、中庭に面した廊下を進み、突き当りにある食堂の手前で左手に曲がったところで慧春は足を止め、ルカのほうを振り返った。
「ここが今日から貴方の職場よ」
15×15㎡程度の室内はパーテーションで半分に仕切られていて、それぞれ業務用デスクが向かい合わせに6台並んでいる。
「今、巡回の時間だから、みんな出払ってるの。この壁を挟んで、奥が1班で、手前が2班」
室内を移動しながら慧春がデスクの配置について簡単に説明していく。
「で、ここが
ルカに与えられた席は1班のもっとも通路側にある1台であった。デスクの上にはプッシュ式の電話機と電気スタンドが置かれている。
「あ、それと私の席はあそこね」
慧春の指し示した方向を見やると、パーテーションで仕切られた2つの島とは別に、窓際にひときわ大きいデスクがあった。
デスクの周りには本棚や機器の類が置かれていて、その一角だけどこかの作戦司令室のような雰囲気がある。
「みんなが来たら紹介するから、それまではこれを読んでおいて」
研修用と書かれたファイルには、電話の使い方、応対時の受け答え例、名刺のやり取りといったビジネスマナーのほか、役所内の見取り図や組織編成などもあった。
「まずは電話応対や内線の回し方から覚えてね」
そう告げたあと、慧春は心持ち姿勢を正してルカに微笑んだ。
「改めて、よろしくね。芒薄くん」
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします」
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