その4

 ルカの参加しているグループカウンセリングは、最も症状の軽い者を対象にしたもので、10人前後の参加者とひとりのカウンセラーで行われる。

 毎回、参加者のひとりが異世界での体験談を語り、それが終わったらディスカッションという名目で一時間ほど雑談してから解散するというのがお決まりだ。

 ルカにとって最終日となるこの日も普段と変わらない内容だった。

「え? じゃあ、水道が無かったの?」

 参加者からの質問に、語り役の男が肩をすくめる。

「そ、信じられないだろ? 畑に水を引くための水路はあるのに、人間用の水道が無いんだぜ。『水は水売りから買う』って発想が染みついてたのさ」

「川の水が汚いからとかってわけじゃなくて?」

「ぜんぜん。キレイなもんだよ。あっちに行ったばかりの頃はずっと生水飲んでたけど、腹壊したことなんてないしな。水売りの水だって、そこらの川からくんできたやつだぜ?」

 異世界では、ルカたちの常識では考えられない習慣や文化が定着していることも珍しくない。

 そもそも一言で異世界といっても千差万別である。

 ルカたちの故郷である原世界ホーム・ワールドとほとんど変わらないところもあれば、トンデモないほど科学が発達した世界や魔法が普通に存在する世界、昆虫に支配されている世界などさまざまだ。

 ルカのグループに属している人々の多くは、「ほとんど変わらない」世界からの帰還民であり、だからこそ帰還後の後遺症も軽度で済んだといえよう。

 だが「似たような世界にいたのなら、こっちの世界にもすぐに馴染めるだろう」というと、そう単純な話でもない。

 この原世界ですら国ごとに文化や風習が異なるように、それぞれの異世界には、それぞれの常識や風習が存在する。

 飛ばされた先が、例えば「人型のカブトムシやミツバチが暮らす世界」といったように、見た目からして異質な場所であれば、どんな奇怪な風習でも案外「そういうものか」と受け入れられる。

 ところが「ほとんど変わらない世界」の場合、なまじ共通項が多いだけにわずかな差異を受け入れるのに時間がかかる。

 そして異世界の生活スタイルにすっかり馴染んだあとに戻って来た者は、今度はこちらの世界とのギャップに苦労させられることになる。

「……で、あまりに不便だから、とりあえず世話になった村で水道を作ったわけ。って言っても、川から村まで水を引いて、井戸で汲み上げるだけだけどな」

「村人みんなが協力してくれたの? まさかひとりで?」

「はじめは俺ともうひとりだけ。ほかの連中は『地面の下を通った水なんて汚い』って言って見向きもしなかったぜ。ヘンな話だろ? 川から汲んできた水は平気で使うくせに、水路を通った水はイヤだってんだからさ。けどまぁ、水路が一本完成して、実際に使ってみたらすぐに便利だって理解してさ、その後はもう注文がひっきりなしよ」

 異世界帰還民の中には、このような世界間のギャップに着目し、原世界の知識や技術を利用することで成功した者も少なくない。

「んで、そんなこんなでいくつかの村で同じようなことしてたら、その話を聞きつけた王様に呼び出されて、国中に水道を引くことになったのよ」

「王様直々の依頼か。そりゃ大儲けしただろう。貴族にでもしてもらった?」

「いやいや。そんな簡単な話じゃないんだこれが。王様はやる気だったんだけど、その下の連中は頭の固いやつらばっかで、王様と打ち合わせしようにもあの手この手で邪魔してくるわけよ。そいつら黙らせるだけでも1年くらいかかったかなぁ。で、いざ水道建設の計画を発表したら、今度は水売りギルドが猛反発」

「そうか。その人たちにしてみれば自分たちの仕事が無くなるんだもんね」

「そうそう。そいつらの説得がまた一苦労でさ。しかも王宮じゃ、ギルドから賄賂もらった大臣たちが話を蒸し返すし、水の神様を祀ってる神殿も信者たちをかき集めて抵抗運動始めるしで、あやうく王国が分裂するところだったからなぁ」

「ドコの世界にも利権争いってあるんだね。ウチでも似たようなことあったわ」

「あったあった!」

 似たような体験をした参加者たちが次々に参加し、しばしの間、異世界で出会った権力者たちへの悪口合戦が繰り広げられた。

 カウンセリングでは発言が奨励されるため、話が脱線することはよくある。適度に会話が弾んだところで進行役のスタッフが話を戻し、語り役の男にバトンタッチする。

「どこまで話したっけ? ああ、そうそう。そんなこんなで、王宮の内でも外でも反対派の声が高まったわけ。けどその大半は直接会って話しをしたら納得してくれたよ。ギルド員の再就職については、王様も最初から頭を砕いてたしさ。けど、問題はギルドと神殿の強硬派の連中。こいつらはハナから話を聞こうとすらしない」

「下の連中が納得してるのに? ホントに自分たちのコトしか考えてないんだな」

「まぁね。で、そんな奴らだからこそ権力はあるし、従う連中は国中に散らばってる。だから王様としても強引なことはできないわけ。下手に軍を動かしたら、コイツら国民の不安を煽って暴動を起こすくらいやりかねない。そんなことになったらマジで内戦になっちまうからな」

「一般人を巻きこむのも平気なわけか。神様に仕えてるくせに。腐ってるなぁ」

「王様も困り果てたみたいでさ、俺のところにまで相談しにきたの。全然関係ないのにな。だから言ってやったんだ、『向こうから手を出すように仕向けたら?』って。暴動起こした相手を鎮圧するためなら、王様が軍隊を動かしても国民は動揺しないだろ?」

「理屈はそうだなぁ。けど、相手だって用心してるだろ? 上手く誘い出す策っていうか、アイディアはあったのか?」

「強硬派の間に噂をばらまいたんだ。『水道計画を破綻させるなら、水源の人工ダムを破壊するのが一番簡単で確実だ』ってね。噂が広まってる間に、王宮の兵士にはいつでも出撃できるよう準備させておいて、ダムに続く山道にも警備の兵士を伏せておいた。んで、強硬派の連中がノコノコやって来たところで、警備の兵士が奇襲をかけて足止めしてる間に、あとから出発した国王軍の本隊が敵の背後から襲いかかって挟み撃ち」

 聞き入っていた参加者たちが感心してうなづく。

「おおー、すごいな。完璧な作戦勝ちじゃん」

「歴史小説に出てくる名軍師みたいだ」

「いやいや。俺はアイディアを出しただけ。実行したのは騎士団の連中だからね。ってか、強硬派の連中がバカすぎたよ。もともと『やってみて損はない』くらいのつもりだったのに、びっくりするほどあっさり釣れたからな。でまぁ、その戦いで強硬派はあらかた片付いたんだけど、そのあとも建設の財源を確保したり、工事を指導する人材を育成したり、やることは山積み。おまけに国外に逃げた強硬派の生き残りが、周辺の国を煽ったせいで国境付近で小競り合いが続いたしね。そのへんのゴタゴタが収まって、ようやく水道建設の目処がついたなぁってところで、気がついたらこっちに戻されてたってわけ」

「えー、そりゃ災難だな、せっかく苦労したのに」

「もうちょい待ってくれれば、美味しい思いができたのに」

 参加者たちは口々に残念がるが、当の語り役は肩をすくめて笑う。

「どんな奇跡か知らないけど、戻って来られて良かったよ。 一生あんな世界にいるなんて、考えただけでゾッとする。こっちは最高だよ。安全で、清潔で、飯も上手い。インフラが整ってるってだけで天国に感じるね。またあっちに飛ばされるくらいなら、名声も報奨も惜しくないよ」

 語り役がそういって話を締めくくり一礼すると、参加者たちからパラパラと拍手が起きた。

 その後、参加者たちが各々の感想や質問などを語りあい、1時間ほどしたところで係員が終了の時刻が来たことを告げた。

 グループカウンセリングを終えたルカが小ホールを出ると、廊下に立っていた美女に呼び止められた。

「お久しぶりね、芒薄すすきくん」

「あ、薮椿やぶつばきさん、お久しぶりです」

 声をかけてきたのは、ルカがこの世界に戻ってきて最初に対面した人物――薮椿慧春えはるだった。いつもと変わらぬ濃紺のスカートスーツを着て、左肩には黒いトートバッグを下げている。

 この世界に戻ってから数日間、慧春はつきっきりでルカの面倒を見てくれた。

 ルカがこの世界に戻った直後、慧春は約束通りこちらの世界で起きた変化を説明してくれた。ルカが納得するまで、根気よく、何度も、微笑みを絶やすことなく。

 その後、異民局内で行われた健康診断や心理テストにも付き添ってくれたし、家族との面会を手配してくれたのも慧春だった。

 街で暮らすようになってからは会う機会が減り残念に思っていたので、この再会には心躍るものがあった。

「このあと空いてる? 少し時間をもらえるとありがたいんだけど」

「はい、もちろん!」

 ルカはカウンセリングで世話になったスタッフや知り合いたちに別れの挨拶を済ませたあと、慧春の隣に立って施設内を移動する。

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