駄目な大人と生意気少年

@IrmcherTurbo

本編

おねえさん。おねえさんだ。つややかな髪で、可愛いい顔立ちをしたおねえさん。

シルバーのセダンに乗っていて、僕を轢きそうになったおねえさん。

そんなおねえさんの車の助手席に、僕は居た。


「…それで、キミはあんなところで何してたのかなー?」


おねえさんが問いかける。けれど僕は、何も答えなかった。答える気になれなかった。僕は家出中で、返されたくなかったし、たとえ正直に言ったところで、わかってもらえないに決まってるから。ただただ黙りこくる僕に、おねえさんは特にそれ以上何も言わない。

窓の外を見やる。外灯のない山路はとても暗いけれど、そのぶん返って街の明かりが鮮明に見える。素晴らしい夜景がいくつも流れ、そして木々の合間に消えていく。ここにあるのは沈黙とエンジン音。


「言う気は無いのかなー?」


おねえさんも呆れ声。知らないぞ、僕は黙ったままだ。


「…いじめちゃうぞ?」


「…やってみれば」


僕は不貞腐れて声を出した。後々思えば、絶対にいうべきじゃなかったのに。ただ、可愛いおねえさんの車の助手席で、この売り言葉に買い言葉で発せられた一言が後々の後悔の原因になるだなんて、知る由もなかったし、予測できる人は居なかっただろうと思う。そう、その時、僕は知らなかった。この峠道を走るおねえさんの車が、スポーツカーだったなんて。


「……じゃ、言う気になったら言ってよねぃ」


そうおねえさんが言うと、左手のレバーをガクッと動かして、それからグオンとクルマが”吠え”た。その後、クルマがグッと揺れた気がして……気づけば、背筋が背もたれに張り付いていた。冷や汗が出るほどの強烈な加速感、背中はビッチリとシートに張り付いて、景色はさっきの倍以上の速度で流れる!!ゴアアアアと野太い咆哮を上げて、クルマがどんどん加速する!!


「ちょ、おねえさ、ブレーキ!!ブレーキ!!!」


噛みそうな舌を回して叫んで、おねえさんの方を見ても、メーターパネルの反射光を浴びて舌なめずりするおねえさんしか見えない。前を見れば、右カーブが急激に迫る!!


「ブレーキ!!」


「ふふっ」


直後、がくんと体が宙をはねた…ような気がした。今度は急過ぎる減速、体がすっ飛んで前にぶつかりそうになる。それをシートベルトで強引に受け止めるけど、体に喰い込んですっごく痛い。口から内蔵が出そうな思いに歯を食いしばって耐えていると、今度は横向きにグイグイ引っ張られる!!これは、さっきのカーブを曲がってるんだ!でも、全然何かを考える余裕はない。ジェットコースターみたいといえばそうかもしれない。けど、ジェットコースターと違ってレールなんかないし、揺れるし、踏ん張れるところだってありゃしない!!

タイヤが滑る音だろう、ギャアアアアア、と悲鳴みたいなのが耳をつんざく。ゴフ、ゴアアアア、とエンジン音がやかましい。おねえさんはあろうことか笑ってる!!おかしいよ!!


「はい次ィ!」


グッとおねえさんがハンドルを回す。車体もガクッと揺れて、引っ張られる方向が逆になる!と思ったらさらに加速!おねえさんがまたレバーをガチャっとやって、もっと加速!もっともっと加速!!また減速!横、横、減速、加速!加速!加速!!


「やめて、ブレーキ、死んじゃうよ!!死んじゃうよ!!」


「言うかぁ少年!?」


「言う!言うって!!やだ!!ヤダぁ!!!」


「や、く、そ、く!出来るかな?」


「約束するってぇぇ!!!」


そして結論から言えば、僕の精神が折れるのにそう時間はかからなかった。端的に言うと……ものすごく……怖かった。



「はぁ……」


おねえさんから貰った缶ココアを開けて、でも口は付けずに握りしめたまま、僕は大きくため息をついた。あの恐怖体験のあと、すぐにおねえさんは減速してくれたけど、でも、僕はこの車に対してとても恐怖感を抱いていて、駐車場で止まると同時、逃げ出すことを試みたけど……当然逃げられる筈もなかった。車と徒歩じゃ勝手が違うし、こんな山奥、街灯がない場所になんて逃げられない。それに、おねえさんと来たら、窓から腕を伸ばして、僕の襟首をむんずって感じで捕まえるんだ。あれもすっごく怖かったし、おねえさんも笑顔なのに全然笑ってる感じがしなくて、それも怖かった。全部怖かった。


「そーれーで」


おねえさんはカフェラテに口をつけたあと、聞いてきた。


「何であそこにいたのかなー?理由次第じゃ、君を送り届けなきゃならないし」


「ほっとけばいいだろ…」


「あれまナマイキ。でもねー、大人ってそうも行かないのよ」


「出た、大人」


僕の嫌いな言葉に、思わずうげぇと反応してしまう。


「大人って何?そんなに偉いわけ?年食ってるだけじゃん」


「言うねぇ少年。まあ否定はしないよー?実際のところおねえさんも、『酒飲めて、税金払えりゃ大人』論者だからねぃ」


あ”ー!!…といきなり叫んだおねえさんは、これみよがしに両手で顔を覆って、天を仰ぐようにして大袈裟に泣き真似をする。


「そうなんだよぅ!おねえさんは納税者なのだ!日々をあくせく働いてようやく得た薄給を、国の偉くてこわーい人達が今月のケツ持ち代だーとか言いながら掻っ攫っていくんだよぅ!もうすぐ自動車税!払いたぐない!払いたぐないよぉわだじのごまんえーん!!」


「そんなに嫌なら払わなきゃいいじゃん」


「一度ムカついて払わなかったらあとで18万円請求されたからもう二度とやらない!」


悲壮な笑顔でサムズアップするおねえさん。でもやってることは普通にダメ人間だった。


「それで、なんの話だったっけ」


「年食っただけの大人が嫌いって話」


「あーね。大丈夫、おねえさんも『酒が飲めて税金が」


「いや自動車税とケツ持ち代の話はいいから、ていうかループさせないでよ」


「テヘペロッ!」


おどけた顔でウインクして、自分の頭をコツンとやるおねえさん。不覚にも可愛かったけど、やっぱりちょっとウザかった。


「でもね少年、君も結局いつかは年食っただけの大人になっちゃうもんだよー?おねえさんも若いときはそりゃーもう同じようなこと言って世間様に吠えてたんだから!ガオガオーってね」


なりたくない。ていうか、僕は別に吠えてない。そんな僕の視線が冷たかったのか、おねえさんはうっと少したじろいで、それから斜め上を見やって口笛を吹くような所作をした。ひふー、と息の漏れる音。口笛になってない。


「まぁそんな感じに年食ってるだけあってねー、誰かに誇るところがあるわけじゃない分、若者の人生に大して役にも立たないアドバイスを送りたがるもんなのさ、だめな大人って奴はねぃ」


「うん、心の底からそうだろうなと思う」


「どうしておねえさんを見て言うのかなァ、全く最近の若いのは」


どうして自覚がないんだろうなぁ、全く最近の大人ってやつは。


「じゃあおねえさんはなにか誇るところがあるわけ?」


「んー……何を食べてもご飯が美味しい!えっへん」


「ただの貧乏舌じゃん」


「貧乏舌でいいんだよ少年。私くらいの貧乏舌だと、ビールと発泡酒の違いがわからない!黒毛和牛と米国産牛の違いがわからない!コシヒカリとタイ米の違いすらわからない!食費がお安い!最高じゃん!?」


「いや、病気だと思う」


「冗談です、流石にわかります、ビールとコシヒカリ片手に黒毛和牛食べたいです…」


「なんて返したらいいのかな」


「『黒毛和牛、うちにあるんだけどどう?』って返されたら敬語使ってやってもいいぞ少年」


「そこまで来てなんでそんなに偉そうなのさ、ていうか何その返し」


「黒毛和牛があることそれ自体は否定しない…と」


「いや、無いから」


「チッ、私の黒毛和牛…」


いつからおねえさんの物になったんだ。ていうか、なんで舌打ちされてるんだ。



おねえさんは意外とフレンドリーで、隙あらばアドバイス(という名の謎エピソード)をねじ込んでくる以外は、会話に不快感は覚えなかった。


「さては大人になんか言われたなァ?」


くつくつと笑うおねえさんは、缶コーヒーを持ったまま僕を指差す。


「いっつもだよ。学校だって家だって街だって、何処行ったって『大人の言うことをきけ』『こっちは大人なんだぞ』『子供のくせに生意気な』じゃないか」


「実際君はナマイキ」


「うるさいな。へりくだるとか、好きじゃないんだよ。思ったこと言ってるだけ」


「そーいうとこがナマイキなんだけどなァ」


おねえさんはふふんとニヤける。どこにニヤけてるのかは知らないけど、どこか肯定的な感じではあった。


「ま、そりゃ、世の中には変な大人も多いよねぇ。おねえさんもつくづく思うところはあるよー。こないだファミレスに行ったときにさ、そこ、珍しく個室のファミレスでね?でも、隣の個室のカップルが、なんか喧嘩してて、男のほうがすっごい怒鳴り散らす声が聞こえるのよ」


てめえこのヤローぶっ殺してやる!と、おねえさんは拳を構えて真似する。迫真の演技でしょう?って感じのドヤ顔されるけど、全然迫力も演技力もない。ていうかこの”アマ”じゃないか?


「あとはひたすら罵倒で、おねえさんも辛くなってきちゃって、ていうかすっごいムカついて、『通報するぞこら馬鹿男!!』って言いながら、隣の個室に乗り込んだのよ。そしたらどうなってたと思う?」


おねえさんは缶コーヒーをコクンと飲んで、遠い目をしながら続ける。


「なんとそこかしこにカメラマンとかマイク係とかいっぱい居て、そこで映画の撮影してたのよ」


「おねえさんが変な大人側だったっていうエピソードじゃんか」


「ツッコミ鋭いね少年!いい漫才師になれるよ」


「なる気ないよ」


「あ、でも、なんかそれを居合わせたプロデューサーが気に入っちゃってね。その場で『この絵映画に入れていいすか?』『え…ど、どうぞ』『じゃあ、その、申し訳ないんスけど、男役がヤクザの息子って設定なんで、ちょっと絡まれてもらえますか?』なんて流れになっちゃってね。結局、おねえさん映画に出演出来たんだよ!」


「なにそれ自慢?」


「名刺渡しそびれてクレジットには載ってないんだけどね!『残響の八月』って映画だから!」


「いや見ないから」



それからいくつかのエピソードを経て、僕はいい加減馬鹿らしいとすら思えていた。

だし巻き卵が上手く作れなかった話、カップ焼きそばがシンクに落ちた話、電話に夢中でオイル交換を失敗した話、部品を買いに行ったらちょうど品切れで途方に暮れた話、喫茶店でお金が足りなかった話や、桜に見とれてドブに足を突っ込んだ話。

おねえさんはスラッとした外見やかわいい顔に似合わず、話すエピソードや仕草はどれも間抜け臭い。ダメ人間というほどダメ人間ではないが、しかし立派な社会人というわけでもなさそうだ。僕の嫌いな、いわゆる偉そうな大人ではなかったが、尊敬しろと言われたら無理、そんな評価だった。


「結局さ」


「うん?」


僕が話を遮ってまとめに入ると、おねえさんは飲み終えた缶コーヒーの缶をプラプラさせながら首を傾げた。


「大人だって、実際、尊敬するような事してる人と、そうでもない人が居るじゃん。そりゃ、スゲー人になんか言われるならわかるんだけど、そうでもない人まで、なんで偉そうに説教とかしてくるのさ」


「んー、そうさなー」


おねえさんは空き缶をポンポン投げながらのんびりと言う。


「結局は、ただテキトーこいて偉そうになにか言いたいだけだろうね」


尊敬できない大人代表が出した答えは、やっぱり尊敬できなかった。



「それじゃ、大人の質疑応答は終わったところで、子供の質疑応答」


「おねえさんが勝手に喋ってるだけだったけどね」


「大人はそういうもんさー」


相変わらずヘラヘラぽややんとしたおねえさんは、街角インタビューみたいに僕にマイクを向けてくる。実際は缶コーヒーの空き缶だけど。


「少年選手、ズバリなんであんなところに!?」


「なんの選手さ」


「家出選手権?」


おねえさんはことも無さげに冗談めかしたけど、偶然出てきたはずの家出、という単語に、僕は少しギクッとする。まるで心を覗かれたみたいな、そんな冷ややかな汗が伝う。そんな反応を見て、おねえさんは「ははぁん」と片眉をあげた。


「おかあさんとケンカしたか」


「…違う」


「じゃあお父さん」


「違うよ」


「じゃあおねえちゃん」


「違うって」


「じゃあおにいちゃん」


「当てずっぽうに親類言ってけば当たると思ってない?」


だいいち、僕にお兄ちゃんは居ないし。

だけどおねえさんはそんな発言もケラケラと笑って流してしまった。


「だいじょーぶだよ少年、人間ね、なんだかんだで辛いこと背負って生きていくもんさ。おねえさんも昔はいーっぱいケンカしたもんだよー?」


「はぁ?だからケンカじゃないってば」


「いいっていいって少年、照れるなよ」


「アンタ耳ついてんの」


「いや、ごあいにく様、愛車のエンジン音しか聞く耳はなくてねぇ」


ぶおんぶおん、と冗談めかすおねえさんの声は、実際のエンジン音とは似ても似つかない。


「…それで、大丈夫なのかな。深刻な悩みは抱えてない?何かの間違いがあったら、お姉さんはとっても悲しいんだ」


かと思えば、急に真顔になったおねえさんは、僕に向き直って片膝をついた。真剣な目で見つめてきて、いよいよ冗談じゃないことくらい、僕にもわかる。


「あの山では、何をする気だったの」


「……あ…」


僕は口を開きかけて、また閉じる。うるさいな、おねえさんだって、結局は赤の他人で、名前すら知らないじゃないか。何を話すっていうんだ。


「…関係ないだろ…」


「関係ならある」


当然だとばかりに言い切ったおねえさんの目は、切実なまでに真っ直ぐだった。


「なんの関係があるのさ」


「君を拾った。お姉さんはね、

君の嫌いな年食っただけの大人だけど、でも、だからこそ、まだ経験もない君が間違えそうになってたら、精一杯引き止めなきゃいけないの。それが大人なのよ」


お姉さんの言っている間違いが何なのか、僕にもわかった。それは誤解だったけど、でも、話すだけなら、話してみてもいいかもしれない。お姉さんの言葉は、不思議と僕をそんな気にさせた。


「…犬がね」


僕の周りの大人はいつも、関係ない話から入ると怒ったけど、お姉さんは真剣な目で僕の話を促す。


「犬が、いつも一緒だったんだ。生まれたときからずっと一緒、気付けばそばにいたんだ。十年以上、ずっとずっと、遊んだり、寝たり、いっぱい、いっぱい……」


話を察したらしいお姉さんは眉を困らせて、僕の手を取る。あったかくて、スベスベした手だった。自然と涙が溢れて、声が濁る。止めようと思っても、全然止まらない。お墓の前に花束を添えたあのときと同じ。抑えようとするほどに、涙が溢れて、感情が渦巻いて、


「大人ってさ!!勝手じゃんか!!仕方ないとか、運命がどうとか、きっと幸せだったよとかさ!!勝手に言ってさ!!わかるわけないだろ!!辛かったに決まってるじゃん!!なんで、あのトラックの馬鹿だってさ!!轢かれたのが君じゃなくてよかったとかさ!!何がいいのさ!よかったって、何がだよ!!目の前で、親友が死んだのにさ!!」


八つ当たりだ。自分にもわかった。お姉さんに関係の無い話で、怒鳴り散らしてる自分が居て。でも、涙も言葉も、止まらなかった。


「…いつも、夢を見るんだ。僕と親友が入れ替わってる夢。いつも通り親友の隣を歩いてたら、急に視界がぐるぐる回って、お腹や、足や、全身が、ちぎれたみたいに痛くって。呼吸もなんにも出来なくて、ただ、見上げるんだ。でも親友は、ただ呆然と、赤く染まったシャツを着て、僕を見下ろしてるんだ。そのうち、視界が黒くなっていって、『君、大丈夫!?』って、最後に大人の声がして。でもそれは僕に向かってじゃなくて」

お姉さんは悲痛な顔でそれを聞いていた。片手に持っていた空き缶を地面に置いて、それから、僕をがばぁと抱き寄せる。ふわぁといい匂いに包まれて、だけどお姉さんは何も言わない。ただ、泣いていいよ、と言われている気がして、そうじゃなくても涙は止まらなくて……

そうやって、僕が落ち着くまで、お姉さんは、ずっと僕を抱きしめていた。


「…大人ってさ、勝手じゃん。僕じゃなくてアイツの方だって、見ればわかるじゃん。助けを呼んでも駄目で、犬なんかどうでもいいとか、怒鳴って。どうでもいいわけ、ないじゃん」


だから大人が嫌いなんだ、と、僕は涙声で続ける。お姉さんは、そうだね、とだけ返した。


「この山の上、ドッグランがあるんだ。週末、よく来てた。こんな時間に家出して山奥に居たのは、それが理由。そこで何をしようなんて、思っていた訳じゃないし、おねえさんの言う間違いなんて、ないんだけど、でも......」


言葉を濁すけど、お姉さんは、もういいよ、って伝えてくれた。ゆっくりと抱きしめられた腕が解けて、柔らかい肌が離れていく。僕の涙をいっぱい吸い込んだお姉さんのシャツは濡れていて、あんなにも涙が出たのかという思いと、濡らしてしまった気恥ずかしさで、僕はふいと視線をそらした。


「ねえ、その子のお墓に、お花、供えていいかな」


お姉さんが言う。断る理由はもちろんなくて、僕は少しだけ顎を引いた。


「さ、車に乗って。どこにあるの」


「あっちです」


僕は指差す。



結局、僕は大人は勝手だと思うし、お姉さんもそういう部分は全く否定しなかった。過度に同情することは無かったし、偉そうなことも言ってこなかったけれど、要するに、大人は勝手だ。

僕自身、すっかり泣きはらしてしまえば、あの日あの時、既に親友の死を受け入れていたのだと気付かされて、後に残った大人への不満や鬱憤も、結局は晴らしようが無いものだった。


「ここです」


そう言ったのを合図に、どるんと重低音を響かせて、僕の嫌いなスポーツカーが家の前で止まる。家の灯りは消えたまま、街灯すら消えた深夜の空間。ヘッドライトだけがただただ明るい。ドアを開くガチャリという音が、やけに響いて、夜空に溶けていく。


「じゃあ、少年。これで」


道中も、墓参りの時も、お姉さんは偉そうなことも、ダメ人間エピソードも語らなかった。ただただエンジン音とレバーのガチャガチャする音だけが響いていて、時々道案内の声が上がるだけの空間。今の別れ際すら、こんなにもあっさりしている。


「どうも、ありがとうございました」


「いいって、少年」


「あ、お姉さん」


「ん?」


「お姉さんは、年食っただけのダメな大人じゃないと思います」


呼び止めたお姉さんにそう言うと、お姉さんは困ったような顔で笑った。


「君も、年食っただけのダメな大人にはならないよ」


お姉さんが残したのはダメ大人がよくやる無責任な発言だけど、でも、レバーをガチャッとやるお姉さんには不思議と説得力のあるカッコよさがあった。

ドアが閉じ、車は去っていく。スポーツカーの重低音。何故だか僕は、あの車が好きだと思えた。

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