第一章 第一話

 魔法学院行き列車


 車窓から広がる世界は群青に輝く二極のコントラストが綺麗だった。

 空と海どちらも淡いライトブルーが光り輝いている。

 それを一望できるのは、列車が陸地の上に架かった橋に敷かれた線路レールをガタガタと走っているからだ。

 ガタガタというのは耳に残る音。それは背中の触覚にもある体感でまるで荷物になったのかのように揺られ動いている。

 ...列車の駆動音の位置がなぜかよく分からなかった。遠いのか、はたまた近くなのか距離感の掴めない音だった。

 ただ、おそらくそれは車両全体が動いてるからなんだろうなと感じた。

 これからのことは分からない。

 片手を開く。

 手の平の中に片割れた切符握りしめていたようでクシャクシャになっている。

 成り行きでこの列車に乗っていると思うと、焦るような気分になる。

 そしていつの間にか、それについて考えてる内にどうしようもない不安が募ってた。 


 俺はただ迫り、追い越して行く景色をただ呆然として眺めていた。


「なあ、揺られてる!」


 知ってるやつが、ただ知ってる事を言っただけだった。その一言が安心できる理由であった。


「うるさいフラン。田舎者ってバレるぞ」


「そんなこと言っても、なあ?カロン!

 もうちょっとで俺ら学院だぜ!?」


 俺の名前を叫ぶ幼馴染。

 ...ダレン=フランネルと俺は普通の友達じゃない、親友や家族よりも上の関係に思える。それは幼少期から一緒にいるからであることと、二人とも特殊な能力を持ち合わせていたためだ。


「そんな風に寡黙かもくを装っても、魔法学院だよ?」


「...装うってなんだよ」


 通常運転だ。それに比べてフランは食い気味っていうか...興奮してるな。

 いつもと違う景色だからなのか。

 確かにこの海を一望できる列車ってのは悪くないし、これから行ける『魔法を取り扱える学院』という名目の場所も魅力的だ。


「じゃあなんで、カロンは不機嫌なんだよ?」


「そりゃ、列車の匂いに慣れないから」


「え?それだけ?」


 ...それだけじゃない。列車は生まれてこの方乗ったことがない。

 昔住んだ街にも線路は通っていたが、乗ったことは実際なくて、今日初めて使った乗り物だ。

 それに俺は不機嫌じゃない。

 今の自分の顔に興味が出て、横に張られている列車の車窓を見て確認する。

 厚い硝子の窓には白い髪と輪郭の中に、海より濃い色をした目が薄らと映っていた。

 これは普通だ。通常運転だ!

 耳からクスクスと笑うダレンの声が聞こえた。


「カロンのほうが田舎者みたいだよ」


 一寸置いてため息が漏れる。...ため息が俺から漏れたものだと気づくより先に背中を椅子に預けていた。


 景色は過ぎ去る。切り替わって行く景色をボーっと眺めている。

 数分経って少し疲れが舞い込んでいたようだ。

 電車の揺れは長く、永遠に続いてるみたいだから、音が怖かったなんていう錯覚も消え去って、代わりに眠りたいという欲求が舞い込んでいた。

 その欲求にそっぽ向きながら、俺は時刻がどれくらいのものかとポケットから懐中時計を探った。とある男からの貰い物で俺の道を指してくれる羅針盤らしい。


「...まあただのお守り《アミュレット》だけど」


「それ。アッシュさんが?」


「そう。あの怪物もどき」


「相変わらずアタリ強いよね...」


 フランはなぜかこの時だけ大人びてるようで、フラン自身の熱が平常に落ち着くくらいに苦く笑っていた。


学院前


 空が近いのに太陽が見えるくらいに晴れ渡り、天気が良い。そのおかげで寒くはない。あと空気が良い。列車から降りたらそんなことを不意に思った。


「すごいね!」

「ああ。列車で見た時より大きく見える」


 クラウソラス魔法学院。

 崖側に作られた城のような造形。神秘的で重苦しい雰囲気だ。聖域。という文字が当てはまる建物。

 絶崖の下から大きい波打ちが聞こえる。


「ここの院長さんだっけ?すごい人なんだよね」


 

 クラウソラス。絶大な魔力ルーンを保有している。

 そのためか近年だと、教科書に記されている武力の横に『魔力』の項目と彼の名前が付け足されていた。きっともう歴史的偉人でありみたいなものだ。


「革命戦線を一人で守り抜いたっていう人のことか」


 階段の終わり、魔法学院の入口が見える。


「やっぱり映画みたいだな」


「俺もハリーポッ○ー好きだよ!」

「...懐かしい」


 映画は何十年も見ていない。

 フランは微かにクスクスと笑っている。反射的なのか手で顔を隠している。

 女のような華奢な体付きと仕草だ。

 コイツがこんな風に楽しそうにしてるのは、何時ぶりだろうか?


「楽しみだね」

「寮生活?」

「うん!」


 俺達は腕の良い職人が作ったであろう精密な装飾が施された鉄の門を通過した。


魔法学院

 

 エントランスに入るとスーツを着た男がこちらを見ている。よく滑り落ちるのか眼鏡をクイと持ち上げて、満面の笑みで左手を挙げる。


「ええ。ようこそ!生徒の諸君!」


 背の高い男。声は高いせいかよく響く。

 飄々としたものだが、雰囲気は悪くないと思える。

 琥珀色の瞳がガラスのレンズ越しに透けている。

 そしてなんと言っても特徴的なのは髪型だ。オールバックというのか、後ろに丁寧に髪をかきあげている。

 端麗な顔も相まってか洗練された腕利きの執事のようだ。

 ただそれに似つかわしくないくらいに、愛想がいい。

 声のせいだろうか。妙に馴れ馴れしいというか笑えてくる可愛さみたいなものがある。


「申し遅れました。私の名前はヘンゼル=グレイス。 今回は新入生の君達の案内役ということで」


 ヘンゼルは手招きをしている。この人は今日ある入学式の案内役ということになるらしい。

 何列にも敷き詰められそうな広い廊下の中心を何列にもなって向かう。大きな生徒の行列はまるで大きな民主運動の行進のようだった。



「ここから先が入学式の会場、となっております。大丈夫。君達全員入れますよ」

 

 入学会場といわれた部屋の前には中央広場と案内板のようなプレートに彫られていた。

 慣れたようなウインクをしたヘンゼルに続く。

 ウインクの反応は上々なようで、女生徒の声音が次々とドレミの音階を上に昇って行く。

 思ったより反応が良かったためか、少し案内してくれる彼の声がか細くなった。

 先を歩いてエスコートしてくれるヘンゼルが大きくて固そうな扉を両手で開く。

 中央広場は華やかな紅の絨毯と銀の装飾で彩られている。

 そこは貴族がワインと食事を楽しむようなお洒落空間に仕上がっていた。

 中心の天井に白色の燭台を豪華に盛り付けたシャンデリアがぶらん、と浮遊して見下ろしている。

 まるでウェディングドレスみたいに華やかで貴婦人が天井に宙吊りになっているようだ。

 ...本当になってたら、きっと入学式どころじゃないけど。

 窮屈な空間がまた別の意味で窮屈になっていただろう。


(ああ。本当に窮屈な場所だ。酔い潰れそうなくらいに、気持ち悪い)

 たくさんの人。たくさんの経験。たくさんの音。

 今日起こったことを考えて思い返すだけで、グルグルと目が回りそうになる。


(...カロン嫌いだよね。こうゆう場所)


 音が雑踏していた。

 この喧騒が何気ないくらいに慣れればいいんだが。

 赤いグラデーションの絨毯。その華やかさに嫌気が無性にした。

 なぜだかこの式に対する嫌悪が、自身の中の優越に水を差していた。

 生まれながら劣等感を持ってるせいだろうな。多分。

 ...なぜか隣でフランが二度目の苦笑いをこちらに向けている。

 俺が明らかに機嫌が悪いということが、目に見えて分かるらしい。案ずるな。俺も知ってるから。


「大丈夫?」

「ああ。なんとか」


 シャンデリアが照らす紅い部屋の中心の教壇。

 アンティークな造形の教壇は演説するための装置に見えた。


 誰かが中央の教団へ向かっていった。

 紺色の髪がないでいた。夜の訪れを彷彿とされるような落ち着いた色。真夜中に飲み込まれてしまうように、惹かれる色。

 変な話、少し心が安らいだような気がした。


「あの人が院長?」

「ああ。クラウ=ソラス・アンダーソン」


 見た目は三十半ばくらいだな。


「アッシュさんも粋なことしてくれるよねー。入学は俺の奢りだから任せておけって」


「...いや奢りのレベル超えてる」


「綺麗な装飾だあ」

「...」

 

 余計なことは言わないでおくか。フランは少し楽しそうだ。


 フランがアッシュと呼ぶ男。

 対面した時から苦手だった。

 多分彼が何をしてくれようと好感は持てない。

 ただそれは仕方ないことで、俺がラッシュに従っている理由は利害関係として成り立っているからだ。俺はある取引を彼としている。

 その人はこの学院に簡単に接続アクセスできる人間を求めている。

 俺はダレン=フランネルと平穏に学院で過ごしたい。ただそれだけが俺に取引の利益を与えた。

 彼は組織に所属している。その組織からの調査依頼はこの学院に対する『潜入』。

 

 その人材として該当する条件としては二つ

 魔法の才を持ち、子供であるということ。

 要するに学院に簡単に一定期間近づける人間のことだ。


 不幸中の幸いなのか、なければ幸せだったのか俺とフランには魔法の才能があった。

 そして俺がスコーピングされた理由として最も大きいものが、彼曰く『今は首都の警備で大陸各地の保安に関して手薄。猫の手でも借りたい程人材に飢えてる』らしい。

 

 本当は子供に頼みたくないとは言うが、

 あの人が内心気遣ってくれているとは思いたくない。警備が手薄なのはきっと人使いが荒いからだろう。

 フラン以外の誰も信用はしたくない。

 誰の内面など知りたくもない。

 『誰かに』裏切られた時の顔なんて見られたくない。

 その逆の『誰かの』裏切られた顔も見たくもない。

 だから『手を汚すな、というのは手違いだ。殺せ』なんて言われるのはごめんだった。


 もし彼がその一言を発したとして、俺はどうするかということを考えた。

 結果、打ち出した答えは単純で俺は強くなりたい。そう思った。

 自分とフランを守れるくらいに。この成り行きを力に変えたい。


(学院で魔法を身につけ、強くなる)

 俺はそう誓った。


「あ、教壇から足音がする」

「...!」


 思わず声にびっくりして、反射的に声の方向を向く。フランが居た。


「...どしたん?」

「寝てた」


 フランは男にしては細い人差し指を横に曲げて、頰を掻いてる。不思議そうにこちらを見ている。


「なあ。先生の話聞かないと」

「わ」


 フランの肩をわざとらしく叩く。フランは今日何度見たか忘れた苦笑いを浮かべた。


(隠さなくてもいいのに...)


 院長が教壇に着いた。

 入学式が始まるみたいだ。

 

「諸君。初めまして。そして、学園にようこそ」


 落ち着いた声が広間に響き渡る。

 クラウソラスの重い覇気が伝わる。

 徐々に周囲の生徒は静寂に加わり、彼の演説に耳を傾ける姿勢を整える。なぜだか少しだけ監視対象クラウソラスのカリスマ性を間近に感じた気がした。


「じゃあ、入学式最初の授業を始めよう」

 

 俺は痛いくらいに手の平に力を込めていた。

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