静寂を守るもの

天川琥珀

第一章 プロローグ

 学院の地下にその神域が在った。

 朽ち果てた聖堂の跡。

 即ち積まれていた煉瓦が一つ二つと抜け落ち、浮き彫りになっている。それが何箇所か見当たる退廃的世界。


「この廃墟...誰も居ない」


 それは俺が好む条件の一つにあった。

 これから起こる出来事にこの『果てた神域』は耐えられないだろう。つまるところ、荒廃したシジマの世界は崩壊を向かえる。

 しかし誰もが立ち入らない場所など虚無に等しい。なくても当然という意味合い。存在が消えようと誰もが気にも留めない。

 ...俺は自分の世界を守り抜かなければならない。

 石段を歩む。不安定な足場に足の指の力が強く加わる。

 ……此処には目的を遂行するために来た。

 それを実現するには魔力を集める工程、それを加工する工程の二つが必要だ。

 ならばその方法を早急に実行して終わらせる。それらを成し遂げて目的達成となる。

 急がなければならない。崩れた床、積まれたレンガが抜け落ちた壁だったもの。そんな荒れ果てた神殿を突き抜ける。

 抜け落ちた瓦礫に間抜けた石床、注意を払い最速で神域の中心に向かう。刻一刻を争う俺は時間に余裕は無かった。


 コツコツと歩き続ける音が奥行きのある広い神殿に反復。その音を聞き続けること何周目くらいで、神域の中心に落ち着く。この儀式場はやっぱり荒れて、廃れている。


「世界を救えば何か見える?」


 何かを引き換えにしてでも守りたいもの、それが俺の中には在った。


「今だけは一人で成し遂げないと」


 何色もの極彩色が継ぎ接いだガラスはひび割れている。 

 石の床はどこか不安定だ。

 ...そして嫌に懐かしい場所を彷彿とさせる光景だ。

 グルグルと視界が回る。この空間が俺より大きいものであること、この虚空の中心に居ること、それらにどうしようもなく心が痛んだ。

 そんな宵闇の中。夜の肌寒さと空気の匂いが俺の意識をハッキリとさせてくれた。そうだ。一人じゃない。俺はここに立ってる理由。それは皆んなが助けてくれたから。そう、闇夜になびく風が俺に伝えてくれた気がした。


「さっさと一人で成し遂げないとな」


 柔い光が薄ら輝く。宵闇に混じる青と白銀のコントラスト。退廃的空間からは丸くて青い魔力を帯びた月が照らしている。見上げた目を下ろせば、波に月光が反射していた。


「魔力、やっぱりまだ足りないな。月光を利用するか」


 ここ一番の戦いにこの廃墟を利用するだけではどうも力不足だ。

 経典に書いてある『魔術工房一つじゃ成り得ない禁じられた奇跡』に該当する。

 空を仰ぐ。満月の往来はすで途中経過ターニングポイントに差し掛かっている。


「そろそろか」


 おそらく後数分。月が頂点ターニングポイントまで昇るのは、もうすぐ。

...思い返してみれば月を見るのは久しぶりだった。


「綺麗な月」

  

 もうすぐで世界が終わる。だというのに俺は呑気に一人で空を見上げている。一人で見上げていることが初めてということに気づく。後にも最後にも、空を見上げるのはきっとこれっきりだ。そうしたい。


「俺はあの時から何が変わった?」


 手元に残ってるものは終焉の時を止める一つの算段と少なからずもある勝算。

 それは仲間と手に入れたものであり、仲間が命の代償を払ってまでアイツを助けるために紡いできた算段だ。

 それら二つをひっくるめて、これが最後の希望じゃなきゃ、なんであろうか。


「できないな。失敗は」



...たった一つの勝算それは"召喚魔法"。

ここ一番でデカいのを一つ呼び出して、相手と純粋な力で挑む。

 俺じゃ勝てない敵なので、自分のキャリーをオーバーできるほどの魔力が、必然的に要ることになる。


「つまり」


 月を待つ時間。それは所要時間。

 月光の魔力を利用して悪魔を呼び出す。あの魔力は実に不可解で、不可能と言われる大魔法...召喚禁呪さえも可能にする。

 召喚禁呪とは、とある経典に基づけば『血と膨大な魔力を触媒にして実現させる禁呪』と記されいてる。

 瞬間は目と鼻の先にある。儀式の準備を急ぐ。

 束の間に訪れる一瞬、その猶予までにチョークで石畳に魔法陣を書き込む。幸い中心の損傷は軽度なもので、修理リペアを使えば傷ついた石畳の修理は造作もなかった。


「考えてる暇はない。急がないと」


 例え、この小波の音が続くのは無限に思えたとしても、時間は有限である。あいつ一人の世界を巻き込んだ自殺、世界の改変に巻き込まれる訳に行かない。

 神域に引く境界線。俺はあいつのせいで世界が壊れ行くことには納得できない。認めるつもりもない。

 それが例え、人間に禁忌の魔法使いと恐れられる未来が存在したとしてもだ。


「そろそろ」


 月が最も近づいて学院の全てを照らす時、月光に俺の悪行を晒す時、最も魔力が満ちる時、それが事の始まり。

 まさか、この切り札をこんなことに使うことになるなんて思わなかったが、生を受けた日から培った全てを持って、


「終わらせる」


 懐に忍ばせたナイフで腕を切る。朱い。

 痛みによる躊躇いをかき消すほどの決意を信じている。

 召喚魔法。礎を築くために血の触媒を石の祭壇に流した。血は一つの代償。

 片膝をつく。魔力の圧力に負けそうになる。

 空気が変わる。血が滲み、赤く変色していく。

 恐ろしいほどに赤い海。白昼とは似つかない焼けた匂いの空。赤黒い魔力の塊が渦巻いている。魔法陣の中心に親指くらいの大きさの血の塊。目を凝らさなければ見えない。

 しかし目を凝らすほどの余裕はない。豪風のせいだ。

 中心の魔法陣を軸に豪風が世界を蝕んでいる。概念を作り替えている。この世界の侵食は始まっている。

 俺を含め、このシジマに在る、いくらかを持っていけばいい。それが俺の渡す代償だ。


「禍々しい...力が溢れている」


 最早、何者にも飲み込まれることのない台風は完成した。

 ただ豪風は、その災害はその場で運動を自転を続けている、その巨大な渦の内にいつのまにか落雷が呼び寄せられていた。


「くっ...天気悪すぎ」


 振り返ることができない。後がない。

 次の段階として続行しなければならない。逃げられない。

 だから、両手でナイフを石畳に刺す。魔法陣の中心に亀裂と閃光が奔る。驚くほど簡単に魔法陣の中心に刃が刺さる。禁呪が現実に進行、侵食されていることがわかる。


「これが禁呪...!?」


 召喚禁呪。

 魔法陣を伝って石段の構成をも変質させる。ありとあらゆる物質を自分の思い通りにする。

 それが召喚禁呪。ナイフを伝って魔力を上昇させる。

 魔力を集める禍々しい装置が完成した、魔法陣から離れる。


「くっ...」


 すごい速度で魔力が集まる。とうに自身のキャパシティを超えている。

 見たこともない異質イレギュラーな光景。神経のような赤黒い管が学院全体を侵食する。根を張るように、養分を吸うように、

 蜘蛛の糸に集まる骸の群れのように。血管は黒く染まっていた。


「ここまできて、終わらせる筈がない」


 遠雷が響き渡る。風が強い。

 刺したナイフのおかげで月から貯蔵している魔力は魔法陣の上にある球体の血溜まりに運ばれていく。それはいつの間にか視認できるほどに大きくなる。


「来い!悪魔!」


 空間に鳴上一筋と、その轟音。

 世界に一瞬の断線ラグ。世界が禁呪による呼び出しを拒絶する。その亀裂が脳裏に落雷を呼び出したかのようにショートさせる。...ただ落ちた落雷は台風の外でもなく、俺の頭蓋にでもなく、魔法陣に落ちていることに気付いた。


「成功したか...?」


 黒い煙が広がる。焦燥感と期待が反芻している。

 

「......?」


 しかし、どうしてか、


「え?」


 膨大な原理を用いて現れたのは、


 とぼけたようにそこに立つのは、


 少女のような悪魔だった。

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