【その時風が吹いた】
【その時風が吹いた】
一昨日の撮影は1発OKだったらしく、午前中で終了して12台のトラックがそれぞれの気球を回収しにコロラド川上流の着陸地点まで向かっていき、残された1機でタレントのお嬢ちゃんが操縦の手ほどきを年季の入った気球乗りの指導係【レーガン爺さん】から受けていた。
ポーラは昼食のあとに空上訓練のために、爺さんの操縦で空へ飛び立っていった。
そのあとを追う迎えのトラックに便乗しながらハーマンとイーロンは数十メートル上空からでも聞こえる
「スゴーい!きれーい!!楽し〜!!!………」
という黄色を通り越して金色の声に、思わずにやけてしまった。
「あの娘は【龍人】にならなくて幸せだったのかもな」
そう呟いたハーマンに完全に元の無口に戻ったイーロンは同意の目を向けただけだった。
そのまま現場まで戻り、ホテルまで戻って1日目は終わった。
そして昨日はスケジュール通り[ポーラ]とかいうタレントの飛行訓練で午前1回午後2回づつの計3回、現場と着陸地点の往復をして終わった。
さて今日も昨日と同じスケジュールで何事もなく終わるはず。
だった…………
横向きのままバーナーの炎で温められた空気を孕んで十分に膨張した気球は、球皮のトップに繋がっているクラウンロープを緩められ垂直に立ち上がった。
その時突風が吹いた。
気球を抑えるクラウンロープを掴んでいたクルー2人が引きずられて崖の手前で手を離す。
ポーラと指導員の爺さんを乗せたバスケットは体勢を崩して一度横向きに倒れて反対側を向くとそのまま今度は気球に引きずられるように持ち上げられて崖の向こうへと落ちた。
火力そのままのバーナーに熱せられて気球はゆっくりと上昇し始めた。
崖の下から見えてきたバスケットの中でリジット(支柱棒)につかまり立ち、リップラインを右手で持ち高度計を確認する人影があった。
そしてその人影へ向かって崖っぷちから声をかけた人物がいた。
「オ〜イ!お嬢ちゃん!一人で大丈夫か〜?!」
バスケットに乗っているはずの 指導ジジイ・レーガンその人だった。
「オッケー!!!大丈夫!先に行ってるねー❤️」
「お〜う!お嬢ちゃんなら一人で大丈夫だ〜!頑張れや〜〜〜!!!」
「あり…トゥ…………」
もう一度突風が吹いて、ポーラの明るくて元気な声がかき消されてしまった。
突然の突風で赤い砂埃が立った。ゴーグル越しにもかかわらずハーマンは思わず目を覆った。
背後が騒がしい。何かあったのかとイーロンと共に振り返ると一機の熱気球が強風にあおられて崖から離れて行くところだった。バスケットと呼ばれる搭乗カゴが崖下にずり落ちて直ぐにスーッと上昇してきた。どうやら、あのお嬢ちゃんが一人で操っているらしい。「大したもんだ。」
そう呟くとイーロンもグンと頷いた。
一度は【龍人】になりかけた人間は、やはり普通の人とは何か違うのだろう。実際のところあの小憎らしい婆さんならともかく、こんな若い娘を研究所の施設に連れて行くのは、今年5歳になる娘を持つ親の身としては任務とはいえ気が引けていたのも事実だ。
実は昨夜ホテルのレストランで一緒になった。私服に着替えてバレないだろうと油断していた。
「わー!あの変なサングラスしてないと二人ともカッコイイね❤️あっveganなんだーすごーい!そっちも美味しそお〜!ゴメンねー私今日はチキンなんだー!じゃあねー」
屈託のない明るい笑顔に思わず片手を上げ、微笑み返してしまう自分がいた。
それにさっきも
「オハヨー!これあげる!」
と日本のグリーンティーのキンキンに冷えたペットボトルを2本それぞれに持って来てくれた。
あの人懐っこい笑顔と無邪気なハイテンションには誰であろうと心を惹かれるものがある。
可愛いものは可愛いのだ。
あまりの事に呆然と見送っていた敏腕マネージャーは後ろ頭を自分でスパーンとひっぱたいて正気に戻ると、指導ジジイ・レーガンの元に駆け寄って尋ねた
「ポーラは!気球は大丈夫でしょうね!?!」
気流を掴み、すでに声が届かないほど離れてしまった気球に向かって、擦りむいた肘から伝った血を滴らせながら手を振ってムックリと起き上がった老人は今度は敏腕マネージャーに向かってグッと親指を立てて突き出した。
「大丈夫。お嬢ちゃんは飲み込みが早い。その辺の小僧共よりよっぽど上手い。何より[風]に好かれとる。」
「…[風]にですか。」
「おおとも!熱気球で操縦っつても出来る事は高度の上げ下げだけだ。そして行きたい方向の気流をいかにうまく掴むか、早め早めの決断の連続なんじゃ。ところが、あのお嬢ちゃんは「アッ!間違えちゃった〜!」ととんでもない操作をするのだが、その度に[風]がそれに合わせたように吹くんじゃ。なあに、一人で着陸地点まで行けるだろう。」
「燃料は!ガスは足りますか?!」
「シリンダー4本満タンじゃ。全開でも2時間は余裕だ、風次第で3往復は出来るぞ。だが…」
「だが、なんですか!?」
「まだ[着陸]を教えておらん。今日教える予定だったからな」
「なっ…それで!大丈夫なんですか!?!」
「もう何回か経験しとるし、バスケットが籐製なのは、ぶつかった時の衝撃を吸収する為だからな。大丈夫、落ち着いてやりゃあできる。まあ、よっぽど変なこけ方をしてうっかりバーナーが熱いうちに触れば大火傷じゃすまないが……」
「……うっかり……ポーラ…」
マネージャーは走馬灯を見る気がした…
(…なんだと!?着陸できるかどうかわからないだと!!!)
「オイ、イーロン、聞いたか?」
「OK、車を回す」
「話が早くて助かる。」
大学のアメフトチームではハーマンがOG(オフェンスガード)イーロンがDE(ディフェンスエンド)とそれぞれ体のデカさとパワーには自信があるポジションだった(決して女性にモテるポジションではなかったが…)。更に軍隊と今の組織に鍛えられた二人だ。人間1人乗った40インチ四方のカゴくらい地面に激突する前にキャッチしてみせる。
「さあ、ナイトの出番だ!」
黒いシボレーサバーバンのドアをズンと閉めると、運転席のイーロンは頷いてみせた。
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