【ロサンゼルス国際空港】

【ロサンゼルス国際空港】


ボーイング777-300ERのファーストクラスはグレージュの落ち着いた内装と茶色の本革シートでハマの大きさなら3人は行けそうな飛行機内とは思えないほど広々とした空間だった。若い時から海外旅行が趣味だったので、ビジネスクラスは何度か利用したことがあった。

ビジネスクラスでも身長130㎝の小さな体には相当ゆったりとした感じがあったが、食べきれないほどのおいしい高級和食に舌鼓を打った夕食後に、やや年配のCAさんが『横になりますか』と言うのでお願いしたところ、なんと『JAL SUITE』なるこの席はフルフラットのベッドになってしまった!さらにそこに『タツミーホーム』でも使われている『エアウィーヴ』まで敷かれてその寝心地のいいこと。用意してあった若干大き目の寝間着に着替えると、窓際の席という事もあり、完全に個室で丁重なお世話付きなので、最後の方は逆に希少動物の飼育小屋に居るようなちょっとした居心地の悪さを感じてしまった

(まあ、【龍】や【龍人】なんて珍しいことには違いない。もったいないけど、今度はせめてビジネスにしてもらおう)

そんなことを考えながら眠りについた。


 目まぐるしく人生が変わってしまった一日のせいか、到着1時間前に起こされるまで夢も見なかった。朝食はパンと決めているので洋食メニューで『エビのなんちゃら』とサラダをいただき、桃のデザートまで平らげると、コーヒーにミルクと砂糖をたっぷりとブランデーを少し入れてもらった。窓を開けるとすでに明るい青空に白い雲。そういえば相棒の『白い羽付き子猫』はやけにおとなしい。全部夢だったのだろうかと心配になって隣にちょこんと座っている猫のぬいぐるみに話しかけてみた。

「おはよう。タマ」

返事がない。持ち上げて目の前に掲げてもう一度声をかける

「起きなさい、もうじき着くわよ。タマ。あんたがいなきゃこの先どうすればいいいのかわからないんだからね」

 

空港まで送ってくれた【山田きみこ】が空港の入り口前で車を止めて手短にこれからの事を伝えてくれたのだ。

「私はここまでです。向こうの空港に着いたら【タマちゃん】がお迎えの方を見つけてくれます。ちょっと変わった方なので、どんな格好で来るのかは見当が付きませんが、とにかく【タマちゃん】を信じてついて行ってください。それではまたお会いできるのを楽しみにしています。あっ、あとこれもでした」

そういって手渡された封筒には100ドル札が1cmほどの厚さで詰まっていた。驚いたハマにウインクするとハマを車から降ろして来た時と同じスピードで走り去っていったのだった。


とにかく【タマ】に起きてもらわなければ。どうしよう。電池が切れたのかしら。それじゃあとぬいぐるみのお腹のマジックテープを開けてスイッチをOFFにして、単三電池2本を取り出すと、おトキさんに教わった通りに電池本体を捻ってプラス側のふたを開けた。中に入っていたはずの『血』はてっきりドロッと固まっているかと思いきや、サラサラっとした赤い砂が爪の垢ほど出ただけで、すぐに空っぽになった。さて、ここに新しい血を入れなくてはならないが、機内のアメニティーセットにも剃刀などの刃物は当然入っているはずもなく、自分の緑色のポシェットを探ってみたが安全ピンの一つでも入っていておかしくないのに、こういう時に限って何もない。しょうがない。ハマの自慢の一つは80歳を過ぎても自分の歯が20本残っていることである。この犬歯で子供のころはよく爪を噛み切っていたっけ。よし。小指の先を上下の犬歯で挟んで噛み切ろうとグッと力を入れようとした時に頭の中にあの鈴のような声が聞こえた。

))ハマ、何してるの?((

「!? タマ、今どこにいるの?」

))どこって、ハマの中((

「いつから?全然わからなかったわよ、この前みたいに馬鹿力も湧かなかったし」

))この飛行機っていうのが、『気流』を切り裂いてできた『乱気流』ですごく具合が悪くなっちゃったから、すぐにハマの中でじっとしてたの((

「まあ、あんた【龍】のくせに飛行機酔いしてたの!?」

))だから、まだぬいぐるみの中には戻さないでね((

「はいはい、わかりました。『電池交換』は向こうについてからやります。あと少しの辛抱だから、もう少し休んでなさい」

))はーい((

じゃあ、私も少し休みますか。座ったまま目を閉じて、鼻呼吸でゆっくりと深呼吸をして頭の中を空っぽにすると、シンとした頭の中で確かに))クウクウ((というタマの寝息が聞こえた。

 

JAL62便は出発こそ40分遅れたが、到着は30分遅れの11時45分、何事もなくトムブラッドレー国際ターミナルに到着した。

若いCAさんに起こされたが、つかの間の睡眠が頭を冴えさせた。まずはタマに活動してもらわなければならないので、ぬいぐるみの電池に充電(充血?)することが最優先。

到着ゲートからやっとのことでターミナル5階に着き、続いて3階直通エスカレーターで入国審査へ向かう。3階の中程にトイレを見つけてぬいぐるみを抱えて個室に駆け込んだ。

ぬいぐるみのお腹から電池を取り出して蓋をあける。さて採血。きみこさんにもらったピン札に左手薬指の指先をあてて勢いよく引いてみる。全く歯が立たない。【龍人】になると強くなるのは筋力だけではなさそうだ。何かないかともう一度ポシェットの中をのぞいた視線の先のトイレットペーパーに、なんと注射器の針が刺さっている。さすがUSA!

抜き取ってみると使えそうだ。新品のようにきれいだが、一応水洗いして個室に戻る。指先に針を立てるが、びくともしない。ぐりぐり錐揉みしてもダメで、しまいにはポキリと折れてしまった。しょうがない。その自慢の犬歯で指の先5㎜をギチリと噛み切った。鉾の勝ち。血がしたたり落ちるところを上手に電池に貯めることができた。単三電池2本丁度で、ピタッと出血は止まり、電池を入れなおしてスイッチをONにした時にはすでに傷もふさがっていた。なにより、全く痛みがないのが不思議だった。

手を洗い、トイレを出ると、すでに自動入国審査端末機APC KIOSK の前にはあとから出てきたエコノミー客でごった返し始めていた。一番手前に並ぶとハマの後ろにはツアー客らしき若い日本人の女の子たち5人組が並んだ。

((ハマ、すごいならんでるね))

タマは飛行機酔いから完全に復活して元気にぬいぐるみの声で喋り始めた

「そうね、お迎えの人待たせちゃうわね、タマ」

ハマも周りの目など忘れて、すっかり普通に話をしていた。すると

「キャー!可愛いっ!」

「なにそれ?!喋った!」

「その子、今流行りの『ロペッツ』ですよね?」

「飛行機に乗せてる人初めて見た。」

「おばあちゃんお一人ですか?」

矢継ぎ早にどれも同じに見える若い顔が海外旅行の興奮の入り混じったハイテンションな声で話しかけてきた。

 15分ほどその若い娘さんたちと話をしているうちに、すっかり身についていた教師気質が出てきてしまって一講義ぶってしまっていた

「・・という風に、必要最低限だけをなくしても惜しくない財布に現金で入れておいて、基本はそこから使う事。まとまったお金とカード類は絶対に肌身離さずに、昔は腹に巻いた晒の中に入れておいたものよ」

などと言っているうちにハマの番が来た。ハマの身長ではちょっと見づらいせいもあって、躊躇していると

「一番最初に言語選択で日本語を選んでください」

とすぐさま助け船が。負うた子に教えられて浅瀬を渡るとはこのことだ。

後は順番に選択していって、右手・左手の指紋照会・顔写真撮られて完了、出てきたレシートを持って振り返り「おおきに」と頭を下げるとつられて5人とも頭を下げた。

見かけによらず素直ないい子たちだ。

そのまま直通エスカレーターで一階へ。

手荷物受取はないので、そのまま税関へ向かうと、なんてことでしょう。先ほどとは比べ物にならない程の大行列が目の前に広がっている。さすがは 世界で最もムカつく空港で第二位に選ばれるだけのことはある。こんなにお客様が待っているのに、税関職員はたったの二人。しかもガムを噛んでいる。日本では考えられないことだ。

とりあえず、左の黒人の係員の方の列に並ぶ。これまでの経験上、自由と平等の国アメリカにも人種差別は根深く残っているのを知っている。並んでいる客の割合も実際白人と有色人種の割合が係員と同系色寄りになっているのはきっと皆それぞれ同じ嫌な経験があるせいだろう。

パスポートにさっきのレシートを挟んで準備万端整えて出口の方を見ようとするが、人の波に完全に埋もれてどうにもならない。こんな時は【タマ】の出番だ。腕を目いっぱい伸ばし、真っ白な猫のぬいぐるみを高く持ち上げる。

「タマ、迎えの人は見える?」

))むかえのひとは・・・ハマ、降ろして!((

直接脳に声が響く

「どうしたの?」

))いいから、はやく!!!((

ギュッと握りしめすぎて苦しくなったのだろうか、いやぬいぐるみの体でそんな筈はないと、慌てて自分の目の前にタマの目がくるように持ち替えた。

))あいつらがいる!((

「あいつらって?」

))ポーラにあいにいったときに、ぼくたちをさらおうとしたやつら!((

そんな馬鹿な。恐る恐る身を横にずらして覗こうとしたその時

「見ーっつけた!」

両肩にポンと手を置かれて文字通り飛び上がりそうになった。

「先生、また会いましたね」

はじめは『おばあちゃん』だったのがいつの間にか『先生』に格上げされていた。

「『タマちゃん』が見えたからすぐにわかっちゃいましたよ」

「あら、あなたたち、早かったのね」

「そりゃあ、『現代っ子』ですから」

「『現代っ子』って自分から言う?」

「先生はだれかお迎えに来てるんですか?」

「そのはずなんだけど、タマが言うにはまだ来てないみたい」

((ねえ、おねえさんたち、まっくろいふくをきたおおきながいじんのふたりぐみはいる?))

「タマちゃんちょっと待ってね見てみる。いるいる!映画に出てくるボディーガードみたいなのが!」

「あら、本当?その人たち、変なサングラスしてない?」

「先生、知ってる人ですか?サングラスっていうか、でっかい真っ黒なゴーグルみたいのかぶってますよ!しかもなんかピコピコ光ってるし!スゴッ!!」

))ハマ、どうしよう?((

「ねえ、あななたち、悪いんだけどちょっと隠してくれない」

「OK!じゃあ、先生は私の後ろに入ってくださいね、税関でも出来るだけ囲ってあげます」

「わーなんかスパイ映画見たい!」

「何だったらスーツケースに入っちゃいます?私のお土産用にほとんど空なんで」

「いくらなんでもそれは無理でしょ!」

「先生、いっそのこと私たちと同じホテルに泊まります?」

「私たちのスーツケースでバッチリ壁作りますんで」

「あっ、こっち向いた!先生、しゃがんで!」

明らかに楽しそうな5人組に紛れて、なんとか税関をパスした。


さて、問題はこれから。

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