【マリー】

【マリー】


グランドキャニオンの広大な背景をバックに、秋物の新作の朝の撮影が一段落し夕日待ちでスタッフは各々それぞれに振り分けられているキャンピングカーに引き上げてしまって、人気のハーフモデルのマリーはマネージャーの(ばあや)と二人きりで崖の端のパラソルの立てられたディレクターズチェアに腰を掛け、冷たいハーブティーで体温を下げていた。

「ねえ、ばあや、見て、子犬!」と指差すマリーに、

「その手は食いませんよ、私が高いところ苦手なのを知っててすぐそうやって崖の下を見せようとするんだから!」

「本当だって、柵のところに子犬がいるの、あの水溜りのところ・・・」

指さしたのは崖の手前の小さな湧き水の側だった。

「はいはい、私は先にもどって事務所に連絡いれてますから、日差しが強くなる前にもどってくださいね、あなたはすぐ鼻の頭が赤くなっちゃうんだから。」

そういうと丸みをおびすぎた感のある黒スーツ姿の(ばあや)は車に向かって行ってしまった。

「誰のワンちゃんかなぁ?」

「奇麗な湧き水、キラキラしてる。のどが乾いてるのかなぁ?」

「チビ、クロ、【チビクロ】!」

「豆芝なのかなぁ?」

「撮影用かなぁ、あの羽根どうやってつけてるんだろう?本物みたい、カワイイ!」

「あっ危ない!そっちは崖だよ、行っちゃダメ!!!」

急に走り出した子犬を慌てて追いかけるマリー。

真っ黒い子犬の目鼻の先には青い小さな蝶がひらひらと風にのって流れていく。

朽ちかけた雑な作りの柵をかがんでくぐり抜けようとしたが、撮影用の大きな牛の骨で作られた髪留めで束ねた髪がひっかっかって首の後ろ、うなじの辺りをとがった木の先で引っ掻いてしまった。

痛かったけど【チビクロ】が落ちちゃう!と両手を思いっきり伸ばした。

あっと思った瞬間に、黒い子犬とネイティブ柄のヒラヒラとしたオフホワイトのワンピースに包まれた色白で華奢な体が宙に舞っていた。

(落ちる!!!)

絶叫系ジェットコースターのように内臓ごと 急降下したと思ったら体をふわっと持ち上げられる感覚がして数秒後にドンと地面にぶつかった。

「・・・あいたたた」

目を開けたマリーはパッと立ち上がると長い手足を見た。

(よし、怪我はないみたい。)

と風が吹いた。首の後ろにヒヤッとした感じがして触った指先にぬるっとしたものがついた。思い出した、あのときに引っ掻いたところだ。

「やば~い!血が付いたらこの衣装、また買い取りになっちゃう・・・」

見た目の華奢な感じとは違って、怪我して結構な出血していることは大して気にならない様子で、しきりに衣装の事とばあやに怒られることを心配している。


 それはこんな幼少期の経験から来ているのだった。


小学生の頃は白人のような見た目のせいで男子にからかわれることが多かった。はじめは無視していたが、一人の体の大きな、クラスのリーダー的な男子が、日本人のお母さんのことまで言い出したとき、ついに切れた。

最初のパンチで鼻血をだした相手はすでに戦意喪失だったが、かまわなかった、殴って殴って殴って、手が痛くなると蹴って蹴って蹴りまくった。そのあとはお互いに泣きまくったことだけは覚えているが 、あとはどうしたのかよくわからない。

 母親に隠れて睨み付けている絆創膏だらけの男子に、大きな体を小さく丸めてたどたどしいい日本語で謝っているパパがあんんまりにも悲しくて涙が止まらなかった。

中学にはいると見た目の可愛さとバスケット部では長身を生かして主力選手だったこともあり、他のクラスの男子や下級生の女子からは人気が高かった

その一方で相変わらず、生まれの事でからかってくる馬鹿な男子をコテンパンにしてしまうことが何度かあったが、思春期の男子はさすがに親にいいつけるようなことはなかった。 ただ陰では男女問わず【スケ番】と陰口をたたかれた。  


だから、このくらいの傷はなんともない。マリーがタレントとしてバラエティー番組でお笑い芸人がケツバットや鼻ザリガニ・その他色々痛そうなことをやらされるVTRを見せられてキャーとかワーとか言ってみせるのはあくまでもお仕事上の演出、キャラ作りだ。 あの程度私ならどうってことはない。


さてと、どうしたものか。夕日に照らされた断崖は1200mはある。スマホはない。とりあえず叫んでみるか

「助けてーっ!、ばあやーっ!落ちたーっ!」

少しでも届くように両手を口の前でメガホンにして力いっぱい叫ぶ。

「「「おちたーおちたーおちた~・・・」」」

雄大な紅い渓谷に間抜けなセリフが木霊する。

無理か。気づいて捜しに来てくれるまでどれくらいかかるだろうか。

「スマホがあればなぁ!あっそういえば、あのチビクロは?」

))『スマホ』ってなに?((

首筋を舐められたと思った瞬間、耳のすぐ横可愛い声が聞こえた。

振り向いた目の前に黒い豆芝が同じく黒い羽をファサファサさせて浮かんでいた。

「よかった、あんた飛べたのね!?」

ギュッと抱きしめるとたずねた。

「ねえ、上まで戻れる?」

))それはムリ、だってぼくはコンナニちっちゃいんだから!((

全長五〇センチにも満たない子犬(羽根付き)は、不服そうにぷいっと横を向いた。

「確かに。じゃあこれからどうしよっか?【チビクロ】?なに怒ってるの?」

))【チビクロ】って・・・((

「えっ?!いやだった!?じゃあなんにしようか?」

))モウかえらんないからいい((

「あっそうなの?なんかごめんね。でどうする?」

切り替えの早い相棒にため息交じりで一声

))あれ。((

と【チビクロ】が前足で指した方に、革でできた上下の服を着た小さな男の子がこっちこっちというように手招きをしていた。

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