【有翼堂書店】

【有翼堂書店】


時計など小さな商品の為に豪華絢爛な装飾を施した銀座和光本店のショウウインドウの前には、折角の飾りつけに背を向けて立つ待ち合わせの人々や観光客の外人グループでごった返していた。銀座四丁目交差点のランドマークでもある曲面の美しい建物の中央上部にあるSEIKOの時計台は真下からでは残念ながらよく見えない。隣の銀座木村屋を通り過ぎるときに、客の出入りで開いた自動ドアから、店内に不釣り合いな藍染の暖簾の下に並べられた『酒種あんぱん』の独特な甘い香りに誘われてつぶやいた

「おトキさんと院長先生に帰りに買って帰りましょう」

((僕のも))

「はいはい」

山野楽器店、ミキモト真珠店の先に目指す書店のビルはあった。表通りの入り口には張り紙で『本日発売の[ポーラズキッチン]売り場はあちらの入り口から↑』と松屋通りの大きな入り口の方を指している。元々はキリスト教関係の専門書や洋書を多く取り扱う老舗で、一般書はもちろんのこと絵本・児童書専門フロアーやカフェなどもフロアー分けされていて、最上階の9階には各種講演会、展示会、立食パーティー、研修、セミナー、その他イベントなど様々な用途で使える100名程度収容できる、小さな貸しホールになっている。そのホールでの本日の催し物の案内がビルの一階メイン入り口にある直径180cmの銀座で一番古い回転ドアの4枚の扉の表裏全てに、人気ハーフタレントの【ポーラ】が真っ白いシャツにローラアシュレイの淡いブルーの上品なエプロンを身に着けブロンズ髪を緩くまとめた満面の笑顔で巨大な檜のまな板に頬杖をついている『Pola.s kitchen』のポスターが、人の出入りと共にくるくると笑いかけてくる。その扉の前、中央平面掲示板に大きなポスターが貼り出されていた。


『Pola.s kitchen』本日発売記念・キッチントークショー・サイン会

・キッチントークショー/13時~14時/事前予約制/限定50名/『満席』

 ・サイン会/14時~15時/13時より当日入場券配布/限定100名/『終了』


ハマは腕時計に目をやった『14時5分前』

「あららら、どうしましょう。サイン会場でお話しできるかと思ってたんだけど」

((行ってみれば?))

一階のエレベーターホール前にはさらに目立つ立て看板があった。


『サイン会会場は9階ですが本日は直通できません。6階より階段にお並びいただきます』


「とりあえず6階までは使っていいってことよね」

定員7名の歴史を感じさせる四角いプラスチックの押しボタンの[6]を押そうとしたら脇から小さな手が伸びてきて先に押されてしまった。その小さな女の子は5歳くらいだろうか、白いワンピースに淡い水色の花柄のエプロンを着ている。あのポスター・・・

((ポーラに会いに来たの?))

おもむろに話しかける猫のぬいぐるみに目を真ん丸にした女の子は直ぐに満面の笑顔になり

「かわいいっ!!!」

身長130㎝のハマがお腹と胸の間に抱えたそのぬいぐるみは少女の顔とちょうど同じ高さにあった。

「そうなの!ポーラにあえるの!ねこちゃんもあいにきたの?」

「こんにちわ、お嬢ちゃん。びっくりさせてごめんね、この子は【タマ】勝手におしゃべりしちゃって困るのよ」

「タマ、こんにちわ。あたしのなまえはユナです、5さいです」

((こんにちわ、ユナ。僕の名前はタマ、5時間です))

「5じかんってどういうこと?」

「ああ、それはね、この子は、今日の朝、【電池】を入れたばっかりだから。でもまだ使い方がよくわからなくて。それよりユナちゃんは幼稚園?」

「そうなんですよ、この子はずっと前からポーラが大好きで、この本も読めもしないのに欲しがって予約してたんですが、どうしてもポーラに会いたいっていうもので、今日はお休みして連れてきたんです」若くてきれいなお母さんだ。

((いいなぁ、僕たちポーラに会えないんだ。【セイリケン】がないからだめなんだって))

「じゃあ、これあげる!」ユナちゃんは元気よく小さなピンクの手にぎゅっと握りしめていた整理券をハマに差し出した。

「ユナちゃんいいの!?ユナちゃんが会えなくなっちゃうんじゃない?」

返そうとするハマに若いお母さんは手を振ってバッグからもう一枚取り出して見せた

「いいんです。本当は、わたしはこの子の付き添いなので二人で一枚でいいんですけど、この子が自分のも欲しいっていうもんだから、係の人がくれたんです。それに番号」

ハマが見ると『サイン会入場整理券№154』と書いてある。

「100名じゃなかったの?」

「そうなんです。私たちも早くに来たんですが、昨日から並んでいた熱烈なファンの方もいたりして、結局250名に増えたそうなんです。だから『かなり待ちますよ』と係の人が言ってました。幸いここの6階には絵本専用フロアもあるので、ユナも待てると思います」

時代物のエレベーターはゆっくりと6階に到着して厳かにドアが開いた。

「ありがとう、ユナちゃん、またね」

「バイバイ、タマちゃん!」

((バイバイ!ユナちゃん、ありがとうっ!))

ピョンピョン元気よく飛び上がりながら手を振る少女に負けじと猫のぬいぐるみが両手を大きく振り返した。

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