子猫

【子猫】


快晴の早朝はまだ少し風が涼しく、術後の保護眼鏡越しでも空は眩しいほど青い。

さすがに名医と呼ばれるだけのことはある。白内障のレンズも最新の【超多焦点ハイブリッドタイプ】だそうで遠中近全く問題なし。半世紀ぶりに裸眼での生活。

もういちいちメガネを探すことも、それが頭の上で見つかることもない。快適。

「さあ、今日こそあのすばしっこい子ネコちゃんを見つけるわよ」



「タツミーホーム」は基本的にペットは自由。一人で面倒が見れなければ何名かで飼うこともできる。「巽先進医療総合病院」には家族であるペットと安心して暮らせるように「獣医科」まであるのだ。さらに「タツミーランド」のそばの神宮寺にはペットと入れる墓地まであり、黒御影石の柴犬や、大理石が大小並ぶものから、故人の石像が膝の上に猫をのせているようなものなど様々な墓石がまるで彫刻の美術館のように一面の芝生に点在していて、ちょっとした撮影スポットになっている。


今日は、仕事ではないのでお気に入りの春物の白の帽子に若草色のカーディガン。グリーンの小さなポシェットにはハンカチ、チリ紙、小銭入れ、お財布、携帯電話、飴ちゃん、目薬などこまごまとしたもののほかに管理事務所でもらったばかりの【飼育許可申請書】が折り畳まれてある。それから挨拶がわりのチャオチュール。


おトキさんが乗る最新型の電動車いすの握りやすいハンドルを杖代わりに手を添えて長いスロープを逸る心と共にジグザグに下ってゆく。

街路樹は海風を防ぐ松の並木道。暗くならぬように植木屋さん達が枝打ちをこまめにしているおかげで、少し先の波が木々の間にチラチラと輝いている。

アスファルトに白く書かれた標識の左右に分かれたカーブに沿うようにしてその猫は寝ていた。

「あら?鳩でも捕まえたのかしら?」

そう、このタツミーランドで余生を過ごすうちに、連れ合いを亡くした者同士が籍を入れない形だけの夫婦として、老老結婚式が華々しく執り行われる【タツミーパレス】があり、鐘の音が鳴り響く中、【タツミーズー】から駆り出された幸せの白い鳩たちが紙吹雪と共に島風に澄み渡った青空に放たれる。

白い塊にさらに白い羽が大きく一回、開いて閉じた。まあ、野良猫だって生きるのに精いっぱいだから。結婚式場で放たれる白い鳩の一羽でも捕まえたんだろう。

「タマ!」

初めて名前を呼んでみる。すると自分のことだと分かったかのようにこちらを振り向き、小さな身体を弓のように反らせながら大きく伸びをしたが背中の白い羽も一緒に広がった。と同時にコロコロと鈴のなるような声が聞こえた


))オハヨウサン((


「タマ?!おトキさん、聞いた?この子喋れるし、羽根がある!?」

昔から小鳥が好きで、桜文鳥やセキセイインコをよく飼っていた。

「…インコが歌を覚えるくらいだもの、猫だってこれくらいできるわよね。TVで【ごはん・うまいにゃあ・ばかやろう】なんて喋るのもいたし。」

なんて混乱したまま浮かれて口にした


))そうなの?おもしろいね♪((


またあのコロコロと鈴のような声がした。

「?!やっぱり喋れるのね、タマ!おトキさん、私、絶対に、この猫、飼うわ!」

逃げやしないかとじっと【タマ】と目を合わせたままなぜかひそひそ声でそう言ったハマを面白そうに見つめているおトキさんは、いつの間にか電動車椅子から離れて、しっかりとした足取りで近づくとハマのすぐ真横に立って言った

「ハマちゃん。内緒にしてたことがあるの…」

すぐ耳元で言われて驚いて振り返るといつもより高い位置におトキさんの目があった。

「えっ、おトキさん、歩けたの?!」

「それもそうなんだけど、本当の秘密はその子の事なの。実はね、その子、猫じゃないの。」

ハマはこの前みたいに目を離した隙に消えてやしないかと慌てて振り返ったが、すでにそこには姿はない。慌てて身をかがめて草むらの陰に居やしないかと探し始めた。


))ハマ~♪((


ハマの頭上から鈴の声。そうか、木に登ったんだと思い身を起こすと、キラキラと不思議な輝く瞳をしたその小さな白い羽付き猫はパタパタと羽ばたいて慣れた様子でハマの肩に止まった。

驚きで見開かれたままの目の入れたばかりの水晶体にその姿を映して立ち尽くすハマに、トワは愉しそうにこえをかけた。

「よかったわね、ハマちゃん。それじゃあ、ちょっと一緒に来てほしいところがあるんだけどいいかしら。」

子猫が飛んできたというのにいつもの調子のまま、おトキさんはスタスタと電動車椅子に乗り込むと、ゆっくりと走り出した。そして白い龍のストラップのついた携帯からどこかへ一本の電話を入れた。

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