タツミーホーム
【タツミーホーム】
住居スペースとしては最上階の7階にある自分の個室から2階にある食堂までは必ず階段を使うことにしている。一人きりになれる片道5分の習慣。
この施設の若い職員だって一つ上の階に行くにもエレベーターを使うので、この階段では月に一回清掃員の若い子に遭うくらい。老人施設の性質上、全個室には急病や緊急時に備えてインターホン通話可能なモニターが設置されており、好きなテレビ番組から電話のやり取りまで24時間誰に聞かれてるかわからない。
だから【猫のぬいぐるみに向かって独り言をいっている】はたから見たらボケ老人にしか見えないこんな状況には、このプライベートスペースは持ってこいだ。
「タマ、あんた友達はいないの?」
「ともだちって?」
「お仲間ってこと。」
「おなかまってことって?」
「おトキさんが言ってた同じ【龍】のお仲間」
「シロちゃんの他にはここにはいないみたい」
「でも、毎日のように【龍穴】から涌いてくるみたいなこと言ってなかった?」
「うん、でも【合龍】する前にみんな消えちゃう」
「そう、【大いなる流れ】というのに帰るのね。」
2階の食堂前には5分前だというのに5、6人が並んでいた。その脇の自動販売機の前に澄まし顔でいつもの若い介護士さんに車イスを押されているおトキさんの姿があった。
また【エステ】に行ってきたらしく、きれいなしわしわ顔で、こちらを見つけて無邪気に手を振っている。
近づいていくとハマの抱いた猫のぬいぐるみが手を振りながら鈴のなるような声で
「お昼食べたらまた【シロちゃん】に会いに行かなくっちゃね」
と生意気な口をきいた。
「あら、私の【シロちゃん】気に入って貰えたのね」
おもわずヒョイと立ち上がって猫の頭をクシャクシャに撫でた。
本物の猫のように前足をじたばたさせているぬいぐるみを抱きながらハマは思い出していた。
それは3日前のこと・・・
本島から長さ1050m最高水面からの高さ24.34mという、車に乗って通行するだけでご機嫌な巽島大橋を渡り、10分ほど海沿いの県道を進むと、【タツミーランド】の看板がある交差点に出る。左が【巽島水族館】通称【タツミーシー】と右が【タツミーズー】と呼ばれる【巽島動物園】への分岐のある交差点は、小山を一つ越えるため左右どちらから行っても結局同じ【タツミーランド駐車場】にたどり着くのだが、初めての観光客は大概迷う。
元々は小さな【巽島水族館】だけだったのが、【CCRC】計画に伴い【就老施設】の確保と観光資源の一石二鳥で開発された【タツミーランド】は島の中央部分に位置し北の湖から【タツミーシー】中央の平野部に【タツミーランド】南の山間部に【タツミーズー】がある。敷地総面積は小さなこの島の1/20にも及ぶ2.3キロ平方メートル(東京ドームおよそ50個分)あり、自然の地形をそのままに活かしつつ完全バリアフリーのユニバーサルデザインが世界的にも評価されている。この施設の中でおよそ300名のスタッフが働いており、70歳以上の高齢者がそのうちの176名。ハンバーガーショップの店員からイルカショーのお姉さんまで、その道何十年という伝説のSWやらトレーナーやらが心の底から思う存分、笑顔で働いている。
細くくねった山道ではスピードの感覚は鈍り、木々の隙間から心躍る波間のキラキラに注意力も削がれる。そのため交通事故、特に野生動物の事故が絶えない。この分岐をまっすぐに上がったところに我らが住まい【タツミーホーム】と併設の【巽先進医療総合病院】があり、さらにその先の南端の岬に【巽神社】がある。
この分岐に、緑の腕章をつけた婦人警官が二人。一人は黄色く塗られたコンクリートのお立ち台に大きな紅白のチェッカーフラッグを杖代わりに立ち、もう一人はヘッドセットを着用しパイプ椅子に座って、なにやらアンテナのような計器を車道に向けている。
キキキーッ!!!一台の黒いハイブリッドカーの慌てたブレーキ音が辺りに響き渡った。すかさず旗が広げられる。旗の周りは紅白のチェックで、中には太く大きな文字で
【ようこそ巽島へ!ゆっくり走ろう田舎道!】
もう一人がアンテナに見えたUVカットの銀色の日傘でお立ち台の横の標識を指す。
【動物飛び出し注意】
何事かとあっけにとられていた黒いハイブリッド車の初老のカップルはずり落ちたサングラスをかけ直して恨めしそうな目で一瞥をくれるとそそくさと発車していった。
一仕事を終えた二人はふぅと警官帽を脱いだ。
「ハマちゃん、お茶にする?」
きれいな紫に染め上げた白髪頭の座っていた方が声をかけた。【ハマちゃん】と呼ばれて、ひょいとお立ち台から降りた、かなり小柄の方も高齢であることは一目瞭然だった。
「おトキさんほら、あそこ、またあの子がきてる・・・」
日本のCCRC(「継続的なケア付きの高齢者たちの共同体」)構想の一歩も二歩も先を行くこの島では【働かざる老、住むべからず】が法的に決められ、高齢社会に未来を担う一大実験場と化している。
つまりこの二人は【緑のおばさん】ならぬ【緑のおばあさん】として働いているのだ。【労老特区】のこの島では健康な状態で移住して3年以上、健康な内はその人が、できることを、できるときに、できるだけ、働けば、その後たとえ寝たきりになっても、新薬の治験、療養食・ベッド・衛生用品・介護用品の【モニター】として各開発企業から賃金が出るシステムになっている。賃金収入とはいうものの実際は入院費や介護費、税金でトントンになってほとんど手元には残らないが、安心して最高水準の医療・介護が最期の刻まで受けられるのだ。それこそが、この巽島が【永住したい田舎】三年連続NO,1の理由の一つである。ただし、唯一の移住者用施設【タツミーホーム】はあまりの人気のため、全国から平均、10年から30年といわれる入居予約待ち状態が続いている。
環境さえよければ人間の平均寿命はかなり延びるのだ。
この分岐点には様々な野生動物が姿を見せる。イタチ、たぬき、狐、鹿、猪、猿、鴨、キジ、鳩、山鳥など鳥類まで入れたら30は軽く超える。そして、たまに野良猫も。
「ハマちゃん、手術は明日だったわね。」
パイプ椅子に見えた折り畳み車いすの後ろのポケットから魔法瓶を取り出し、コップになったフタにお茶を注ぎ湯気を立てた。
【ハマ】はもともと山陰の出で地元の学校で教師をしていたが、娘の大学進学と同時に上京し、そのまま関東の人になってしまった。都内の教科書出版社で65歳の定年後も請われるまま80歳まで勤め上げた。そもそも100まで勤めてくださいと二代目社長に言われていたが、最近は光が眩しくてしょうがないのと、PCが使えないので若い子に負担をかけたくないのと、さすがに2時間の通勤がきつくなってきたのと、不労所得の優遇制度に対して労働所得に対する馬鹿みたいな税金搾取に嫌気がさして引退を決意したのだ。
きっかけは行きつけの眼科医に置いてあったパンフレットだった。白内障の名医がいるこの「巽先進医療総合病院」で行っている対外サービスの一つで、最上階が温泉になっている「タツミーホーム」のゲストルームに宿泊して3泊4日で白内障手術が受けられるというのに申し込んだが、何かの手違いで気が付けば、7階の角部屋にトントン拍子で入居手続きが済んでいた。
もとよりそりの合わない子供夫婦の世話になる気はなかったから、移住になんの抵抗もなく、生来の旅好きということもあって、むしろ新しい生活にワクワクした。
それから早一週間。また気が付けば【緑のおばあさん】という仕事を与えられ、隣の部屋の「常盤(ときわ)」さんと意気投合し、「おトキさん・ハマちゃん」と呼び合う間柄になった。それでおトキさんがやっていたのと同じ仕事についている。本当は数十年ぶりに島の小学校の先生もいいかなと思ったが、全校生徒36人の【巽小学校】に教員の空きはなく、当然出版社などもなく、島に一軒だけの小さな印刷工場も、PC操作がメインのDTPが当たり前でこれもダメだった。他に町役場の広報の仕事なんていうのもあったが
「これまでず~っとやってきたから頭を使う仕事はもうたくさん。」そんな気持ちがあったのか自分でも驚くほど新しい【緑のおばあさん】というこの仕事が楽しい。
「ありがとう」とお茶を受けとりながら木々の間から漏れた陽の光が揺れるアスファルトの中央線の上を指さした
「ほらまたあそこで遊んでる。始めは鳩か何かかと思ったんだけど子猫っぽいのよね。」
この半年ほどで急速に進んだ白内障のおかげで逆光だと眩しくて特に見えづらい。
「ちっちゃくて、まるで光の毬がはねまわっているみたい。」
とトワさんに言って振り返るともう子猫の姿が見えない。
「どこに行っちゃったんだろう?もう、このおんぼろの目!」
悔しそうに80には見えないつぶらな瞳をぎゅーっとつぶってやる。
「明日になったら会えるわよ。」おトキさんは微笑みながら静かにそう言った。
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