第2話 金髪男が家に来た

   ◇ ◇ ◇


 翌日。

 俺には直視が辛い快晴の日の午前中、俺の家へ辻口はやって来た。


「克己、急にすまんな。ちょっと邪魔するぞ」


 ガラリ、と連絡もなく玄関の引き戸を開けられ、俺は絶句するしかなかった。


 急に来たこともそうだが、信じられないことに辻口の後ろにはヤツがいた。


「カツミさん! オジャマします」


 昨日と変わらず晴れやか顔の金髪男。

 心なしかウキウキしながら辺りを見渡し、中へ入ろうとするが……ゴンッ。玄関口より背があるせいで、無様に頭をぶつけた。


「気を付けろよー。日本の家屋は低い所が多いから、ライナスには危険がいっぱいだ」


 ……おい辻口。お前、いつからその金髪男の名前を呼びながら、親しく話せる関係になったんだ?


 俺が顔を引きつらせていると、辻口が腹立たしいほど朗らかに笑う。


「紹介する。こちらはイギリスから来たライナス・モルダー・コンウェイさんだ」


「ハ、ハジメ、まして! ライナスと言いましゅ」


「ライナス落ち着けー。克己相手に緊張して噛むなよ」


「で、でもシャチョーさん、ワタシ、ウレシくて……」


 状況がさっぱり呑み込めない。

 なぜ俺は朝から辻口と挙動不審金髪男の漫才を見せられているんだ?


 激しく困惑していると、辻口が笑いながら告げてくる。


「実はな、昨日あれから話を聞き込んでみたら、前からメールで漆芸館に色々と質問してくれていたライナスさんだって分かってな。生の現場を見せて欲しくて、わざわざイギリスからここまで来てくれたんだよ」


「……事情は分かった。だが、なぜ俺の所に来た?」


「克己の塗りに一目惚れしたって」


 塗師になって二十二年。初めて言われた言葉に俺は固まる。


 俺の塗りに一目惚れ? どこをどう見たら惚れるんだ?

 理解できぬ俺に、金髪男――ライナスは両腕を大きく広げて語り出す。


「カツミのヌリ、見た。サムライ、そこにいた! カツミ、クールビューティー!」


 ……びゅーてぃー……?

 興奮しておかしなことを言い出すライナスを、俺は唖然と見つめてしまう。


 辻口が苦笑しなら「落ち着けー」とライナスの背を叩き、鎮めてから俺に向き直った。


「つまりライナスはお前の塗りに惚れ込んで、お前の元で山ノ中漆器を学び――」


「無理だ。他を当たってくれ」


「一瞬でも考えてくれよー」


 人嫌いの俺が教える? 地元民相手ですら上手く交流できない時があるのに、海外の人間に教えるなんて不可能だ。俺の心が耐えられん。


 ハァ、と大きく息をついて俺は辻口を睨む。


「俺以外の塗師に頼めるだろ、お前なら」


「でも、わざわざ克己を指名してくれたんだし、物は試し。な?」


「駄目だ。なぜそんなに粘る?」


「いやあ……その、なあ……」


 途端に歯切れを悪くさせる辻口に代わり、ライアスが教えてくれる。背中のリュック――体が大きすぎて分からなかった――を下ろし、中から細長い箱を取り出す。


「オミヤゲです。カツミさん、どうぞ」


「いらん。持って帰ってく――あっ」


 包装紙でもしてあれば、俺は迷わず拒めていた。


 だが銘柄が書かれた箱が剥き出しで、開けずともそれが何かを分かってしまい、俺の言葉は止まってしまった。


 年代物のアイラウイスキー。

 土産の正体に俺が気づいたことを察した辻口が、ぼそりと呟く。


「めっちゃ美味かったぞ」


「お、お前……っ、酒で買収されたのか!」


「買収だなんて、そんな……頼まれる前に、先、飲んじゃった。てへ」


「てへ、じゃない! まったく、お前というヤツは!」


 一方的な俺と辻口の口論にそわそわしながらも、ライナスは俺に酒を差し出した。


「あの、コレ、ただのオミヤゲ。お願い、違う」


「……もらっても教えんぞ、俺は」


「カツミさん、喜んでくれたら、ウレしい。それだけ」


 はにかみながらライナスが俺に微笑む。

 なんで人相も人当たりも悪い俺に、こんな好意的な笑みを向けられるか理解できん。


 俺が宇宙人を見る目を向けていると、ライナスは玄関の土間の上に土下座を始めた。


「昨日、キンチョーして、話せなかった。怖がらせて、ゴメンナサイ。カツミさん、シッキのこと、教えてくだサイ」


 慣れない日本語で必死に伝えようとするライナスに、俺も少しは心が揺らぐ。


 ここまでするほど俺に価値があるとは思えないが……。

 戸惑いながら息をつくしかなかった。


「頭を上げてくれ。そんなに知りたいなら見せてやる」


「ホントですか! ウレシーです!」


「……もし何が起きても後悔するなよ?」


「……? ナニがあるんですか?」


 きょとんとなるライナスをよそに、辻口が「あー……」と理解して苦笑する。


「それは……運だからなあ」


「人によっては、ここの玄関に入っただけでもアレになるんだぞ? それを知らずに連れて来たとは言わせんぞ、辻口」


「分かってるが、日頃から漆器を愛用してるみたいだし、極端なことはないと思う」


「商品と製作中の現場を一緒にするな」


 軽く言い合う俺たちを見交わしながら、ライナスが尋ねる。


「もしかして、ウルシかぶれの心配?」


「おっ、よく知ってるな。漆は肌につくとかぶれる。そして触らなくても、こういう塗師の家に出入りするだけでかぶれる奴もいるんだ」


 日頃から漆を扱う者や塗師の家に住む家族以外は、部屋に揮発した成分でかぶれる時がある。


 俺の亡き母が他県の出身で、こっちに嫁いできて家に入ったら、顔が腫れあがって大変だったと聞いている。

 この色男が同じことになったら、騒ぎ出して恨みを買いそうな気がしてならない。しかし、


「分かりました。カクゴします」


 ライナスは顔を力ませ、真っ直ぐに俺を見据えてきた。


 どうやら本気で見学したいらしい。

 まったく怯まないライナスに、俺は短く頷いた。


「じゃあ上がって見ていけ。道具や製作中の物には触らないでくれ」


「は、はい!」


 了承を得た途端にライナスは表情を輝かせる。昨日俺を見ていた時のように。


 今日だけのこと。良い旅の思い出になればいい。

 心の中で割り切りながら背を向けると、ライナスと辻口が中へ上がってくる音がする。


 そして――ゴンッ。

 作業部屋に入ろうとした直後、やっぱりライナスは頭をぶつけていた。


 彼にはさぞ低くて過ごしにくい家だろう。

 流石に同情しながら、俺は中の案内と漆器の話をしてやった。

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