第17話 穴のあいた餅

 僕の妻は大人しい人で、姑のいう事にはだいたい何でもうんうんとうなずく。だが一つだけ、妻がどうしても譲らないことがある。

 お雑煮のことだ。


 妻が毎年一月二日の朝に作るお雑煮には、必ず穴のあいたお餅が入っている。丸餅の真ん中に十円玉くらいの穴が開いていて、ドーナツみたいだと言ったら分かりやすいだろうか。

 そんな餅は売っていないから、妻は毎年専用の穴開け器具を使って自分で穴を開ける。丸ノミに似た先が丸くなった刃物で、持ち手の部分を金槌で叩いて使う。

 くりぬいたほうは一度神棚に供えてから、翌日にご飯と一緒に炊いて食べる。


 初めて見た時に面白いお雑煮だと思い謂れを聞いた。それは妻の母親の里で守られてきた風習らしい。

 妻の母親は四国のとある山村の生まれだ。今ではもう村全体で数人しか住んでいない限界集落だが、昭和にはもっとずっと多くの人が住んでいた。

 妻の母親は結婚してその村を離れたし、妻自身は生まれも育ちも四国ですらない。


「でも何となくこのお雑煮を作らないと気持ち悪くて」

「おいしいし、僕は良いけどね」

「お義母さんはこの家に伝わるお雑煮を作ってほしそうだけど、ごめんなさい。神様との約束だからやっぱり守ったほうがいいのかなって思うの」


 妻の言う「神様との約束」というのは、その山村に伝わる伝説だ。


 昔々、まだその山にほとんど人が住んでいなかった頃のこと。山に住む人たちは貧しかった。その日食べるものにも困るほどで、お正月の餅など夢のまた夢だ。

 ある時、一人が神に祈った。もう少し生活が楽になるように。せめてお正月に餅が食べられるようにと。

 それは今よりもずっと、人と神様の距離の近い時代だった。

「知恵を授けよう。代わりに大切なものを供えるように」

 神は生贄を求めているのか。村人は恐れ、悩んだ。その年は例年よりもさらに不作で、冬には餓死するものもいるかもしれない。であればいっそ生贄をささげたほうがマシなのではないか。

 だが一人の女が反論した。

「我らは食べるものがなくて困って神に祈ったのだ。何よりも大切なものとは、正月の餅ではないか」

 そう言われればそんな気もする。

 話し合った結果、自分たちの大切なものを削り供えるという意味で、全員がお正月の餅の真ん中を綺麗に抜いて、それを神に供えるということに決まった。

 神は村人たちの決定に満足し、上手な炭の作り方を教えた。

 その村の炭は上質で、町に持っていけば驚くほど高く売れる。村人は豊かになり、人数も増えた。

 それ以来村人達は年に一度だけ、正月の餅の真ん中をくりぬいて、側のドーナツ状の餅で雑煮を作ることにした。


 なるほど、田舎によくある伝承だ。

 面白いね。

 そう言うと妻は少しだけ目を伏せて、「後日談に嫌な話もあるの」と言った。

 嫁に行って村から出た女たちは、婚家の風習に倣うものだ。穴のあいた餅は次第に作られなくなっていく。

 けれど神様は約束を忘れなかったらしい。餅を供えなくなった者たちは子どもを幼くして亡くした。

 神様は一番大切なものを持って行ったのだ。

 だから妻の母親は、この話を妻に伝えた。


「実際、母の幼馴染には子供を亡くしてる人が多くてね。偶然そういう時代だったのかもしれないけれど……」


 結婚して三年目、妻のお腹の中には今、僕たちの最初の子供がいる。

 この話がただの伝説にすぎないとしても、僕たちはおそらく毎年穴のあいたお餅の雑煮を食べるのだろう。


【了】




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