第18話 メッセージ

 青木大輔がそれに気が付いたのは、就職してから二年目のことだ。


 大輔の部屋には一本の観葉植物の鉢植えがある。

 去年の誕生日に母親が送ってくれた。地元の大学を卒業して初めての一人暮らしだ。家にグリーンの一つくらいあったほうが寂しくないだろうと言って。

「たまに水やりをするだけで大丈夫だから」

 いかにも丈夫そうな観葉植物は、パキラという名前だった。

 最初の頃こそ育て方を調べてみたりしていたが、すぐにインテリアの一部になって意識から消える。たまに水だけはあげていたけれど、それだけだ。


 気が付いたのは、久しぶりに水やりしていた時だった。

「穴が……」

 開いてる。

 直径五ミリくらいの丸い穴だ。全体を調べてみると全部で四つある。

 ――虫だろう。嫌だな。

 自分でも情けないとは思うが、大輔は大の虫嫌いだ。

 実家にいるときにはたまに虫が出ても誰かが駆除してくれるが、一人暮らしだとそうはいかない。

「虫はつきにくい木だって言ったじゃないか。母さんめ」

 鉢植えごと捨てたくなる気持ちをどうにか抑えて、恐る恐る裏側を見る。

 けれど、きっとそこに居るだろうと思っていた虫は、幸か不幸か見つけることができなかった。


 念のため鉢植えの周りも片付けて、しっかり掃除した。虫がいた時のために殺虫剤も鉢の側に置く。

 準備は万全に整えた。けれどそんな大輔を嘲笑うかのように、また一つ穴が増えた。

 今度も虫は見つからない。

 もっとも、虫嫌いの大輔にとっては見つけたほうが恐怖なのだが。それでも虫と一つ屋根の下で暮らしているかと思うと穏やかではない。

 いったい何虫がどこに隠れているというのか。


 大輔がそんな話を山崎亜美に話したのは、彼女が植物の話題を楽しそうに話すからだった。

 亜美は会社の同期入社で、人見知りな大輔にとって数少ない友人だ。お互いに困ったことがあれば相談したし、身の上話も少しはしている。その時にたしか亜美の実家が花屋だと言っていた。だから花のことには詳しい。


「パキラは育てやすい木だし、そんな穴を開ける虫も家の中じゃあそうそうでないとは思うけど、どうだろ。私もお母さんほど詳しくはないから」

「僕も貰ったときに虫はつきにくいって聞いたから安心してたんだけどね」

「今はどうしてるの?」

「普通にそのまま置いてるよ」


 亜美にはそういったが、実は大輔はどうしても虫が気になるので、一つ策を練っていた。今頃はわりと簡単に安く手に入る監視カメラがある。それを買ってきて、鉢植えに向けてセットしたのだ。

 夜中や会社に行っている時間に虫が出てきたら、動画に残っているだろう。


「気になるね。もし青木君がいいなら、今度そのパキラを見せてもらえない?」

「もちろんいいけど、えーと」


 ――家で二人きりになってもいいのかな。

 大輔としては願ったりな申し出だけど、家に他人が来るような経験がなかった。今までに付き合った女性はいなかったし、就職するまでは実家住まいだ。いまでも部屋に遊びに来るほどの友人はいない。

 元来の人見知りで消極的にうなずく大輔に対して、気にする様子もなく亜美はにこやかに約束を取り付けた。


 その日、家に帰ってから大輔は部屋中をかなり頑張って片付けた。もともとそんなに散らかすほうではないが、来客に失礼があってはいけないと思う。コーヒーくらい出せるようにしたいけれど、それは来る前に日までに用意すれば大丈夫だろう。

 そうして亜美を招く準備が済んでから、ふと監視カメラのことを思い出した。

 ――今のうちにチェックしておこう。

 監視カメラのデータはパソコンに送られる。まだセットしてほんの数日だし、植物だから大きく動くわけではない。データを古い順にどんどんチェックしていった。今のところ虫も出なければ、穴が増えた様子はない。そして一番最後のデータはまさに今録画されているところだった。

 そしてリアルタイムの画面を見たときに、小さな針のような点に気付く。

 これまでなかった場所に、今まさに穴が開きかけている。

 驚いて、大輔はその場に固まってしまった。パソコンのモニターの中で、ゆっくりと、ゆっくりと、葉っぱの穴が広がっていった。

 最初は点だった穴は葉脈を挟んで不格好な楕円形になり、そこから少しずつ面積を広げていった。だがそこに虫は写っていない。

 はっと我に帰り、大輔は鉢植えに駆け寄った。

 今ちょうど食べられているところだ。殺虫剤を手に、恐る恐る葉の裏をのぞき込む大輔。

 けれどそこには何の虫もいない。

 ただ穴だけがあった。まだ真円にはなりきれず、少しゆがんだハート形の穴だけが。


 その週末、予定通り亜美が大輔の家に遊びに来た。

 お土産に持ってきてくれたケーキを冷蔵庫に入れてから、大輔は窓際のパキラを見せた。


「本当だ。穴が六個開いてる」

「一昨日、ちょうど監視カメラを見てるときに穴が開き始めたんだ」

「すごい偶然!」


 奇妙な穴ができる様子は、監視カメラにしっかりと残っていた。ただ、その動画だけでは裏に何もいないことは証明できそうにない。葉の裏を見た時は大輔の体のかげになっていてカメラに映っていなかったので。

 それでも亜美は大輔の話を信じてくれた。


「もしかしたら、パキラからのメッセージかなって思うの。でもこんなこと言うとバカバカしいって笑われそう」

「いや、それを言うなら僕が見たことだって嘘みたいな話だ」

「青木君は鉢植えをほぼ置きっぱなしだったじゃない? このパキラは元気なんだけど、寂しかったんじゃないかなって」

「寂しい?」

「この部屋で、一人。植物の仲間も敵の虫も、暑すぎる日差しも寒すぎる風も何もいないこの部屋で。それはとても安全な場所だけど、寂しかったのかなって。せめて一緒に住んでる青木君に、もっと見てほしくて、どうにか気を引こうとしたんじゃないかとか、そんなことを想像しちゃったのよ」

「へえええ」

「も、もちろんただの空想なんだけど」


 ちょっと照れて頬を染めて言う。大輔はそんな亜美がかわいいと思う。そしてできればいつも、その顔を自分に向けてほしい。

 穴を開けてまで気を引きたかったパキラのように、大輔の心もいつの間にか寂しさで穴が開きかけていたのかもしれない。

 そして今、相談に真面目に乗ってくれる亜美に惹かれている気持ちに気付いた。

 だから思い切って、大輔は不器用に亜美に話しかける。


「あの、山崎さん、ぼくと付き合って、あの、もしよかったらまたこの部屋に来てくれませんか」


 愚直に問う大輔の声はまっすぐに亜美に届き、亜美の答えは笑顔だった。

 それから一週間後、パキラのそばに新しい鉢植えが一つ置かれた。

 大輔は時々話しかけながら水遣りをする。

 まあ、話しかけるのは自分一人しかいない時だけだけれど。


【了】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る