第21話 紙魚
今日、
壮介が五日市市の駅前に『何でも屋』を開業したのは去年のことだ。
最初は何の店かと町の人たちに遠巻きにされていたが、地道に宣伝していればいくつかの依頼は来る。小さい町ならではの噂の手助けもあって、今ではそれなりに生活できる程度の仕事にありつけた。
依頼の多くは草むしりや庭木の剪定、大型ごみの処分、パソコンの使い方など。
人探しをしてほしいと依頼されたときは探偵のような気持になって聞き込みをした。
普段は力仕事が多い壮介にとって、今日の依頼は少し珍しい。
依頼者は栗原
愛海は見るからに古い巻物をテーブルの上に広げた。
「お願いしたいのは、この家系図の保存です」
見れば巻物には何十人もの人名が書かれていて、たしかに家系図のようだ。ただしその名前は虫食い穴だらけで、全く読めなくなっている名前もいくつもあった。
「保存状態は良くないようです。たぶん表装をし直したり補修する必要があると思いますが、あいにく僕はそっち方面の知識はあまりなくて」
「いえ、違うんです」
愛海は勢いよく身を乗り出した。
「この家系図自体を補修するべきかどうかはまだ。お金も結構かかるから。ただ、このまま置いておいたら今読めている名前まで消えてしまうでしょう」
「たしかに。
紙を好んで食べる虫は何種類かいる。巻物にはよく見ると抜け殻のようなものがあり、おそらく紙魚だと思われた。
「防虫剤や乾燥材を入れておけばいくらかましになるとは思いますが」
「はい。これに関してはそうしようと思います。あの、何でも屋さんにお願いしたいのはこの巻物のデータ化です。いつでもスマホで見れるようにしてください」
「データ化ですか」
「はい。あの、恥ずかしながらパソコンとかってちょっと苦手でして。そこで何でも屋さんがパソコン教室をしているって聞いたものですから」
「なるほど、分かりました。できるだけ頑張ってみます」
壮介もプロと言えるほど詳しくはないが、巻物をスキャンして画像データを作るくらいは出来そうだ。せっかくの依頼者を追い返すことはない。
「良かった。祖父はこの家系図を触るのは嫌がってたんですけど、せっかくだから保存しようってことになったんです」
「おじいさまは嫌がってたんですか?」
「あの、この家系図は呪われてるからって……確かにあまり外聞の良くないところもありますので」
「呪われているとは」
「祖父は詳しくは話しませんでした。ただ、ここの」
愛海が指さしたところは酷く虫に食われていくつかの名前が全く読めなくなっている。
「ここがちょうど祖父と祖父の弟と曾祖母なのです。先月祖父が亡くなり、大叔父と曾祖母もずいぶん前に亡くなっています。葬儀の時にこの家系図を広げてみました。祖父の名前はもうすっかり消えています。このままだと他の人の名前も全部読めなくなるかもしれない」
「なるほど」
「だからなるべく消えない形で家系図を残したいと思ったんです」
スキャン自体はそんなに時間のかかるものではない。今は家庭用のスキャナーも安くて高機能だし、愛海はこの店にあるスキャナーで作れるデータで十分だという。
出来上がったら渡す約束をして、壮介は家系図を預かったのだった。
スキャン自体は簡単な作業で、すぐに終わった。
今日はまだ時間もあるので、分割された画像を一枚にまとめることにする。なるべく元の巻物の形が分かるようにしたかったからだ。
できるだけ正確に貼り合わせようと画像を拡大してモニターをにらんでいて、壮介は少し気になるところを見つけた。
「ここの染み、ちょっとおかしいな」
愛海の祖父の名前があった部分の虫食いは酷く、大きく穴が開いて墨はほぼ残っていない。その穴の縁が他の部分より濃い茶色に変色しているのだ。
他の虫食い穴と比べてみて、祖父、大叔父、曾祖母の三人の名前があった個所は損傷が特にひどく、虫に食われた穴の縁が濃く変色している。
このまま画像処理だけして渡しても良かった。だが愛海によると祖父はこの家系図が……。
「呪われてるって言ってたな。何か気になる。ちょっとあいつに聞いてみるか」
壮介の脳裏に呪いとかにやたら詳しい友人の顔が浮かぶ。
いつも暇そうな友人は電話するとすぐに店にやってきた。
「やっほう、壮介くん。面白いものがあるんだって?」
「千佳、相変わらずフィットワーク軽いな。助かるけど」
「どれどれ、見せて」
パソコンの画像を見て、千佳は何やら頷いた。
「本物の巻物も見せて」
「いいけど、傷つけるなよ」
「分かってるって」
千佳は趣味で呪術や占いを研究している変わり者だ。仕事は考古学関係だけど今は休職中。古いものの扱いには慣れているだけあって、さっと手袋をはめて手早く家系図を確認した。
広げた家系図を丁寧に戻して片付けてから、千佳はほうっと大きく息をついた。
「これは確かに呪いのうちに入るわね」
「この穴の酷いところ?」
「そうそう。これはね、ここに書かれていた人の存在を消そうとしているの。名前を消すことで」
千佳は壮介の目を見ながら続けた。
「人は二回死ぬって言うじゃない。心臓が止まった時と、生きている人の記憶から消えてしまったとき。ほとんどの人って死んだらほんの数十年で、世界中から忘れられてしまうのよ。かつてここに生きていたことも、残したものも全部名前と一緒に忘れられてしまう」
「そんなものかな」
「そんなものよ。だから忘れられないために家系図を書くの。でもこの家系図からは意図的に三人の名前が消されているわ」
「偶然じゃなくて?」
「壮介が気付いたこの穴の周りの染みが呪いの証拠。これって紙魚の餌なの。何かはよく調べないと分からないけど、でんぷん糊とかかな。名前の上から後でこっそり塗ったんだと思う」
「ああ、なるほど。でもなんでそんなややこしいことを?切り抜いたり墨で塗りつぶせばいいのに」
「それは逆にその人の存在を強調することになるのよ。黒塗りだとそこに何があったのかって気になるじゃない? でも紙魚が食べたのならすごく自然に消すことができる」
依頼者の曾祖母に当たる人は二人の息子を生んだが、その夫には愛人がいて、その愛人も家系図に後妻として名前が残っていた。
後妻という体裁にはなっているが実際は愛人のままだったらしい。
生きているうちには、愛人と妻の立場は覆らない。けれど自分も、自分の愛した男も、そしてその妻も死んだずっとずっと後に……憎い妻の存在を消すことができたなら。
それはいったいどれほどの執念なのだろう。
「呪いの家系図か。どうしよう」
「できるだけやってみようよ。消された名前なら取り戻してあげればいい。せっかくこうしてデータに残すんだもの。消えた名前もちゃんと書き加えて。そうすれば呪いも効力を失うわ」
「ああ、だったらちょうどいい。元々お爺さんの名前はそうするつもりだったんだ」
「お爺さんの弟とひいお婆さんの名前は分かる?」
「ひいお婆さんの名前は聞いたけど、お爺さんの弟の名前は愛海さんには分からないって」
「もうみんなの記憶から消えちゃったのかな」
「あ、でもこの弟の次男の名前!いつも草むしりに行く家のおじさんだ」
「なんと!そのおじさんに聞けばいいんだ」
千佳の言葉に後押しされて、壮介は立ち上がった。
「それにしても、力仕事のほうがよほど気が楽だなあ」
「そう? こういうのも楽しいと思うけどな。ところで私は今日は頑張ったよね? ね!」
「はいはい、いつも助かってるよ。晩御飯をおごらせてください。でも家系図が仕上がってからな」
「やったー」
「じゃあ急いで名前を聞きに行きますか」
壮介と千佳は連れ立って事務所を後にした。
愛海から話を聞いた人が一風変わった依頼を『何でも屋』に持ち込んでくるのは、また別の話。
【了】
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