第10話 穴を通るのはー2

 私の家がまあまあ古いという話は前にしただろうか。古民家というほどではないけれど昔ながらの座敷のあるような、そんな家。


 あっちこっちに穴が開いてる、ふつうの古い家だ。もちろん名家、旧家の類ではない。

 ところで、我が家には家訓がある。御大層な旧家でもないのに家訓なんておかしいと思うでしょう。

 そもそも家訓自体がかなりオカシイ。


 白峰家しらみねけ家訓――家の中で殺虫剤を使ってはいけない――


 誰に書いてもらったのか、掛け軸にして床の間に飾っているという念の入れようだ。その掛け軸の新しさ具合を見るに、たぶん父がそんな家訓を作った犯人だなと思う。

 なぜ殺虫剤禁止なのか。

 一度聞いたことはある。

『小さい生き物が死んじゃうでしょう』

 そのための殺虫剤だから。

 しかしまあ、体に悪そうな気もする。それに子供の頃から殺虫剤は家になかったから、そういうものだと思ってて、不満はない。


 ただ、共存できない虫もいると思う。たとえばゴキブリとか。

 どうしても共存できそうにないあの黒いヤツの対抗手段として両親が推しているのもまた虫だった。昆虫ではないけれど。

 アシダカグモをご存じだろうか。子供の手のひらくらいある巨大な蜘蛛。小さい頃はこれが随分と怖かったが、両親は『ゴキブリを捕まえてくれるいい子なのよ』とか言ってほほえましく眺めている。

 今では私も平気。人って慣れるものだ。

 アシダカグモの一匹や二匹、家の中で徘徊していても驚きはしない。

 だが何事にも限度はあって……。


 これは昨晩の話。

 いつもは元気な友人が恋人に振られたというので、遅くまで居酒屋で泣き言を聞いていた。

 だいたいその友人、外見はクールな美人なんだが中身がほんわか家庭的なかわいい女の子だ。私はそういうところがいいと思うけど、付き合ってる男はイメージが違うとか言ってすぐに浮気したりする。


「そんな男、別れて正解だって。佐和って男の趣味悪すぎだよ」


 そう言って慰めたら、軽くどつかれた挙句に奢らされた。

 まあいい。

 こんな日くらいは奢ってあげよう。私もまあまあたくさん食べて飲んだし。

 ようやく元気が出てきた友人を見送ってから自分も家に帰った。


 玄関のカギをこそっと開けて、足音を立てないように家の中に入る。洗面所で顔を洗ってから自分の部屋に入った。

 時間は12時を少し回ったくらい。

 常夜灯だけ付けた。寝るときは真っ暗にする派だけど、明日は休みだからもう少し夜更かししてもいい。

 そして音を消したスマホでゲームなんかして過ごすこと10分かそこら。

 ふと何か不穏な気配を感じて視線を上げた。

 普段だったら絶対気付かないカサカサという小さな音。

 常夜灯に照らされた黒い影。


「ひぃ」


 小さく声が漏れてしまった。ゴキブリだ。壁の天井近く、高い位置にいる。少し動いて、また止まった。

 殺虫剤のない我が家では、あれは叩いて落とす必要がある。だが酔っぱらって判断力の鈍っている私は、とっさに動けないでいた。

 するとまた一つ、大きな黒い影が天井の隅の穴から現れた。

 アシダカグモだ!

 そのアシダカグモだが、やけにシルエットが大きい。それに形がおかしい。

 よくよく眺めれば、どうも何かが背中に乗っているようだ。

 ……!?

 小人さん?


 小人が騎乗したアシダカグモは、狙いを定めると、目にもとまらぬ速さで動きゴキブリを捕らえた。

 小人さんが『よくやった』といった感じにアシダカグモの頭を撫でている。

 そして小人さんが手に持った何かを獲物に引っ掛けて、アシダカグモに結び付けた。

 そこまでほんの30秒。そのまますべては天井の隅の穴の中へと消えていった。


 つまりアシダカグモは小人さんの乗り物で、ゴキブリは狩りの獲物?

 そんな馬鹿な。


「……今日はけっこう飲んだからなあ。寝よ」


 だいたい、知り合いみんなに言われる。

『あんたの良いところはいつでもすぐに寝れることだね』

 変な幻を見たけど、たぶん気のせい。もしかしたらゴキブリはいたかも知れないけど、いたら嫌だな。

 たぶん気のせい。

 遊んでないで、さっさと寝よう。

 いくら古い家でも、小人が蜘蛛に乗って出てこないだろう。


 とりあえず目が覚めて一番に、天井の隅の穴は塞いだ。


【了】

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