第42話 準備
なんなんだよ……と思いつつ部屋に戻る美涼を見送り、俺は風呂場へと向かう。
服を脱ごうと、渡されたラノベを洗面所横の棚に置こうとしたらひらりとメモが落ちた。
小首を傾げながらも拾うと、それは便箋で……。
『樹に借りた新刊は読み込んでボロボロにしてしまったので、新しいのを買いなおしました。
それはそうと、昨日はありがとう。
やっぱりもう一度改めて言うのが筋かと思います。
直接じゃなく、こういう感じになったことを許してください。
それと、そのお礼というわけではありませんが、サイン会当選しているので、よかったら一緒に行きませんか? ほら、樹もあたしと同じくらい文芸恋すきだし、もしもよかったら』
その文字を追えばデートに誘うかのような内容、そう勘違いしても不思議ではない。
読み終えた後は胸がなんだか熱くなった。
こ、これだから美涼は!
浴室に入ってもドキドキが収まらない。
頭を冷やそうとして、水を被ってみたり。
いつもよりも丁寧に体を洗いすぎて肌がひりひり。
あげくには湯船につかりながら、長いこと考えていたものだから出るときにはのぼせる寸前だった。
少し気持ちを落ち着かせて部屋へと戻り、すぐにちゃんと返事をしなくちゃと決意する。
だがどうやって……?
あいにく俺は便箋などというものを常備していない。
(うーん)
腕組みをして勉強机の前に座り込む。
長風呂したせいもあり、まだ体が火照っている。
でも頭ははっきりとしていた。
言葉で伝えた方が簡単だけど、なんだかそれも今日は上手く行かないきがする。
だから、なんとなく流れに沿ってというわけじゃないが、文字で描きたいという想いが強い。
メモ用紙を開いて、文面を熟考すること30分。
『誘ってくれてありがとう。もちろん行きます』
緊張で指先が震えながら描いたのは自分でもおかしなくらい端的な文。
しかもなぜか敬語になってしまっている。
それでも精いっぱい考えて、感謝を込めて書いた。
素っ気なく思われたら申し訳ないと思いながら、メモ用紙を持ったまま、美涼の部屋の前を再度ウロウロする。
(なんなんだ、この気持ち……)
直接渡すのはなんだかこそばゆいので、ドアに挟みこむ。
そのまま一度踵を返したが、ええいっと思いなおしてノックする。
「あの、めも、はさんだ!」
返事を待たず、自分でも恥ずかしくなる上擦った声で告げ、そそくさと部屋へと退散した。
部屋に戻ると、そのままベッドの上に倒れ込む。
誘いの返事をしただけなのになんだかすげえ疲れた。
点滅しているスマホに手を伸ばせば佐野からメッセージが届いている。
『テニス部の先輩に今日は好きなケーキと色を聞けたよ』
『なんだそれ……幸せ者だな。あー、その俺も、次の休み美涼と出掛けることになった』
返事を書きつつ、相談することに。
『えっ! 幸せ者は樹の方だね。デート、デート♪』
『ち、ちげーよ。お互い好きな作家さんのサイン会に行くだけで』
デートと言うワードに落ち着きかけていた心は簡単に乱され、部屋の中で右往左往しながら指をタップする。
『さらにいい報告を期待。デートの基本事項。身だしなみちゃんとして行けば高感度アップ間違いなし』
『マスターかお前は……身だしなみか』
『そうすることで気持ちも入るでしょ、デートの。美容室とか行ってみよう』
『なるほど。ありがとう』
これでやり取りは終わりかと思いきや、10分後。
『デートの否定がなくなったね。やっぱり!』
『違うって!』
完全に揶揄われてる。
でも、こういうやり取りは嫌いじゃない。
「美涼は家族なのに、やっぱり俺は……」
無意識に出た独り言。
そういえば美涼と2人きりで出掛けることなんて初めてかもしれないな。
☆☆☆
それから週末までの時間はずっとそわそわしっぱなしだった。
鏡を見れば少し伸びた髪をみて、佐野からのアドバイスが頭を過る。
見た目もちゃんとしないとかという想いで、散髪に出かける。
いつもは安価で気軽に入れる千円カットだが、今回は美容室。
「整える感じで、えっと後ろは刈り上げない程度に……」
そんなぎこちない注文でも、美容師の人は笑顔で仕事をしてくれた。
仕上がった髪形を見れば、前よりもむさぼらしくはなくなってスッキリとして清潔感がある、気がする。
「っ?!」
「うわー、お兄ちゃんいつもと少し髪型違う。似合う」
美涼はちらりと眺めただけでさっと目を伏せただけだったけど、日奈がすごく褒めてくれたのでそれだけでも嬉しい。
美涼とは日奈や家族が傍に居ればそれまで通りなのだが、2人きりになると意識してしまって上手く話せずで……。
なぜかやり取りは言葉でなく文字になる。
それもスマホのメッセージじゃなく、手書きだ。
このデジタル社会にめっぽうアナログなのだけど……。
『それじゃあ、明日は9時に駅前ってことでよろしくね』
『了解、遅れずに行く』
これがすごいドキドキして、でもやめられないくらいの中毒性がある気がして困る。
ほんとに困る。
そして、サイン会当日を迎えた。
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