第32話 前を向いて

 文芸部の部室。

 他の部員の人を見たことがないこともあり、話を誰かに邪魔されることもない。

 先輩が入れてくれた紅茶から湯気が上がる中、俺は話を続ける。


「えっと、俺、この学校受験するとき偏差値とか全然足りてなくて、そっから必死に勉強して合格したんですけど……周りは出来る人ばっかりで、みすじゃなかった、妹はその中でもすごく出来るので……」

「高校は初対面の人ばかりだしね。中学までとは違って、君を理解してくれてた子も周りにいるわけでもないし、そういう意味でまたゼロから関係を作っていくのって大変かもしれないね」

「……そうなんですよね。でもそれって俺だけじゃないし、自分が不甲斐ないことを棚に上げてつい当たっちゃたりもして……話しかけるのすらためらっちゃって、こんなはずじゃって思って……」

「なら、まずはその不甲斐なさを解消してみるっていうのはどうかな?」

「っ!?」

「それが出来ればまた気持ちも変わって来るし、自信も持てると思うよ」

「そ、そっか……」

「ちょうど模擬試験も迫ってるでしょ。大丈夫、この学校まぐれで入れるほど簡単じゃないよ。君ならちゃんと出来ると思う。ギリギリもしくは足りていないところから一生懸命努力して合格したんでしょ。それなら君にはもう武器があるってことだからね。以上で先輩からの解決するためのアドバイス終わり、かな」


 先輩の優しい言葉に励まされ、胸につかえていたものが外れた、ような気分だった。

 いや先輩だけじゃない。日奈と佐野のおかげでもある。


「今度の試験、頑張ってみます」

「うん、いい顔になった。ちゃんと前向けたみたいだね。やっぱり君は私の興味の対象だよ」

「あ、ありがとうございます」


 興味を持ってくれるという意味は解らない。

 だけどお礼を言わずにはいられなかった。



 ☆☆☆



 学校で色々と気づかされたその日の夕食後、ソファで日奈が絵本を読んでいる傍らで早速勉強を始める。


「お兄ちゃん、お勉強?」

「おう。美涼お姉ちゃんと違ってサボりまくってたからなあ……うーん、一回覚えたこともちょっと忘れちゃってるな……」


 毎日の家事でこの時間になると眠気が襲ってくるから、どうしても勉強はおろそかになりがちだった。

 でも忙しさは美涼とたいしてかわらない。

 だからそれを言い訳には出来ない。

 日奈の面倒や家事を疎かにしない、その上で勉強もやる。

 なかなかにハードだ。

 最初は、集中力が続かなくなったら小刻みに休憩挟みながらだな。


 ときどき日奈と会話しながら俺は問題集を解いたり、参考書とにらめっこした。

 その間、美涼は水分補給をしたり日奈をお風呂に入れたりしたんだが。


 俺の姿に気がつかなかったのか、咽たりタオルを落としたりと大層な反応を示していたのが遠目から見ていた。



 いざやり始めると全然時間が足りないことに気がつく。

 だから普段はただぼっーとしている学校の休み時間も試験対策に使う。

 差し迫っていることもあり苦肉の策だった。

 自ずと昼休みも移動時間がもったいなくて、教室で問題集を広げながら1人で食べ暗記に費やす。

 放課後の部室でも先輩にところどころ教えてもらいながらの日々だった。


 その結果として短期間ではあったものの、受験前と同じくらいの密度で勉強できた。

 もちろん準備不足は否めないけど、限られた時間の中で出来ることはやれた、と思う。



 そしてやってきた模擬試験当日。

 少なからず準備してきたこともあり、実力テストの時とは違い恐ろしく落ち着いていた。


 チャイムが鳴ってみなと同様に問題用紙を裏返し試験開始。

 問題を見ながら、入試前に美涼に注意されたことを今回はちゃんと思い起こせる。


『まずは焦らないこと。他の受験生と同じくらい勉強はしてきたんだから、少しは自信を持つこと』


(はいはい、わかってますとも……)


 考えることを放棄せずに、俺は懸命に1問1問解いていった。




 週の初めを迎え、模擬試験の結果が返って来る。

 教室の中の話題は試験の結果で持ち切り。


「英語全くダメだった」

「現代文ちょっと難しかったよね」

「数学に足引っ張られたわ」


 点数や答えの確認がそこらかしこで聞こえてくる中、自分の点数に目をやる。

 誰にでも自慢できるような点数ではなかった。

 だがそれでも前回の実力テストのように恥じるような点でもない。


(よしっ)


 俺はその答案用紙を手に、クラスメイトが集まっている美涼のもとへ向かった。

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