第29話 きょうだい喧嘩

 三井さんのことで何か誤解があるのは確かなようだった。

 だがおかしいな、彼女なら先に美涼にお礼を言ってそうなものだけど。

 もしかして美涼は三井さんを覚えていないとか?


 いや、それも考えにくい。

 美涼はそういうことちゃんと覚えていそうなんだ。


 なんにせよなにやら様子がおかしいのは確かで、ちゃんと話をしなければと家に帰ってきてその思いを強くする。


 今日の夕食当番は美涼の担当。

 だがあの風邪の一件以来、担当はあってないようなもので手が空いていれば互いに助け合うようになっていた。

 テスト返却の時にやらかした俺でさえ、そこはたとえ会話は減ってもフォローしていたくらいだ。


「手伝う。今日の献立は?」


 日奈がテレビに集中しているのを横目で見つめ、台所に立つ美涼に声を掛ける。

 直後、俺のその言葉をかき消すような大きな包丁の音が響いた。


「1人で出来ますから、結構です」

「……」


 心地いいくらいのニッコリ笑顔といかにも他人行儀な敬語での拒絶。

 いつもと違うその言葉に、虫の居所が悪いことだけははっきりとわかった。


「けどなあ、いつも2人で」

「今日は1人でやった方がはやいので」


 取り付く島もない。


「……おー、けー」

「まったく――したくせに――もうすぐに仲よくとか――」


 目は吊り上がり、ぶつぶつと独りごとを呟く口はとがっている。

 そんな表情をされれば、遠慮せざるを得ない。


 そんなお怒り、俺にだけ塩対応? の美涼が作った夕食がダイニングテーブルに並び、仕事で遅い親父以外が席に着く。


 ボンゴレスパゲティからは湯気が上がりにんにくの匂いが香ばしい。

 サラダ、オニオンスープと色合いや栄養バランスも整っていてやらかしは見られなかった。


「日奈、このスパゲティも好き」

「スープも美味しいわ」


 日奈や広実さんもいるし、この場では俺の話は無視できないはずだ。

 少なくとも会話は出来るだろう。謝るのは後回しにしてとにかく話題にしないと始まらない。

 よしっ。


「ほんと美味しいな……そういえば俺は文芸部に入ったけど、運動部が盛んな学校ってこともあって、文科系の部はクラスだとちょっと肩身が狭いって話を今日聞いてさ……」

「……ふぅん」


 美涼は他人事というように反応するだけだった。


 いやいやいや、リアクション薄すぎるだろ。もっと食いつけや! 

 美涼さんはいったいなに部に入るつもりなんだよ?

 肩透かしもいいところだった。

 思わずため息がでそうになったが、この話題に乗っかってくれた人が居た。


「やっぱりそうなのね。高前高はスポーツ有名だものね。そこで好成績残して進学に有利にと将来のビジョンを描くのは生徒さんだけじゃなく、そのお母さんたちも考えそうだものね」

「そ、そうみたいなんです」


 広実さんは俺の方に視線を投げてくる。

 俺もありがとうございますと目で合図しながら言葉を続けた。


「いい学校や少しでも学費面を抑えてくれたら……そんな想いはお母さん全くないからね。それに、振り返った時に入りたいところに入らなかったら美涼自身が絶対に後悔するわよ」


 広実さんが言い切ってくれたことに感謝する。

 だがしかしだった。言われた当の美涼の表情はあまり優れないばかりか、


「……ごちそうさま」


 自分の作ったものを完食せずに、その話を拒絶するようにそのままテーブルから立ち去って行ってしまった。


「美涼お姉ちゃん、具合悪いの?」

「いや、そういうわけじゃないと思う……」

「ごめんね、樹君……あの子素直じゃないから」

「いえ、そんな……わりとお互い様なので」


 食べ残した皿を俺の側へと運ぶ。

 夜、お腹が空いても知らないからな。




 夕食後から美涼と話すタイミングを計っていたのだが……。

 その時は俺がお風呂から上がり、リビングにやってきたときに訪れる。

 美涼は授業の予習をしているようだったが、時折ぼーっとソファに座り込んでいたので、ちょうどいいと思った。


「そ、その今朝は悪かった。いや、最近のことも悪い……水に流してくれとはいわないけど、部活見学改めて手伝わせてくれないか?」

「……急にお節介焼くじゃない。新しいお友達が出来て、もういつも通りってわけ?」

「なにを誤解してるのか知らないけど、三井さんはまだ別に友達ってわけでもねえぞ。ほら例のスーパーの時のことでわざわざお礼を言われただけだ……それよりも部活の話をしてるんだよ」

「……朝1人で行けって言ったくせに、いまさら何、もう興味ないでしょ?」


 美涼もこうなると頑固で、俺といい勝負だ。

 向かいのソファに腰掛け言い合いにならないようにと自分の中で念を押す。


「それは悪かったって。家族が悩んでいるなら助けるのは当たり前だろ」

「誰が悩んでるなんて言ったのよ?」

「悩んでるだろ。運動部に入りたいだけなら、もうバスケ部や陸上部に入ってるだろうが……」

「そんな簡単じゃないのよ。陸上部の先輩は優しかったけど、運動部は……」

「っ! …………じゃあ陸上部に入ればいいじゃないか。これ見世がしに見学したい部があるなんて言うなよ!」


 あの時に見た校庭での光景がフラッシュバックして、つい突き放すような態度になって、大きな声が出てしまう。


「なによその言い方は……あたしはね、将来のことも考えてちゃんと部活選ぼうとしてるだけよ。日奈ちゃんのため、それだけで選べちゃう樹とは違うの」

「……美涼のことよくわかってる広実さんだって今朝もさっきも好きな部に入るように言ってただろ。いつまでも変な意地張ってるだけだろ」


 美涼はさらに気分を害したように目を細め、顔を赤くする。


「意地張ってたのはそっちでしょ! わかってもいないくせにお母さんの言葉持ち出さないでよ!」

「…………ああそうかよ。ならそっちもわかってないくせに日奈のことがとかいうんじゃねえよ!」


 美涼が冷静でないのはわかってた。

 だから俺は冷静でいなきゃいけなかったのに、その態度や言葉に落ち着くことができずについ売り言葉に買い言葉になってしまう。

 いや一番はまだ消化しきれていない中で、ああ、くそっ。


 互いに本気で睨みあいそっぽを向いて俺は2階へと上っていく。

 それはいつも通りの言い合いに見えて、いつもとは違う喧嘩だった。

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