第8話 何かおかしい

「へえ、日奈ちゃんもにゃんこライダー好きなんだ」

「うん、日奈、アニメもお兄ちゃんと一緒に見てるよ」


 掃除中、隣の部屋からは楽しげな声が聴こえてくる。

 一瞬、手が止まりかけたが無心になってモップをかけた。

 その甲斐もありフローリングの床は綺麗になり、積みあがっていた雑誌をすべて縛り終わると部屋が広くなった気がする。

 普段、自分の部屋の掃除はどうしても後回しにしがちだ。

 今日は本腰を入れてやるいい機会だった。


(でもなあ……)


 美涼に対しての気まずさも汚れと共になくなれば気楽なのに、そんなに簡単に行く気はしない。


 好きだって自覚した日に告白したからな、好きになったというその余韻に浸ることなく振られているし。


(って、ダメだ、ダメだ)


 油断するとつい考えてしまう。

 隣の部屋の話し声はいつの間にか止んでいた。

 日奈がお昼寝でもしたのかな?


(よし、こんなもんか……)


 一通り片づけたころで、気分を変えようと階段を下りていく。


「……あ、あれ居たのか? 親父たちは?」

「んぐっ!? んんっ、けほっ、げほっ……」

「だ、大丈夫かよ……?」


 リビングを覗くとそこには美涼がいて、ソファでくつろいでいた。

 驚かせてしまったのか、俺の顔を見た途端に美涼は紅茶を派手に咽る。


「こ、こここふっ」

「こふ?」

「公園っ! 日奈ちゃん! 連れて! さっき! 一緒! お母さんたちと!」

「あぁ、日奈のお散歩か」  


 どうしたわけか美涼は片言だった。

 紅茶がむせた影響かもしれない。


「……」

「……」


 まてよ……ということは、今は家に2人きりってことか!

 ダメだ、そう思っただけで体温が上がってしまった気がした。

 気まずく感じる。

 でもなぜか、気にはなってしまいさっと視線を上げてしまう。


 そういえば引っ越し作業ということで今日は見慣れた中学のジャージ姿だな。

 あまり気にも留めてなかったけど、今日で見納めかな。


 幸いにも文庫本を読んでいるようで顔が見えない。

 視線が合わないのは助かったきもするが、ちょっと残念な感じも。


 あれ……本が逆さじゃね?


「……それで読めるのか?」

「っ!」


 つい、いつも通りな言葉が出てしまった。

 美涼はその指摘にはっとしたように勢いよく本を閉じる。


 なんだか空気が重い。


 そのまま部屋に逃げたい気持ちだが、さすがに悪い印象を持たれるだろうし、それは本望じゃない。

 かといって傍に行って、たわいのない話を出来る感じはしないし。

 どうすれば……?

 身動きが取れなくなっていると、ソファの方で何か物音がする。

 思わずそっちに目をやれば、美涼が立ち上がっていて、テーブルにカップの中身が零れていた。


「あ……ぁ……」


 彼女は心底動揺しているのか、あろうことか手にしていた本でテーブルを拭こうとした。


「待て、待て、お、おい、落ち着け」

「……っ!」


 動きが止まった美涼を他所に、俺はとりあえずティシュを何枚か取ってそこにしみこまる。


「うん、カーペットは汚れちゃいないし、カップも割れてない。大丈夫だよ」

「……」

「服に飛ばなかったか?」

「へ、へ……き」

「……」

「……」


 そうは見えないけど、ほんとに平気なのか?

 なにかはわからない。でも昼までと少し様子が違う、そんな気がする。


 見慣れないその態度に、具合でも悪くなったのかと少し心配になった。

 だから、ちらっとではあるがこの距離で美涼の方を見てみる。


「あ、あり……っ!」


 彼女は俺の視線に顔を背けると、下を向いたまま階段を上っていってしまった。


「なんなんだよ、いったい……?」


 1人にされると、ほっとしたというよりはどこか淋しい気がする。

 やはり、気持ちの整理は簡単には行きそうにないと確信した。

 思った以上に大変だなと感じた同居生活の始まりだった。



 ☆☆☆



 翌日、まだ早い朝の時間。

 スマホの目覚ましが鳴る前に体を起こすと、大きなおくびが出てしまう。


 昨夜は早くベッドに入ったはいいがよく眠れなかった。


 やはり、同じ屋根の下に好きだった子がいるというのは色々と落ち着かない。


 すぐ隣の部屋で美涼が寝ている。それはきょうだいになったという事実なのだが……。

 まだどこか信じられない気持ちだ。

 フラれたけど、好きだった子が同じ家に……それを考えだすときちんと寝付くのは無理だった。


 やっぱり心はグラつく、それでも上手くやっていくんだ。


 拳を握りしめ、そんな暗示を何度も自分に掛けて、家族の眠りを妨げない様に台所へと降りていく。


 色々考えてるとドツボに嵌りそうだったので、朝ご飯と並行して親父たちのお弁当を作ることにした。

 こういう時、習慣になっていることをすると、日常をしている感じで心が落ち着く。


 そういや美涼の好みの味とか知らないな……目玉焼きには何をかける派なのだろう?

 ちなみに我が家は親父が塩で俺と日奈がしょうゆ派だ。ケチャップやソースを掛ける人もいると聞く。


「……うち、ソースあったっけ?」

「そっ!」

「う、うわっ!? ……美浜!」

「え、あ……」


 何かがばさりと落ちる音が聞こえた。

 振り返ると妙に慌てた美涼の姿。

 ノート? いや、それよりも……


「……」

「……」


 まじまじと見てしまい、思わずごくりと喉を鳴らす。

 美涼はフルーツ柄の少し子供っぽいパジャマだった。

 普段のきちんとしている姿とは裏腹に少し幼く見え、なんだかギャップでいつもより可愛くみえ……ってそうじゃねえ!


「……あーその、おはよう、美浜」

「……え、あ……」

「まだ6時前だぞ、早起きなんだな」

「…………お」

「んっ、朝飯の準備なら俺が、だから、まだ寝てても」

「……お……ぉ……」


 昨日と同じくまたも気まずい空気が流れる。


 美涼はさっき拾い上げたノートをぎゅっと抱きしめて固まったようになっていた。

 こっちからかける言葉も思いつかなくて、向き直って誤魔化すようにフライパンを振る。


「昨日は日奈の面倒見てくれてありがとう」

「っ! ひ…………た」


 背中からは何か微かな声が漏れた気がした。

 だがすぐにがんっという物音がしたので見てみると、向う脛を押さえている美涼の姿が。


「だ、大丈夫か?」

「……」


 うんうんと涙目になりながらも頷く。

 いや、なんかその姿も今まで見たことがなく新鮮で脳裏に焼き付きそう……だから、そうじゃねえって!

 そのまま美涼は弱弱しく二階に上がっていく。


 なんだ、急にどうしたんだ?

 俺、またなんかへんなことやってしまったか?


 身に覚えはない。ないが、ああいう反応が続くということは、なんだか避けられているような……そんな不安がよぎった。

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