第2話 卒業式の日

 義務教育最後のこの日。

 人気のない廊下を少し緊張しながら進む。

 美涼なら朝早く来て、卒業生代表あいさつのチェックをしている。

 そう思うと、早く来るしかないと思った。


「……なによ、あなた?」

「最後くらいな……」


 やはりというべきか、教室内には美涼が1人自分の席に座っていた。

 俺の姿を視界にとらえると、瞬きを繰り返しそれと同時に原稿を読んでいた手が止まる。


 たしかに俺はこんなに早い時間に登校してきたことはあまりない。

 ないが、そんなに驚かなくてもいいだろう。


 俺が小さく息を吐いて隣の席に腰掛けると、視線が重なった。

 たったそれだけで今はなぜかたじろいでしまう。

 なんだか負けたみたいで妙な気分を感じつつも、そのくらい意識しているのだとかろうじて自覚は出来た。


「雪でも降るかもしれないわね。スピーチ失敗の前触れかも……もう一度原稿を見直さなきゃ」

「なんだよ、その言い草……」

「そう思っちゃうのはしょうがないでしょ、今日に限ってはやいんだから……だいたいあなたどっしり構えてるけど、もうちょっとそわそわした方がいいんじゃない?」

「な、なんでだよ?」


 一瞬心の中を読まれたかと、ドキッとする。


「高校入試に落ちてたら、妹さんの自慢のお兄ちゃんから陥落するでしょ」

「っ! お、お前、落ちるとか、なんてこと言いやがる!」

「いつもの仕返しよ。なに言ってもあなたちっとも応えないんだから。まったくなんの用事があってこんなに早く……あっ、どうして卒業式の日まで机の中に物が入ってるのよ。片付けなさい」

「……こ、これ入試の前に借りた美浜の対策ノートだ」

「あたしに持ち帰らそうとしないでよね。それ、来年も使うかもしれないんだから返さなくていいわよ」

「……口の減らない奴だな」

「あなたにだけは言われたくはないわ……ほら、襟曲がってるわよ。ほんと最後までだらしないんだから」

「……」


 俺の机の中、シャツの襟と素早く指を差して指摘してくる。

 なんだかいつもとは違う神妙な面持ちに思わず服装を正すしかない。


 なんで早くか……そうだな、この状況ならば素直になれるかも。それを自分自身期待してとかだろうか?

 こうやって間近で見せられる彼女の努力には感服するし、そういうところが……?


(あー、くそっ……)


 素直に言いたいことなんて本当は山ほどある。

 でも何からどう話していいものかがわからず頭を抱えてしまう。


「ほんと卒業式の日まで変わらないわね」

「それはお互い様だろ」

「そうね、憎たらしいあなたを見てるとつい注意したくなって、でも……」


 美涼はふっと笑う。

 それはなんだか柔らかくてどこか特別なものに感じた。

 だからか思わず目を奪われる。


「こんなやり取りも、途中から嫌ではなかったわよ」

「……はあっ?!」


 さらに続けざまに放たれた言葉は予期せぬもので、頭が真っ白になりかける。

 動揺してしまい、耐えられずに思わず視線を切るしかない。


 途中からっていつからか言って欲しいとさえ思う。

 美浜とは色々あったからな。


「なに?」

「な、なんでもねー」


 俺への興味が失せたのか、美涼は何事もなかったかのように原稿に視線を落とす。

 助かった。今何か言われたら反応できたかわからない。


 こんなときどうすればいいかの対処を俺は知らない。


 子供ガキなんだと思い知らされる。


 そもそも美涼を意識するまでは女の子なんて関わるだけで面倒だって謝った認識があった。

 それが今では、積極的にちょっかいを出し、彼女のことを目で追う毎日。

 こんな日が来るとは恐ろしい。


 そうだ。この何とも苦しい気持ちをそのままにしておきたくなくてここにいるんじゃないのか?


「あのなあ、美浜……」


 その後の言葉を考えていたわけじゃない。

 だが気づけば、さっきの言動に突き動かされるように話しかけていた。

 心の中はどうしようという気持ちで、やけにドキドキがうるさい。


「ついに卒業式か」

「ねっ、なんか淋しいよね」


 美涼の顔がこちらを向いたとき、タイミング悪く続々とクラスメイトが入って来る。


(っ!?)


 それと同時に言葉が止まってしまい、項垂うなだれるような気持ちで机に突っ伏す。


 俺は何を言おうとしたんだろ?


「おはよう美涼、およ、入間いるまくんもういる……2人きりで何してたの?」

「「なにも」」




 そんな朝の時間があって、体育館に移動しての卒業式。

 自分の素直になれない気持ちと向き合いながらも、卒業生代表である美涼のスピーチに目を向けて耳を澄ます。


 ここにいる同級生、部活の後輩、卒業して行った先輩も入れると、彼女のことが気になっていた人はどのくらいいるんだろう。

 どのくらいの人が想いそれを告げられたのか?


 あれだけ可愛ければ、男なら気になって当然だ。

 それだけじゃなく、よくクラスの子の異変に気付いたり、呆れつつも友人の頼みを聞いたり、世話を焼いたり、いつも誰よりも早く登校して図書室でこつこつと勉強に励んでいたことも知っている。


 そんな天に二物を与えられたような彼女を気にならない男子が果たしているだろうか?


 競争倍率高いのは当然だ。

 だから、アクションを起こさなきゃ何も変えられはしない。


 そこまで考えてところで、あちこちからすすり泣く姿が目に飛び込んでくる。

 それを見てなぜか俺は焦りを感じた。


「絶対また会おうね」

「私たち、一生の友達だよ」


「先生、ご指導ありがとうございました」

「手がかかったが、いい思い出だよ」


「先輩のトランペット、ほんとカッコよかったです」

「来年、全国行けるように祈ってるから」


 式が終わって教室に戻る途中には、そんな別れを惜しむようなやり取りを目にしたりして、そこでようやく卒業の意味に気がつく。


(ああ、そうか。もう美涼に会えないかもしれないんだ……)

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